地域で事業活動を行う企業として経営資源を活かして地元に貢献する[日本財団 WORK FOR 東北]

「WORK FOR 東北」は、被災地の自治体等への民間企業による社員派遣、個人による就業を支援し、人材の面から復興を後押しするプロジェクトです。
復興の現場に社員を派遣している企業、および、赴任した方々のインタビューを紹介します。

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2014年8月から山元町役場に社員を派遣中のパナソニック株式会社仙台工場長に話をお聞きしました。

Q:山元町への社員派遣を決めた経緯を教えてください。
A:仙台工場は震災前から、地域貢献活動に力を入れていました。例えば、少年サッカー大会を33年間、少年野球大会は22年間、継続して開催しています。
東日本大震災では、工場から5kmしか離れていない閖上地区で742名の方がお亡くなりになりました。工場内でも、1親等の親族が亡くなった従業員が13名、家屋の全半壊が19件ありました。
震災後の仙台工場は「工場の復旧」「従業員のケアと地域の支援」を復興の2本柱に掲げました。地域への貢献は、地域で事業活動をする企業の社会的責任だと考えています。活動の1つに、閖上地区の追悼行事で使用するLED灯籠の開発・寄贈の活動があります。閖上地区は避難途中に亡くなった方が多いので、その方々を追悼するために灯籠で「光の道」を作るイベントを年に1度行っています。パナソニックが開発した風雨に強いLED灯籠を使用することで、天候に左右されずにイベントが開催できるようになりました。また、活動場所を失ったサッカー、野球チームや太鼓のグループへの練習場所の提供などを行ってきました。
「WORK FOR 東北」のお話をいただいて人材の派遣を決めたのも、派遣先が地元の山元町だったからです。また、派遣する社員が担当することになる「夢いちごの郷」の商品を私自身が買って食べてみて、「これだったら広められる」と考えました。その上で、地元が困っているのであれば最優先で助けよう、という思いから、派遣を決定しました。

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Q:人選はどのようにされましたか。
A:山元町役場に出向中の南條さんとは同じ部署で働いていたことがあり、人間性やバイタリティ、ITのスキル、勤務態度などをよく知っていましたから「彼ならできる」と考えました。社交的で人見知りしない性格なので、農家や事業者の方とうまくコミュニケーションが取れるだろうと。
また、出向が決まった時、彼は57歳だったのですが、会社を定年退職した後も働き続けたいという意向を持っていたので、新たな道を見つけるきっかけになればとも考えました。

Q:派遣開始後の手応えはいかがですか。
A:派遣開始から半年ほどですが、期待通り活躍してくれていると思います。「南條さんは工場の代表として出向している」と考えていますので、必要なサポートは全面的に行います。イベントの手伝いやアンケートの回答など、人手が必要な時には我々を利用してほしいとも伝えています。また、工場の従業員に対しては、月1回の朝会で「出向者だより」という時間を設け、出向者の状況を報告しています。

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Q:今後については、どうお考えですか。
A:仙台工場の持つ人、モノ、カネ、情報の4資源を活かして、地域に貢献したいと思います。この中で、情報を上手く使うことができるのが南條さんのような派遣人材だと考えています。
南條さんの派遣は1つのきっかけです。地元のニーズと本人の能力がマッチングできれば、今後も人材面からの支援をしていきたい。そのためにも、「社員を派遣してほしい」という次のオファーがいただけるくらい、南條さんが活躍してくれればと考えています。
パナソニックの原点は「世界の人たちによりよいくらしを」という理念にあります。仙台工場はこの地域で40年の歴史を持っています。地元の企業として、今後も様々な形で地域の方々のよりよいくらしに貢献したいと考えています。

(2015年1月29日取材)

記事提供:日本財団「WORK FOR 東北」