震災以降立ち上がった東北の団体のリーダーの元に、若手経営人材「右腕」を3年間で約200人派遣してきた「右腕派遣プログラム」。東北で活躍する「右腕」とリーダーのインタビューを紹介します。
宮城県石巻市で、子どもたちの居場所・遊び場づくりをおこなっているNPO法人にじいろクレヨン。前編に引き続き、一緒に活動する2人の若手スタッフと、事務局長の柴田礼華さんにお話を聴きました。(前編はこちら)
まずは、事務局スタッフ最年少・19歳の長谷川悠(はるか)さん。市内の石巻専修大学に通う1年生で、石巻市湊地区の出身です。この日は、お絵かき教室「ゴコッカン」に通う生徒一人一人の写真を、毎月分差し込んだカレンダーを作っていました。
ーにじいろクレヨンとの出会いはいつ頃ですか?
代表の柴田さんの著書は読んだことがあったので、名前は知っていたものの、初めて会ったのは2014年5月、大学の授業の一環でした。その後、大学のサークルで運営するプレーパークを通じて何度か現場でご一緒して、今年の1月から本格的に事務局に関わっています。
正直、私自身は外で遊ぶタイプでもないので、室内で仕事をやっているほうが安心しますね。もちろん活動も好きなんですけど、ほぼ観察で、活動を全体的に見て、ここがこうなるといいと思います、という助言みたいなことをしています。
ーにじいろクレヨンの活動は、どんなふうに見えていますか。
遊びに来ている子どもたちの生活の一部になってるなと思います。現場に行くと、「今日はにじいろの日だから、早く学校から帰ってきた!」という子どもが必ずいて、ここまで子どもに必要とされる場を提供していることはすごいなと思います。子ども関係の団体のスタッフというと、ただ遊ぶだけだと思われがちですが、本当はもっと奥が深いんです。にじいろクレヨンでは、大人が子ども一人ひとりを見て接していて、そんなスタッフの手助けをしたいなというのが、今私が関わっている理由です。
たとえば、「ゴコッカン」のスタッフには、お絵かきの準備に集中してほしいので、それ以外、そのスタッフがやらなくてもいい仕事は、自分がやろうと思っています。縁の下の力持ちポジションが、自分にはしっくりくるんです。中学校時代に生徒会活動をしているときに、ここはもっとこうすればいいのにな、と気になることがたくさんありました。最初は我慢しちゃってたんですけど、ちゃんと言ったほうがみんなのためになることがわかって、そこからどんどん意見を出して自分がやるようになりました。にじいろでもそういう動き方ができるので、楽しいです。
ー手応えを感じる時や、やりがいに思うことはどんなことですか?
自分は褒められると伸びるタイプなので(笑)、にじいろでは、何かひとつ仕事を終えるたびに必ず「ありがとう」とか、「本当に助かった」とか言ってもらえるのが嬉しいです。
ーそれは嬉しい声かけですね。ありがとうございました。
カレンダーの印刷後の仕上がりを確かめ、修正事項を自分で工夫する仕事ぶりは、とても19歳には思えなかったのですが、褒められて嬉しい、と笑う様子は可愛らしい大学生でした。
もう一人は、お絵かき教室ゴコッカン事業を担当している徳田なるみさんです。仙台出身、東北生活文化大学在学中にボランティアとしてにじいろクレヨンに関わり、大学卒業後の昨年4月からスタッフとして働いています。
今は、仙台から高速バスで通っています。去年の3月まで東北生活文化大学で、美術を専攻していました。にじいろクレヨンの活動には、大学2年時の2011年6月から関わっていて、最初に知ったきっかけは大学の教授の紹介です。子どもも絵も好きだったので、興味を持ちました。活動自体は2ヶ月で一区切りでしたが、それ以降も続けたいと伝えて、今に至ります。
とはいえ、卒業後もにじいろクレヨンで働くことには、迷いもありました。親に最初の職場がNPOで大丈夫なのかと心配されたこともあるし、ちゃんと自分が貢献しながら働いていけるか不安もありました。それでもにじいろを選んでよかったなと思うのは、大学入学時から興味のあった子どもと美術の両方に関われていることと、子どもたちがチャレンジする機会があって彼らが次の段階に進む様子をそばで見られることです。子どもたちと遊んでいると、たまにぼそっと愚痴を聞かせてくれることがあります。子どもにとって、そういう話ができる相手でいられるのが嬉しいなと思います。
