古須賀商店
宮古湾の内側、閉伊川が海に注ぐすぐ手前に建つ古須賀商店は、江戸時代から海産物業を営み、今は水産加工物の製造販売を行なっています。宮古の特産品をさまざまに加工して全国に届けたいと、「おいしいから繰り返し買いたくなる物づくり」を信条に、観光みやげだけでなく、地元の食卓を彩る数々の逸品を作り出しています。
老舗海産物業者が昭和の時代から水産加工業に
古須賀商店は江戸時代から続く老舗。現社長の古舘誠司さんにその歴史と、今、宮古の水産加工について伺いました。古舘さんは手書きの系譜を指しながら、「昔は宮古でとれた海産物を石巻あたりまで運び、かわりに米を持って帰るという廻船問屋でした。文政十年(1828年)まではさかのぼって確認されています」というから相当の歴史です。安永2年(1773年)に亡くなった先祖がいることもわかっていて、その歴史は300年以上とのこと。
昭和23年(1948年)、先代であるお父様の善一さんが魚の加工業を始めました。最初は魚をゆでて絞り、乾燥させて粉状にした「魚かす」、今でいう「フィッシュミール」(肥料や飼料にする魚の加工品)を製造し流通させていました。食料加工に進出したのは、冷蔵庫が普及し始めた昭和40年代だそう。
現在のような商品を加工し始めたのは約8年ほど前からです。最初は、宮古で揚がる鮭でイクラの加工を始めました。次に、港に揚がる新鮮なサンマで「〆秋刀魚」を作ると、鮮度のよさと酢の締め加減が大好評。さらに、「秋秋刀魚みりん干し」は、古須賀商店秘伝のたれと絶妙な干し加減でこれもたちまちヒット商品になったそうです。
ほかにも、鮭の蔵干し「熊之助」という創業者の名前にちなんで命名した自慢の品は、蔵でじっくり熟成させるので微生物が鮭のうまみを引き出し、他では食べられない珍味です。しょうゆと唐辛子、麹を合わせた三升漬け床にイカの切り身を漬け込んだ「真いかの三升漬」は、ごはんにも酒の肴にも合う一品で、どれも宮古の鮮魚を使った商品ばかりです。
宮古でとれる海草を使って新商品の開発を
幅広い水産加工品を手がけている古須賀商店ですが、最近では「地元の海草を主流にやっていこう」と思っているそう。きっかけは、古舘さんの先輩から「宮古の特産品を作らないか」と誘われ、「それだったら『宮古の特産品を作る会』を始めようということになったんです」と振り返ります。
「ホテル関係者や商工会議所のメンバーなどが加わって会が発足、いろいろ試行錯誤しましたね」という古舘さん。当時、浄土ヶ浜パークホテルで腕をふるっていた料理長からのアイデアで作ってみたのが「茎ワカメのレモン漬け」です。
さわやかな酸味でなかなかの出来上がりだったので、早速、その会で試食してもらうと、好評を得ました。そして、あるレストハウスの支配人に「しょうがと一緒に漬けるのもやっては?」と言われ、次に試作したのが「わかめの生姜漬け」。茎ワカメの歯ごたえにしょうがの香りと辛みがぴったりで、ごはんにはもちろん、酒の肴にもなり、ヘルシーなこともあって予想以上の人気商品になりました。それなら、と「メカブの生姜漬け」も開発した古舘さん。しょうが漬けシリーズは古須賀商店の人気商品に育ちました。
「わかめの生姜漬け」は岩手生協の目にとまり、アイコープのプライベートブランド「味付 茎わかめ(しょうが味)」としてデビューを果たしました。「製造者として古須賀商店の名前も出ていますし、多くの人に食べてもらえるのもうれしかった」という古舘さん。ごま油の風味を生かした中華風の第2弾、「味つけ茎ワカメ中華味」も生み出し、これも生協では評判の一品です。
震災で設備は壊滅したが、工場は残った
震災は、加工品開発が軌道に乗り始めた矢先のことでした。工場は1階部分が完全に浸水、建物は持ちこたえましたが、冷蔵庫や機械類はみな水没し、材料もすべてだめになりました。
「親父は太平洋戦争、キャサリン台風、アイオン台風とたびたび災難に遭い、アイオン台風では家族も亡くしています。十勝沖地震、チリ地震、今回の津波で浸水だけでも3度目です。でも今回は家が残っただけいい」と、思いがけない話をする古舘さん。今回の震災では、機械化が進んでいた分だけ被害の額が大きかったことも事実だそうです。
