2015年3月末、東京で行われた「全国高校生マイプロジェクトアワード2014」に出場していた岩手県立福岡高校3年の大谷史也さんは東北の仲間との約半年ぶりの再会に嬉しさを隠せずにいた。
「この仲間たちとなら社会変えられるんじゃないかって、そう思ったんです」。
彼の出身は岩手県一戸町、震災では大きな揺れに見舞われたものの、身近に深刻な被害はなかった。生活面でも特に不自由はなく、その後は時間が経つにつれて震災に対する関心は薄くなっていった。
小学校の頃から英語が好きだった彼は高校1年生の終わり頃、高校の英語の先生に、ある東北の高校生向けの留学プログラムへの参加を薦められた。3週間、アメリカの大学で学ぶことができるプログラムだった。英語が使いたくてたまらなかった彼は、すぐにこのプログラムに申し込むことに決めた。
岩手のことを何も知らなかった自分
大谷さんは選考を通過し、憧れのアメリカへの渡航を決めた。しかし、アメリカで衝撃を受けたのは、英語のことでも、アメリカ文化のことでもなかった。
一番衝撃を受けたのは一緒に渡米した東北の高校生たちの姿だった。このプログラムでは期間中、高校生が自分の地元が抱えている問題とその解決に生かせそうな強みなどを考えながら、アメリカの町での実際の問題発見とその解決を例に、まちづくりについて考えを深める。そこでは高校生たちそれぞれが自分の町について熱い想いを持ち、それを堂々と語っていた。
「自分の町はこんなところがとっても素敵で!」
「町にはこんな問題があるから、自分たちの力でこんな町に変えていきたい!」
同じ世代の高校生が自分の町についてこんなにも熱く語っているのを彼は見たことがなかった。だからその姿がすごく衝撃的だった。でも、それだけじゃなかった。沿岸部に住む高校生が語ったのは自分が想像していたのとはあまりにも違う現状だった。
「僕のイメージだと、もう仮設住宅とかはなくなって、だいぶ復興は進んでいるんだろうなと思っていました。でも実際はそんなことは全然なくて。なんでこんなに自分は岩手のこと知らなかったんだろうって。海外にばっかり目を向けて、自分の足下はなんにも見てなくて。すごく、すごく悔しかったです」。
現地で活躍する社会起業家の話を聞いたり、アメリカの街を巡りながら東北に生かせるアイディアはないかを本気で話し合ったりした3週間。このプログラムの最後に、彼のチームは仲間や大人たちの前で、東北に戻ってからやりたいことを「TOMOrrow Project」というタイトルをつけて発表した。
「沿岸部と内陸部の高校生では復興に対する意識が全然違います。もし、復興に対する関心がないまま、大学への進学で岩手の外に出てしまったら、もう『地元のために何かしたい』と考えて行動できる機会はほとんどなくなってしまいます。そしてそのまま大人になってしまったら、ますます沿岸部と内陸部の復興に対する意識の差が広がって、オール岩手で復興を進めていくなんてきっと出来ないと思います」。
「高校生が忙しいのは本当にわかるんです。でも、進学して外に出ていっちゃったら岩手のことなんて考えなくなる。だから今なんです、地元について僕たちが考えなきゃいけないのは」。
沿岸部に住む高校生は自分たちの暮らす環境そのものが復興の中にある。常に周りの大人たちが、地元を立て直すために努力している。それを目にしながら毎日を送っている。だから、きっと震災を、復興を忘れない。でも、内陸に住む高校生は必ずしもそうではないかもしれない。
もちろん、大谷さんも震災からの約3年半、復興に関するニュースを目にしなかったわけではなかった。でも、目にはしていてもどこか他人事だった。
だけど、アメリカ留学の中で自分たちの未来や地元の未来について毎晩本気で仲間と語り合った。そして仲間の口から自分が見えていなかった岩手の現状を聞いた。他人事だった「復興」が、次第に目を背けられない自分事に変わっていった。
「すごいね」では終わらせない
「TOMOrrow Project」のメンバーは13人。人数比は内陸と沿岸の高校生がそれぞれ半数ずつで、帰国後も、盛岡市、花巻市、水沢市、八戸市、宮古市、山田町の岩手じゅうからメンバーが月に1回、盛岡に集まってミーティングをする。
彼らは両地域の高校生の目線から情報発信を行い、目的とする「内陸部と沿岸部それぞれに住む高校生の震災と復興に対する意識の溝を埋めること」に近づくために帰国後に情報紙の作成を始めた。メンバーが各地域に散らばっているため、頻繁に顔を合わせて話すことは出来ないが、2014年の秋からミーティングやSkype会議などを重ね、記事作成のための取材をし、2015年の4月に岩手県内のすべての高校に向けて「TOMOrrow Project 高校生が作る高校生のための情報紙」を発行した。
第一号の紙面には彼らがこのプロジェクトを始めた理由や、東北で行動を起こしている仲間のインタビュー記事を掲載した。自分たちがアメリカで受けたのと同じように、地元のために頑張る同世代の姿から刺激を受けて欲しいと思った。
しかし、反応は期待していたものとは少し違った。先生たちからは褒められたし、地元のメディアの人たちにも「すごいね!」と言われて取材をされた。でも、自分たちが一番伝えたかった高校生の友達の反応は「またなんかすごいことやってるね」そのぐらいの感想だった。
紙面で人の心を動かそうとすることは本当に難しい。そもそもどうやったら、沢山の高校生たちが興味を持って情報紙を読んでくれるのか、やはり紙面だけでは想いは届けきれないのか。できることなら情報紙だけでなく、自分たちが実際に沢山の場所をまわって会って想いを伝えることだってしたい。
作成の過程でも沢山の苦労があったが、第一号を発行してみると目標を達成するための更なる課題が見えてきた。