私たちは、子どもや住民さんと一緒に楽しんでいます。何かをしてあげるという関わり方じゃなくて、一緒に楽しく時間を過ごすのが仕事というか。リーダーの柴田さんは、年齢とか関係なく、チャンスをみんなにくれる。成長の機会を見守ってくれているような存在だなと思います。
ーありがとうございました。自然体の徳田さんに安心感をおぼえている子どもたちは多いような印象を受けました。
最後に紹介するのは、柴田さんの一番のサポーターである礼華さんです。「石巻こども避難所クラブ」として始めた活動からしばらくして、「にじいろクレヨン」という団体名に変更したのは、代表・柴田滋紀さんの妻・礼華さんのアイデア。“限りなくグレーに近い色合いをした避難所に、夢のある七色の彩りをもたらしたいとの願いから名付けられた、子どもたちが元気いっぱいに夢を描くためのにじいろのクレヨン”(著書・「にじいろクレヨンが描いた軌跡」より)は、明るく朗らかな礼華さんの存在そのもののように思います。
ー礼華さん、活動に関わるまでの経緯を教えてください。
震災の当日は、実家のある山口県にいました。一週間後の3月18日から約一ヶ月間は石巻に滞在、にじいろクレヨンの立ち上げに関わりました。私の友人でNPOの代表をやっている方に、NPOを立ち上げるのに必要なことは何かを尋ね、書類や印鑑の準備など、その他何でもです。家族が経営するホテルの仕事があったため、4月以降は3ヶ月に1回くらい石巻に通う生活で、正式ににじいろクレヨンに関わるようになったのは、2012年の2月から。震災で石巻の自宅もお絵かき教室も流されてしまったので、山口に引っ越す話もあったのですが、柴田としては、やっぱり石巻を離れるわけにいかないということになり、私が帰って来ることになりました。
2012年2月、当時高校3年生でにじいろ活動の現場リーダーを務めていた柴田の甥っ子が、大学受験をすることになったので、その後任として入りました。毎日子どもたちと遊びながら、いくつかの仮設住宅団地の住民さんたちとの関係構築をしていました。徐々に、住民さんも一緒に子どもたちを見守るコミュニティが形成され、今も続いています。
ー代表の柴田さんにも前編でお聞きしましたが、活動当初からにじいろクレヨンの組織基盤が少しずつ整ってきて、ここから次のフェーズに向かう上でどんな右腕の方が参画するといいでしょうか。
子どもと直接関わる仕事の経験がなくても、子どもの健全育成というテーマに興味がある、コミュニティに興味がある方には、よい現場だと思います。また、子どもだけでなく、人に関心があり、人の心の在りようや組織を動かす難しさをわかっておられる方が、いいんじゃないかな。代表とスタッフの間を取り持つポジションになるので、立場の違う人の意見を聞いて自分なりにうまく整理できる方のほうがいいかもしれません。
私たちの活動に関わることによって、人生をいろんな方向から見ることができると思います。私自身も、自分が生きることの意味や、人と関わりながら生きていることを日々実感して、人生がどんどん豊かになっています。毎日がご縁の連続で、成長するチャンスがたくさんあります。右腕に興味を持っていらっしゃる時点で、社会や自分の生き方に対して高い意識を持っている方だと思うので、そういう方と一緒に子どもたちのために新しいうねりをつくることが今から楽しみです。まだまだこれからその流れが始まるところで、苦しいこともありますが、そんな状況もひっくるめて楽しいね、と一緒に言いあえるような方を待っています。
聴き手・文:辰巳 真理子(ETIC.コーディネーター)
記事提供:みちのく仕事(NPO法人ETIC.)
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