しかし、すぐに再興に向けて行動を起こします。「4月には最低限必要な設備を発注しました。それから片付けにとりかかり、6月2日には仕事も再スタートしました。商売を続けていくことに迷いはなかった。もっと早く始めたかったけれど、電気も水道もこない状況で身動きがとれなかったんです」と古舘さん。機械用の電気がきたのが5月26日、真空包装機が届いたのは7月だったそうです。
「いちばんうれしかったのは、業務を始めたら、以前の従業員がみんな戻ってきてくれたこと」。
古舘さんは従業員の方々と一緒にがんばり続けています。
独自の味付けや加工法で地元の海草を生かしたい
「準備は始めましたが、原料がなかったんで製造は次の年からと思っていました。ところが9月、田老町の漁協が船を出して天然のワカメを収穫してくれた。早めに準備をしていたことが幸いし、すぐにしょうが漬け作りを再開することができたんです」と当時の驚きと喜びを思い起こす古舘さん。
養殖業者の方々が震災後すぐにワカメの種付けをして育て始めたということも驚きです。がれきと泥の中、「まず自分たちががんばっておけば後が続くと言って、すぐに網の修理から始めて、とにかく動きが早かった。私たちはただ頭が下がる思いでした」と、再びこみ上げる感謝を口にします。
「復興といって日本中の注目が集まっていた時期もありますが、今は意識していません。普通にがんばっていかなければ」と古舘さん。地元には海草で有名な漁港があるのだから、それで商品を作っていきたい。そのために、独自の味付けや加工法を開発することが古舘さんの今の方向性です。最近では「わかめ佃煮」を商品化したそう。
「みんなに『珍しい、見たことない』と言われ、おもしろいんじゃないかなと期待しています」。
「古須賀商店」を選んでもらいたい
古須賀商店そのものをブランドにしていくのが目標です。オリジナルは利益もあるが責任もあります」と商品開発に真摯に向き合っている古舘さんは、自社商品を長く販売し続けることを目標にしています。
「今は海の駅やレストハウスなどに置いてもらい、観光客が買ってくれます。結構売れているんですよ」と言うので、訪れる観光客の数に左右されるのでは?と聞いてみると「おいしいと思ったら表示を見て直接電話をくれます」と予想外の答えが返ってきました。
「そういうリピーターを増やしたいですね。うちは今のところ受注は電話とFAXなんですけど、それでも結構注文がきます。反響があることがうれしい」という古舘さん。最近は『取り寄せ』が一般的になってきている風潮も追い風になっています。物産展などの催事も同様で、都内のデパートなどで買って「おいしかったから」と直接注文してくれる人も増えているそうです。
形や量、パッケージなどを変えることで、販路や客層の分析もしているという古須賀商店では、これまでは1サイズだった商品に、ちょっと小さいサイズを作ったり、カップ入りにしたり、バリエーションをつけてみると、売れる場所も買ってくれるお客様にも幅が出ることがわかってきたそう。「保存性はどうか、包装材料の価格は見合っているかなど、パッケージと販路の関係が難しいけれど、可能性がある」と実感しています。
古須賀商店の長い歴史の中で、まだまだ始まったばかりの食品加工。宮古という地の利を生かした海産物のなかでも、海草を使ったオリジナル商品作りにチャレンジを続ける古舘さん。地元の仲間と力を合わせ、時には切磋琢磨して、宮古ならではの特産を次々に生み出してくれるに違いありません。
古須賀商店
〒027−0021 岩手県宮古市藤原二丁目2−41
電話0193−62−2634
FAX0193−64−1251
記事提供:NTTdocomo「笑顔の架け橋Rainbowプロジェクト」
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