株式会社びはん
「びはん」は岩手県の山田町でスーパーマーケットを2店舗展開しています。
山田町の特産品や、またその特産品を使ったプライベートブランド商品も多く手がけ、地元で獲れた魚や野菜なども扱い、年中無休で地域に密着したスーパーマーケットとして地元の皆さんから愛されています。全国に山田の味を届けるべく、2014年4月にはオンラインショップをリニューアルし、オンライン販売にも力を入れています。
「びはん」の名前の由来は、その昔、尾張地方からやってきて岩手で商いを始めた尾張屋半蔵は芸名です。間瀬半蔵氏が商売を始めたということだそうです。の尾張の“尾”と半蔵の“半”を取り名付けられたと言われています。
震災直後、大変な時だからこそ人の集まる場所を提供したい
震災前のびはんは、山田町でスーパーマーケット2店舗、100円ショップ1店舗、ガソリンスタンド2店舗と、水産加工場を経営していましたが、スーパーマーケットのプラザ店は津波にのみこまれ、駅前店は全焼、100円ショップも津波で全壊、ガソリンスタンドと水産加工場も津波で大きな打撃を受け、すべての販売拠点を失ってしまいました。
お店が津波にのみこまれた後、集まってきた従業員達は無事だった商品を袋に詰めて、各避難所に配って歩きました。発災後4日目の3月15日には、大きな被害を受けたプラザ店の前で、テント販売を開始。品物を揃えることが難しい時期に、牛乳、ヨーグルト飲料、有機栽培の米、豆腐、こんにゃく、納豆などをなんとか揃え販売したといいます。
「品物も無い、ガソリンも無い、道も整っていないときに、良く商品集めてきてくださった。本当に感動しました。」
地元の利用者は当時をこのように振り返ります。
日にちは覚えていませんが、1週間後くらいから始めたと思います。からは、店舗まで来られない方々のために、仮設住宅を中心に、7~8ヵ所を回る移動販売を開始します。この移動販売で、より多くの地域の方と話をするきっかけができ、住民たちが移動販売を心待ちにしていることを知り、それが大きな励みになりました。
また「びはん」には、多くの協力があったといいます。
「びはん」は「CGCグループ」という中堅クラスの集合体ではありません。のスーパーマーケットの共同体組織に加盟していたのですが、その「CGCグループ」の加盟店から多くの援助を受けました。
特に、大船渡を本社に置く「マイヤ」からの商品や人員などの支援が無ければ、再開はむずかしかったと専務取締役の間瀬慶蔵さんは話してくれました。
また、季節が変わり暑くなってきた頃には、移動販売用に保冷車を地域の方が提供をしてくれたこともありました。
企業、地元の人々が一体となって、「びはん」の取り組みを応援してくれたのです。
2011年4月26日には、旧山田病院跡に20坪の仮店舗をオープンすることとなり、この店舗は「病院店」と呼ばれました。ここでは、冷蔵設備を使えるようになり、移動店舗の3.5倍の品揃えまで増やすことが出来ました。
再建工事の明かりは山田町の希望
被害状況は甚大でしたが、
「津波で多くの方が亡くなった山田町、その方々が新盆を迎える。お盆の準備に必要なものが間に合うよう、何とかして8月のお盆前には再オープンをさせたかったんです。」
と間瀬さんはいいます。
担当の建築・設計会社に相談をすると、「柱なども残っている、設備も残っているものもある、お盆前に何とか行けるのではないか」という話に元気づけられ、再オープンへ向けての準備をはじめました。しかし、当時は復興事業のため、建築関係者は人材不足。ようやく旭川から来てくれる職人を見つけましたが、宿泊施設が無いため、被災した間瀬さんの実家で寝泊まりをしてもらいながら作業をしてもらったそうです。
何日かは徹夜の作業となりましたが、真っ暗な街中で「びはん」再建工事の明かりは、次第に山田町の希望となっていきました。
びはん再オープンとスマイルガーデン商店街
特別な思いのある2011年のお盆に間に合わせたかった再オープンは、8月7日となりました。
待ちに待ったびはんの再オープン。山田町ではフルラインを揃えた本格的スーパーマーケットの再開は、びはんプラザ店が最初でした。
「内陸に避難をしていて、びはんが再オープンするということで、山田町に戻ってきました。びはんは、山田町のシンボルだよね。」
当時の利用者の喜びの声が今も「びはん」を支えています。
プラザ店のオープンと共に、店舗と隣接した敷地内には「スマイルガーデン山田商店街」をオープンさせました。この「スマイルガーデン山田商店街」は、震災後になかなか再開することが出来ない町内の店舗に声をかけて入ってもらった商店街。
「また仕事をできることは、本当にうれしい。」
「震災を機にお店は辞めようと思っていたけど、びはんさんに声をかけてもらって、またやる気になった。」
とは、商店街に店舗を再開した店主の方々の声。
「自分のところだけ良ければということではない、町全体が発展していかないとそれぞれの店舗の成果はでない。」
間瀬さんは、町全体の産業復興を目指して「びはん」とともに「スマイルガーデン山田商店街」を構想したといいます。
山田町の味を届けたい
びはんには、「山田の醤油」をはじめ、山田町の郷土料理である「すっとぎ」を使った商品、山田町で生産されている豚肉を使った商品、自社の水産加工場で生産している水産加工商品などなど、独自で開発をしてきたPB(プライベートブランド)商品を数多く手がけています。
なかなか、山田町まで実際に足を運ぶことが出来ないという方には、オンラインショップも準備しています。
被災者ではなく「復興者」に
現在、山田町の実際の人口は、多くの復興関係者が来てくれているため、住民票の登録数より多いと言われています。
そのためか、現在では、震災前よりもスーパーマーケットの数が増えているという状況があります。
しかし、復興関連で来ている人たちは、いずれ山田町を離れて行くことになるでしょう。
「今はいいかもしれないけど、これから勝負です。そうなった(外部流入人口が減ったあと)時でも、継続して事業を展開できるように考えていかなければいけないと思っています」と間瀬さんはいいます。
「被害者ではなく、復興者になるため」にも、「びはん」は、地域に根差した事業を、これからも継続していくことが、地域への貢献になると信じています。
記事提供:NTTdocomo「笑顔の架け橋Rainbowプロジェクト」
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