津波被害を受けた東北沿岸部の各都市で、市街地を刷新するまちづくりが本格的に動き出している。岩手県の大船渡市では、更地となったJR駅前の広大な土地にショッピングセンターや飲食店などが立ち並ぶ大規模商業ゾーンが誕生する予定だ。市の復活をかけた一大プロジェクトはどのようなプロセスで進んでいるのか。大船渡流のまちづくりの現状を取材した。
東京ドーム2.2個分の土地に約70店舗が集結
まちづくりの舞台はJR大船渡駅周辺地区。このエリアは、気仙地域の商業の中心地であり、市の賑わいの中心地でもあったが、建物は殆どが津波に押し流され、現在は広大な更地が広がる。
市はこの海側の約10.4ヘクタールの土地に、駅やバスターミナルなどの交通設備はもとより、ショッピングセンターやホテル、商店街など多様な都市機能を集積させる。現時点での計画ではエリア全体で合計約70店舗が展開する予定だ。早いところでは来年度中の開業を見込む。
大船渡市の副市長を務める角田陽介氏は、震災自体は「非常に不幸なことだ」としながらも、被災後の現在を、活気ある空間へと市街地を生まれ変わらせる機会と捉える。
では、実際に誰がまちづくりの担い手となるのか。「行政が全部決めて、『はい、これやりなさい』といって成功した例はまずないし、そうしたくはない」との角田氏の言葉通り、大船渡市は、住民や企業、商業者などが主体的にまちづくりに関わり、共同で魅力的な地域を育てていく「エリアマネジメント」の手法をとる。
とはいえ、多様な主体が関わるとなると合意形成は一筋縄ではいかない。市はまず、大船渡線を境に海側を商業ゾーン、山側を居住ゾーンとするために必要となる区画整理(従来の区画や道路などを変更、整備すること。土地区画整理事業)を行うため、住民説明会を繰り返し行って地元の理解を求めた。
また、地権者一人一人に聞き取り調査を行い、彼らの意向を反映する形で、市が土地を買いとるのか、山側で住宅を再建するのか、海側で商業用地として活用するのかなど、土地の入れ替え作業を進めていった。その上で、海側に買いとりをした土地を集約して津波復興拠点を形成し、同拠点の土地を借り受けたい事業者の募集を行った。
名乗りをあげたのは全8社で、うち6社が最終的に同拠点内に設定された8つの街区でそれぞれ商業施設を建てることが決定。岩手県南部を中心に複数のスーパーマーケットを展開する(株)マイヤが、ホームセンターや飲食店も擁するショッピングセンター街区の形成を計画するほか、約40店舗が軒を連ねる商店街区や、ホテルも誕生する予定だ。
さらに、県銘菓「かもめの玉子」で知られるさいとう製菓(株)は、工場一体型の大型店舗を新設し、地元住民や観光客がお菓子作りを体験できる「ファクトリーショップ」を展開する計画。また飲食店などの経営者が集まってつくる新法人・海来(みらい※仮称)は、三陸の海や海の幸を生かしたサービスを提供するとともに、イベント事業も手掛けることにより、「観光客をもてなし、来訪者に元気を与える」空間の創出を目指す。
また、まちづくりに民間企業の知見を活かすべく、公募により大和リース(株)を「エリアマネジメント・パートナー」に選定した。同社は、日本各地で数々の商業施設の開発・運営を手掛け、東北の被災地では5千8百戸(大和ハウスグループで1万戸)を超える応急仮設住宅の建設を行ってきた実績も持つ。
こうして、市や商工会議所のほかに、6法人と大和リース(株)も加えたまちづくりのキー・プレーヤーが決定。彼らを構成員として、2014年7月末には「大船渡駅周辺地区官民連携まちづくり協議会」が発足した。震災直後はわずか8人の災害復興局の職員でスタートした市の再生への道のり。それから3年半を経て、いよいよまちづくりに向けて具体的な行動を起こしていく準備が整ったことになる。
求められるまちづくり会社の役割とは
大船渡市が2009年度に実施した調査によれば、当時は約82パーセントもの人が地元の商業機能に不満を抱いていたという。特に、シャッター街化が進んでいた商店街の充実を求める声は大きく、既存の商店街の再整備や定期的なイベントの開催、新たな商店街区の新設などを多くの住民が希望していた。また、大型商業店舗の誘致に期待する声も多かった。
そうした理想のまちを実現させていく上で、市が検討を進めている仕掛けの一つが、まちづくり会社の設立だ。今年の4月にはまちづくり協議会の中に会社設立のための準備組織が発足し、事業内容や資本体制の検討を経て、今年度中には設立に至りたいとしている。
まちづくり会社に求められるのは、継続的にまちに賑わいを創出すべく、全体を俯瞰しながらまちの運営の舵取り役を務めること。例えば、商店街のシャッター通り化は、個人が店や土地を所有することで生じる問題だ。店を畳んだ商店主が店舗部分だけを別の人に貸せば「シャッターが閉まったまま」という状態は防げるが、実際には、ガスや電気メーターが住居部分と同化しているなど、いろいろと貸せない事情を抱えることとなる。そこで、新しくできる商業エリアでは、まちづくり会社が商店街の運営主体となり、仮にテナントの一つが閉店になっても別のテナントを探し、リーシング(賃貸)する。こうすることで、継続的にまちの新陳代謝を促していくことが可能だ。
