福島県の農業は、農業従事者の減少や風評被害など、さまざまな課題を抱えながらも、再生に向けた取り組みが各地で進められている。とくに日本人の主食であるコメについては、その安全性に対して消費者の関心が高い。県では、田植え前の段階で除染や放射性物質吸収抑制対策を実施し、収穫後はすべての県内産米を検査し、放射性セシウムが基準値(1kgあたり100ベクレル)を超えるコメを流通させない「全量全袋検査」に取り組んできた。
原発の立地する双葉郡は県のなかでもとくに厳しい環境にあるが、万全の検査体制のもと、2013年9月には広野町や川内村の一部で3年ぶりにコメの出荷を再開。2014年5月からは、除染の終了した水田で営農作付の動きが拡大している。
震災前にはコメが農業産出額の約4割を占めていた浪江町でも、除染特別地域として国が直接除染を行う酒田地区で、2014年5月に震災後初となるコメの実証栽培を開始し、同年10月には4年ぶりの稲刈を実施。「コシヒカリ」と「天のつぶ」合計6800kgが収穫された。全量全袋検査の結果、すべて基準値を大幅に下回ることが確認され、環境省など実証協力機関に提供された。
浪江町ではコメ以外にも、非食用の花卉栽培にも新たに力を入れている。2014年8月、東京・大田市場に浪江町産のトルコギキョウが出荷されたが、これは震災後、3年5カ月ぶりに初めて浪江町の農作物が出荷された機会となった。トルコギキョウはその後の販売も順調で、2014年度は2500本以上の販売実績を上げた。農業再生に向けた指針を発表
こうした動きを支える浪江町は、さらに農業再生の動きを加速させようと、2014年11月に「浪江町農業再生プログラム」を発表した。浪江町はいまもなお町内全域に避難指示が継続し、町民約2万人の広域分散避難が続いており、町役場も内陸の二本松市に移設している。町の復興計画(第一次)では、避難指示解除の時期を2017年3月と想定している。農業再生プログラムは、町が目指す帰還開始時期までの間、農業者や関係団体が、農業再生に向け一丸となって取り組むための指針を示したものだ。
浪江の農業再生の難しさの1つは農業者が町外に避難しているため、何をするにも水田や畑に「通勤」しなければならないことだ。そうした悪条件を乗り越え、なんとか営農再開にこぎつけようと、同プログラムでは、1)農地保全・農地の集約化、2)農業用施設整備、3)実証栽培・担い手の育成、という3つを具体的な取り組みの柱と定めた。
農地保全・農地の集約化については、町内の地区ごとに行政区長と町が中心となって「復興組合」を組織して取り組みを開始した。除染完了後、すぐに営農できるわけではないとはいえ、そのまま放置しては農地が荒れてしまう。耕起や草取りといった保全作業が必要になるが、こうした作業のために遠方から通えない農家もある。町内49の行政区のうち除染が進んでいる酒田地区と高瀬地区では、それぞれ10〜20名の意欲的な農業者が組合を立ち上げ、協力して保全作業に取り組んでいる。
農業用設備に関しては、水田が中心の浪江にとって、農業用水の供給源である大柿ダムの復旧が重要なカギを握る。道路などダムの堤体の一部や管理事務所の除染は始まっているものの、汚染された水と泥が溜まっているダム底の除染は手付かずだ。酒田地区で行われた2014年度の実証栽培では、ダムの代わりに地下水を用いたが、2015年度は河川水の利用も検討している。同時に、ダムの早期除染についても国に要望していく考えだ。
テクノロジーを軸にした「もうかる農業」へ向けて
実証栽培については、町が農業者に働きかける形で、営農再開を支援する県の補助制度なども用いて、すでにさまざまな取り組みが行われている。2014年度は海側の3地区(北幾世橋(きたきよはし)、幾世橋、酒田)で、コメのほかにも白菜や大根などの野菜、飼料作物、花卉などを栽培し、いずれも放射性物質は不検出だった。2015年度は実証栽培の実施地区を拡大すると同時に、先行する酒田地区ではコメの一般流通を目指す。除染後の土地でつくられた農産物の安全性が確認できるだけでなく、販売までのメドが立って初めて、農業者が帰町し、本格的な営農に踏み出すことができる。さらに、情報通信技術(ICT)を導入した実証栽培にも力を入れていく。すでにトルコギキョウのハウスに機器の設置を終え、この4月の定植から栽培データの集積を開始した。避難先から通いで農作業を行う農業者にとって、日照、水分、温度などハウスの状況が遠隔地で把握できる仕組みは心強い。同じ情報が技術指導にあたる県の農業センターにも送られるため、時機を得たアドバイスも得られる。浪江町産業・賠償対策課農林水産係副主査の志賀隆寿さんは、「従来はすべて農業者の勘に頼っていたが、とくに花卉のように震災後に始めた作物については、農業センターと情報を共有できる意味が大きい」と期待する。
こうして栽培データを蓄積するとともに、将来にわたって浪江の農業を継承するために、町としては「もうかる農業」の姿を見せていきたいところだ。浪江町産業・賠償対策課農林水産係主査の大和田俊茂さんは、「必要な年収から逆算して、季節ごとにどんな作物が有望なのか、品目と数字で明らかにしたい」と語る。品質や出荷量を確保するだけでなく、土作りによる肥料や農薬の経費削減など、もともとの農業経営の課題をも改善することが、長期的な担い手の育成や新たな後継者の確保につながると考えている。
「浪江町農業再生プログラム」の基本方針には「ふるさとなみえを再生する~受け継いだ責任、引き継ぐ責任~」とある。先人から受け継いだ土地を、何年かかっても子どもたちに引き継げるよう、浪江で営農ができることを2年後の帰還開始時期までに見せていくのが当面の目標だ。
文/小島和子
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