震災直後の被災者支援、復興計画における政策決定、事業者や生活者の再建支援など、復興の現場では様々な場面で弁護士が関わっています。現地での支援や後方支援に当たった法律の専門家から見た復興と法律に関するコラムを、現役弁護士がリレー形式で書き下ろします。
今回の執筆者は、中越大震災を機に新潟県長岡市に「震災復興をめざす中越ひまわり基金法律事務所」を開設、東日本大震災後は日本弁護士会災害対策本部部員として被災者支援活動を行った杉岡麻子弁護士です。
これまで、このコラムにおいて、弁護士が、東日本大震災発生後、避難所相談を開始し、被災者から悩みごとや困りごとを聞き、現行の法制度の不備を認識し、立法提言活動を行うという活動を主に紹介してきました。
復興は途中の段階ですが、東日本大震災に関する検証は、さまざまな機関・団体によってなされてきました。また、最近、災害対策のために憲法を改正して国家緊急権を創設しようとする動きもあるようです。
災害対策のために、最上位規範である憲法の改正までなされるのであれば、より本腰を入れた対策がなされるように思え、喜ばしいことのようにも思えます。しかし、これまで災害を経験した弁護士会は、そろって国家緊急権の創設は不要とする会長声明を発表しています(兵庫県弁護士会(4月10日)、福島県弁護士会(4月17日)、岩手弁護士会(4月23日)、仙台弁護士会(4月24日)、新潟県弁護士会(5月1日))。なぜ、災害を経験した弁護士会は、この動きを歓迎せず、必要がないとする声明まで発表するのでしょうか。
国家緊急権とは
国家緊急権とは、一般に、戦争・内乱・恐慌・大規模な自然災害など、平時の統治機構をもっては対処できない非常事態において、国家の存立を維持するために、立憲的な憲法秩序を一時停止して非常措置を取る権限を言います。具体的には、大災害が発生したときに、内閣総理大臣が、閣議決定の上、非常事態宣言を発することができるとされ、その後は、内閣が法律と同一の効力を持つ政令を制定したり、内閣総理大臣が必要な財政処分を決定したり、自治体の長に対し必要な指示をすることができるとされています(自民党の憲法草案参照)。
今回この国家緊急権の創設の理由として、東日本大震災時の災害対応不備があげられています。通常、国会における慎重な審議が必要な法律と同一の効力を有する政令を、内閣の考えですぐに制定できるとすれば、これまでにない強力かつ迅速な対応が実現できるようにも思え、復興の動きも加速できるようにも思えます。
災害法制はすでに整備されている
しかし、日本において、災害対策のための法律は、既に精緻に整備されています。
たとえば、非常災害が発生して国に重大な影響を及ぼすような場合、内閣総理大臣が災害緊急事態を布告し(災害対策基本法105条)、生活必需物資等の授受の制限、価格統制や債務支払の延期等を決定できるほか(同法109条)、必要に応じて地方公共団体等に必要な指示もできる(大規模地震対策特別措置法13条1項)など、内閣総理大臣へ権限を集中させる規定の他、防衛大臣が災害時に部隊を派遣できる規定も設けられています(自衛隊法83条)。さらに、都道府県知事の強制権(災害救助法7~10条等)、市町村長の強制権(災害対策基本法59,60条,63~65条等)など、私人の権利を一定範囲で制限する規定も設けられています。諸外国に見られる程度の「国家緊急権」の内容は、既に法律により十分に定められているのです。
災害対策において重要なことは事前の準備
私たち弁護士は、1991年の雲仙普賢岳噴火災害以降、阪神・淡路大震災、中越大震災、中越沖地震、そして東日本大震災と、24年にわたり災害法制及び被災者支援活動に関わり続けてきました。その立場から痛感したことは、災害対策、とりわけ発災直後の応急対策においては、平常時からの準備が最も有効ということです。仮に国家緊急権を創設し、何の準備もないまま発災後に行政権に権力を集中させたとしても、予測を立てず準備をしていなかった事態に対応できず、混乱を招き被害を拡大させるおそれすらあると考えます。
東日本大震災における発災直後の混乱は、高度に整備された法制度があるにもかかわらず、事前の準備がほとんどなされていなかったことにあると言われています。例えば、東日本大震災における原発事故に伴い、長距離移動中に高齢者50人が亡くなるという双葉病院の悲劇などが起こりましたが、これに関しては、災害対策基本法で、国の防災基本計画(同法第34条)に基づいて、指定行政機関(省庁等)や指定公共機関(NHK、日本赤十字社等)の防災業務計画(同法第36条,第39条)、都道府県、市町村の地域防災計画(同法第40条,第42条)の策定が定められています。また、指定行政機関、自治体の長は、防災教育の実施に努め(同法第47条の2)、防災訓練の実施義務があるとされています(第48条)。さらには、原子力事業者にも、原子力事業者防災業務計画の策定義務が課せられています(原子力災害特別措置法第7条)。にもかかわらず、原発事故は起こらないという前提のもと、防災計画の策定と事前の準備がほとんどなされていなかったため、長距離避難に際して多大な混乱と被害が生じました。考えてみればごく当然のことですが、例えば長距離避難の場合、平常時に「A自治体は、原発事故時、隣県のB自治体に避難する。」という計画とそれに基づく事前の準備があってこそ、通信や指揮系統が混乱した非常時において避難行動を取ることができるのであって、非常時になってから、国家緊急権に基づき「A自治体は、B自治体に避難せよ。B自治体はこれを受け入れよ。」と上命下達したところで、現場の混乱をひもとき被災者の生命・身体を救うことはできないのです。
災害対策においてなすべきことは、これまでの経験や予測できる限りの事態に備えて、対策を策定して事前の準備を進め、場合によってはこれまでの法制の不備を見直し改正していくことであって、全てを災害が発生した後の内閣総理大臣や内閣の強力な権限に委ねてしまうことは、国が事前の準備を怠る結果につながりかねない、そういう懸念を抱いています。
災害対策のために国家緊急権を創設する必要はない
災害対策のために、憲法を改正して国家緊急権を創設することは、全く必要がないことと考えます。確かに、現行憲法、そして憲法改正の必要性については、さまざまな考えがあることでしょう。ただ、私たち災害復興支援に関わる弁護士は、災害対策を理由とした国家緊急権が創設されることにより、かえって、(1)現行の災害法制の改正がなされなくなる、(2)災害発生時において現場の状況や自治体の長の判断が軽視されるようになる、(3)事前の準備が軽視されるようになり、災害対策がかえって遅れてしまうことを、非常に恐れています。
文/杉岡麻子 東京はやぶさ法律事務所所属・元震災復興をめざす中越ひまわり基金法律事務所所長
Tweet