11月2日。岩手県釜石市の水産加工品ブランド化プロジェクトの商品発表会が都内でおこなわれた。
今回発売された海鮮中華まんじゅう「釜石 海まん」は、釜石市内の食品製造・加工会社6社(*1)で構成された「釜石六次化研究会(現、KAMAROQ株式会社)」がキリングループの支援を受け共同開発した商品。市内の道の駅や小売店、また県外では三越伊勢丹、さらに「釜石六次化研究会」が中心となり発足されたKAMAROQ株式会社のサイトで販売される予定だ。
釜石市長や、全復興大臣政務官の小泉進次郎衆議院も出席したこのイベント。誰よりも長くマイクを握っていたのが、KAMAROQ株式会社の代表取締役の中村博充さんだ。28歳、かつ大阪出身のヨソモノである中村さんは、どのようにして市をあげた一大プロジェクトの代表になったのか。
「連携」をしっかりと定義する
中村さんは、2013年4月に釜石市による外部人材を活用し地域づくりを行う「釜援隊(*2)」に参加する形で釜石に着任。現在のKAMAROQ株式会社の母体となった釜石六次化研究会の支援を担当した。「その頃の六次化研究会は、連携してまちづくりをしたい、という思いはあるものの、まだ具体的な方向性を持てないでいた」と振り返る。
自身の役割を中村さんは「雑用係だった」話す。議事録をまとめたり、会議のための資料作りなど、そうした役割をすすんで引き受けることで、地域の人たちの信頼を得るのに汗をかいた。
また、このプロジェクトのポイントでもある、業種の違う6社の連携については、「連携と言う言葉をしっかり定義することが重要だった」と話す。「それぞれの会社の強みが何か。そして本業がある中でどこまでこのプロジェクトにコミットできるのか。ヒヤリングに徹しました」。
そうしてつくりあげたのが、それぞれの強みと、プロジェクトに必要な機能をマッピングしたマトリクス図。そして、三陸いりや水産の宮崎社長がイニシアチブを取るという体制の合意だ。かけ声で終わることも少なくない「連携」を、作り出していくモノのイメージや体制という形に落とし込んでいった。
プレイヤーとしての覚悟
こうした献身的なサポートが認められ、中村さんは、法人化にあたり研究会のメンバーから社長就任を打診された。
「驚きつつも、やってみたいという思いが大きかったし、うれしかった」と、中村さん。「不安もあったが、オファーを受けたということは、頑張ればできる領域にあると考え快諾しました」。それまではコーディネーターの名刺を持ち、地域の方々を支える調整役として動いていたが、成功も失敗も責任が問われる「地元の当事者」になる覚悟を決めたのだという。
「釜石に限らず多くの地域で、コーディネーターやサポーターになる人はいても、プレイヤー(当事者)になる人は少ないと思うんです」。と中村さん。ソトモノの若者である自分が社長を引き受け事業を成功させれば、良き事例となれる。プレイヤーになることに興味を持ってくれる人が増えてくれることを期待している。
「釜石海まん」は、初年度で4万個の販売を目標としている。ロールモデルとなったのは、地域活性の好事例として知られる高知の株式会社四万十ドラマが手がけるある商品だ。「しまんと地栗モンブラン」は、道の駅とECサイトのみで4万個を売り上げた。中村さんは、この地域活性事業の視察のため、高知の四万十へも足を運んだのだという。「釜石 海まん」は、先例を超え大きく羽ばたけるか。プレイヤーとしての覚悟を決めた若き社長と海まんの今後に期待したい。
*1 構成された6社=有限会社リアス海藻店、株式会社浜千鳥、三陸いりや水産株式会社、有限会社ヤマキイチ商店、有限会社小島製菓、藤勇醸造株式会社。
*2 釜援隊=地域づくりを進める復興支援員、「釜石リージョナルコーディネーター」の集合体。
写真・文/河田由規
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