「僕たちの目的は『情報紙を作ること』ではないです。もっと沢山の高校生に震災や、復興に目を向けてもらって、地元のことを一緒に考えていきたい。情報紙を作ることは目的達成のための方法の一つでしかありません。だから、もっと色んな方法を試しながら、内陸と沿岸の高校生がもっとお互いに震災のこと、復興のことを話せるように。心から語り合えるように。そしてオール岩手で復興に臨めるようにしていきたいです」。
仲間がいるから
メンバーがミーティングの時にふと口にした。
「こんな話、学校じゃできない。ここだから安心して話せる」。
震災や復興の話を自分から持ちかけるのには少し勇気がいる。もちろん、当たり前のように話せる環境を学校につくっていくことが理想的かもしれないけれど、まずは安心して高校生が震災や、復興について話せる。そんな場所を少しずつ増やすことが必要なのかもしれない。
岩手の内陸で活動していると、東北で同じような志を持って活動している仲間と顔を会わせる機会はあまりない。そんな中、今年の3月に、冒頭で紹介した「全国高校生マイプロジェクトアワード2014」が開催された。
この大会では問題意識を持ってその解決に向けて行動を起こしている高校生が全国から東京に集まり、マイプロジェクトをプレゼンする。大会は全国から集まった仲間と共に合宿をしながら行われるため、自分のプロジェクトに対して様々なフィードバックをもらい、考えを深めることができる。それと共に、いつもはそれぞれの地域で顔を会わせることなく活動している高校生たちが、一同に会して刺激を受け合うチャンスでもある。
「TOMOrrow Project」のメンバーからは大谷さんを含めて二人が東京へ向かい、この大会へ出場した。そして彼らは最も共感を与えたチームに送られる「BEST ENCOURAGE 賞」を受賞した。前日も夜遅くまで話し込んで作ったプレゼン、本番では涙を流しながら岩手への想いを語った。
「この大会で一番印象に残っていることは仲間の存在を感じたことです。福島から1人でこの大会にやってきて『俺が伝える浪江町』というプロジェクトをプレゼンした山本幸輝君。アメリカ留学で出会って、帰国してからはずっと会ってなかったけど、すごく熱く語っているのを見て『離れてたけど幸輝もずっと頑張ってたんだ』ってすごく嬉しくなりました。やっぱり、東北で同じように頑張っている仲間とこういうカタチで再会するっていうのは嬉しいんです」。
他にも沢山の高校生たちから刺激を受けた。東北だけじゃなくて、全国にも社会に何かしらの違和感を持ち、その解決のために行動している仲間がいることを知った。すごく、すごく可能性を感じた。確かに自分たちの力は微力かもしれない。だけど、仲間がいれば本当に社会を変えていけるかもしれない。そう思った。
東北の仲間との出会いから行動を始めた大谷さん。行動を続ける中で沢山の出会いが生まれ、東北じゅうに同じ志を持つ仲間できた。いつもは離れているけれど、Facebookなどへの投稿を通して互いに刺激し合いながら活動を続けられるかけがえのない仲間たちだ。
震災後に活発になってきた東北での高校生の様々なアクション。4年が経って沢山の団体が生まれ、今ではイベントでの交流などを通してネットワークを作りつつある。「何かしたい」と思った時に一緒に行動できる仲間、悩んだ時に一緒に地元について話し合える仲間が東北じゅうにいる。
「地元で活動していると、褒めてもらえるのは良いけど、どうしても『また史也か』みたいな目で見られて、どこか僕たちの活動に線引きがされて同世代からは他人事のように見られている気もします。でも他の高校生と根っこは何にも変わらないんです。楽しいからスポーツをやったり、音楽をやったりするように、僕たちも岩手のことを考えるのが楽しいし、好きだからやっています。原動力はみんなと一緒、すごく単純です」。
別に何か特別なことをしている訳じゃない。する必要もない。何か行動する「きっかけ」があったか、なかったか、それぐらいの違いだ。だからこそ彼は情報紙の発行を通して読み手の高校生に、地元について考えるきっかけを届けようとしている。
「もしも東北じゅうの仲間がいなかったら、今頃僕は何をしていたのか本当にわかりません。やっていることも、地域も違うけど『根っこ』が一緒の仲間の存在が僕のことを支えてくれています。だから東北で、いや全国でも、もし復興に関心のある人がいたら是非声をかけて欲しいですし、一緒に何かしたいです。もっともっと『根っこ』が同じ人たちが仲間になっていったら、オール東北、オール日本で復興を進めていけると思います」。
大谷さんはくり返し「仲間」について語ってくれた。1人じゃ不安になることも、とてつもなく微力かもしれないことも、仲間が入れば心強い。仲間がいれば変えていける気がする。
彼がアメリカに渡航してから、まもなく1年が経つ。震災後に始まった留学プログラムは2015年に4回目の実施が予定されている。留学メンバー1期生から3期生までが入っているFacebookグループには今年の夏に渡航する4期生が加わり、自己紹介が始まった。彼らの中からもきっと、3週間の学びの後、東北で何か行動を起こす高校生が現れるだろう。
地域という横の繋がりに加えて、年齢を超えた縦の繋がりも生まれている。
地域を超えて、世代を超えての「仲間」の輪が広がっている。そして、その“東北”という仲間の繋がりは今日もどこかで誰かを勇気づけ、誰かのやる気を刺激し、誰かに行動するきっかけを届けている。
文/西村亮哉 福島県立安積高校在学中
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