震災以降立ち上がった東北の団体のリーダーの元に、若手経営人材「右腕」を3年間で約200人派遣してきた「右腕派遣プログラム」。東北で活躍する「右腕」とリーダーのインタビューを紹介します。
福島県いわき市の海沿いの町、豊間(とよま)地区。海の見える風光明媚な高台に住宅地の造成も始まり、地域の復興に向けた具体的なまちづくりがスタートしようとしている。東日本大震災で甚大な津波被害を受けたこの地の復興を担う「ふるさと豊間復興協議会」は、町の世話役たちが立ち上げた復興まちづくり事業のプロジェクトチーム。意思決定の速さ、そしてベテランならではの知恵と経験で復興をリードしてきたが、今後は若い世代の移住を促進させるため、新たに右腕を募集することになった。豊間が求める右腕とは。遠藤守俊会長にお話を伺った。
震災後4ヶ月で、住民全員の仮住まい先の名簿が完成。綿々と続いてきた隣組の力。
―豊間地区というと、いわき市内でもっとも甚大な津波被害のあった場所ですね。これまでの4年半の歩みは復興協議会にとっても苦難の連続だったかと思いますが、まずは、発足の経緯や現在の取り組みについて教えて下さい。
はい。豊間地区は、いわき市でも被害の一番大きかった地区です。死者は85名、地区の620世帯のうち、およそ3分の2の世帯が全壊という、非常に甚大な被害を受けました。しかし、いわき市の中心部から少し離れていることもあり、なかなか物資も入ってこないし、復興についての具体的なビジョンも提示されない状況が続きました。そこで自分たちで動こうと、2011年の8月に協議会を設立して、独自に復興計画を作って市に提出したり、住民説明会やワークショップを繰り返し開催してきました。その中で、やはり「若い世代や子どもが戻れるまちを作る」ことを目指したいということになり、現在は「とよマルシェ」という復興商店街を運営したり、「漁師めし」を活かした産品を開発したり、働く場とにぎわいをつくるためにさまざまな活動をしています。
―自治体が具体的な案を示す前に、自分たちで計画を作って提出するというのはとてもスピーディな動きですね。住民の意見を集約したりするのも大変なご苦労があったはずですが、なぜ豊間地区の動き出しは速かったんでしょうか。
まず、地区内の区長はじめ町内会長などをやっていた人間が復興協議会のメンバーになっていることが大きいと思います。もともと豊間には10の町内会と52の隣組があったんですが、その組織のおかげで、被災の翌日から1週間くらいで安否確認や地区内の誰がどこに避難しているかの把握が進んだ。これには自治体もびっくりしていました。地域の中で長年住民の自治に関わってきた人間ですから、「これやっぺ」と誰かが提案すれば、「わがった、やっぺやっぺ」とすぐ決まります。意思疎通が速いんです。これだけ素早い動きができたというのも、住民自治がしっかり確立できていた豊間だからこそだと思いますよ。
―2015年には、念願の復興商店街「とよマルシェ」も完成しました。反応はどうですか?
おかげさまで県内外からお客様も来て頂いて、大変ありがたいです。一方で、こうした商店街の運営の難しさも感じています。当初、住民ワークショップを開催しているときに、「家が新しくできてもモノを買えるお店がなければ帰れない」という意見が多く、また近くに災害公営住宅(復興住宅)もできましたので、やはり商店は必要だという判断で「とよマルシェ」を建てたのですが、「被災事業者しかお店を開けない」という仮設店舗の助成金制度の制約もあり、これまで仕入れや販売をやったことがない人たちが苦肉の策で運営しているところが多いんですね。経営を軌道に乗せていくために、やらないといけないことは、たくさんあります。
住民自治が根付いているから、若者も活躍できる。
―震災後、若い世帯がなかなか戻らないと聞きます。避難した地域で、新たな仕事をしていたり、子どもの通学の問題があったりと、それはそれで仕方ないこと思いますが、地域としては若者も活躍しているのが、健全ですね。若者を町に呼び込むプランも考えているのですか?
現在造成している区画がすべて埋まるということはないので、一部を若い世帯に格安で提供するとか、豊間地区で店舗などをつくる場合は優遇措置をとるとか、まずはハードの面で、若い人たちにバトンを受け渡せる舞台を整えたいと考えています。若い人たちの流出というのは本当に深刻で、このままでは豊間は限界集落になってしまう。ですから、県内外の若い人たちが、豊間に住んでみたい、豊間でチャレンジしてみたいと思ってもらえる町にしないといけない。そのためには、まずは道の駅やコミュニティスペースのような交流の場をつくること、そして新しく住まう人の受け入れを促進させる施策。この2本の柱で取り組んでいきたいと考えています。
―豊間は海も美しいですし、夏は涼しく冬は雪も降りません。アーティストが滞在したり、おしゃれなお店などができれば一気に魅力が高まりそうですね。例えば鎌倉のような、ブランド力のある海沿いの町にも育っていきそうです。
そうなんです。ゼロからまちを作れる今だからこそ、若い人たちに右腕として関わってもらいたい。なにせもともと住民自治の根付いた地区ですし、意思決定のスピードは速いです。地元の人脈や資源を最大限使うことができるよう私たちも全力でサポートできるのも強みですね。ゼロからまちづくりに関われるということは、なかなか経験できることではありません。わたしらで足下は支えるからどうぞ好きにやって下さいと(笑)、そんな気持ちで若い感性をどんどんサポートしていきたいと思っています。
地域プロデューサー、求む!
―右腕となる人材には、どんな役割を期待をしているのですか?
まずは「とよマルシェ」にあるお店の運営を任せつつ、この拠点から、ぜひまちづくりにも関わってもらいたい。住宅地の造成も完成まであと2年ですし、今はいわば「まっさら」の状態です。こんな場が作りたい、こんなことがやってみたい、こんな風にしたら移住者が増えるんじゃないか。昔から地域のつながりが強く、このまとまりでこの規模だからこそ、そんなアイデアが通りやすい環境にあると思います。たとえば地域プロデューサーとしてのフィールドを探している方にとっては、またとないチャンスになると思います。
―まちづくりに関わるには、相当なエネルギーやアイデア、発想力が必要とされますね。とてもハードルが高そうにも思えますが、まちづくりにゼロから携われるというのは、とんでもなく大きな魅力です。しかも、復興協議会の皆さんがさまざまなサポートをしてくださる。チャレンジしやすい土壌があるわけですね。
それができるのが豊間です。確かに被害は大きかったけれども、もともと豊間はサーフィンで有名だったように、風光明媚なロケーションは若い人にもとても人気でした。そこに、いわきの豊かな物産をフル活用して、交流の拠点となる場をつくっていきたいと思っています。豊間は東北で一番カッコいい町になれる。そのまちづくり事業の右腕として、ぜひわたしたちの復興に携わってください。
書き手・写真 : 小松 理虔(フリーライター)
記事提供:みちのく仕事(NPO法人ETIC.)
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