また、まちづくり会社に求められる役割は「まちに必要な機能を導入すること」と市の災害復興局主任の佐藤大基氏は指摘する。例えば、現在入居が予定されているテナントは飲食店が大半を占めるが、食べる人がいなければ商売が立ち行かない。そこで、オフィスなどの誘致や市民活動の場づくり、余暇を過ごす仕掛けづくりをする必要があるだろう、というのが現時点での市の考えだ。
誘致する対象として、市ではベンチャー企業や起業センターなども視野に入れる。「市としては『地元で業を興す』ことを歓迎したい。外からきた企業はいつ撤退するか分からないが、地元で創業した企業が将来地元以外に移転するということはほぼ考えられない。今から興したものが地元で育っていって定着する、それが理想」(角田副市長)。
加えて、買い物や飲食以外の目的でも人が来る仕掛けが必要で、例えば子育て関連の施設も考えられる。この「人が集まる仕掛けづくり」においては、ノウハウを持つ大和リース(株)に寄せられる期待も大きい。同社は、NPO法人と協働して、高山を皮切りに北海道や首都圏を含む各地の商業施設に「まちづくりスポット」と呼ばれる地域交流の場をつくる事業を推進している。同社の久田友和氏は、「これまでの事例を活かしながら人の交流の場づくりをサポートしていきたい。地域の特徴を活かしながら如何に人の流れをつくるか、それを検討していく」と意気込みを見せる。
さらに、市が思い描くまちづくり会社は、エリアマネジメントの中心的な存在として、各事業所の連携を促し、地域内にお金を循環させる。例えば、商店AとBを繋げてマルシェを開くなどイベントを仕掛ける。さらに、その場合、商店が在庫を抱えることにならないよう、飲食店等との連携により地元の食材を使った料理を提供してもらう、といった具合だ。
見えて来た課題と解決へ向けたビジョンの共有
協議会の発足により、まちづくりに向けて具体的な行動計画の検討に入った大船渡市だが、様々な課題も明らかになってきた。協議会のメンバーを構成する事業者は、マイヤやさいとう製菓などの企業グループと、小規模商業者が集まって一つの法人を構成する商業者グループに分けられるが、特に後者が解決しなければならない問題がいくつかある。
まずはお金の問題。当初、商業者グループは、商業施設のテナント料を引き下げるために国や県のグループ補助金の活用を考えていたが、出店希望者との面談を重ねていくと、グループ補助金の支給対象にならない出店希望者が想定よりも多く、グループ補助金活用だけでは実質的な賃料引き下げが不十分であることが分かってきた。
また、希望する店舗開設時期や払える賃料が、各出店希望者間で異なることも明らかになってきた。協議会としては、店舗配置や全体のまちなみ、来街者をもてなす取り組みなど、新しい商業エリアの全体像を見据えた議論と並行して、各出店希望者の事業再建にも配慮しながら計画を立てる必要があるため、なかなか思うように議論が進まない。
こうした課題を踏まえ、協議会では、まずお金の問題の解決策として、別の補助金の獲得を目指すことを決めた。具体的には、国の「津波・原子力災害被災地域雇用創出企業立地補助金(津波立地補助金)」だが、その受給条件として、まち全体としてのきちんとした再生計画(「まちなか再生計画」)を策定する必要がある。
計画の策定には関係者間で目指すべきビジョンを共有しなければならない。そこで、上述のような「各商業者間の相違」を解消するため、協議会は、出店希望者との勉強会や個別面談を実施することを決めた。
各出店希望者の経営状態やテナントとして入る際の条件をお互いに確認する作業を行い、意志の統一を図った上で、商業施設計画に修正を加えていく。現在は、個別面談を進めているところで、面談は計画が固まるまで何度も地道に重ねていく予定だ。
残された課題につき、市の災害復興局主任の佐藤氏は、まちづくりのビジョンを具体化するための「画」がまだまだ足ない、と話す。「商業者などまちに関わる人たちが持続的な賑わいを創出するプレーヤーとなる、まちを使う生活者が共感できるプランを如何に示せるか。まちに関わる人たちで具体的な画をどんどん共有していき、まちのサポーターや外部からの新たに関わる人など「面白い人」にどんどん入ってきてもらう。愚直にそういうプロセスを踏んでいくしかない」。
商業者や企業、地元住民から外部の人まで、多様な主体を巻き込むエリアマネジメントによるまちづくり。粘り強い合意形成のプロセスを経て、「皆でつくっていく」まちはどのようなものになるのか。その姿は、商業施設の順次開業が予定されている2016年度以降に徐々に明らかになっていく。
文/石川忍