後世に残したい、奇をてらわない酒造り

[笑顔の架け橋Rainbowプロジェクト]

main_image榮川酒造株式会社
明治2年創業。日本でわずか数蔵しかない、仕込み水に日本名水百選を使っている酒蔵です。自然に育まれた水と、杜氏の手仕事を大切にした酒造りを続けています。そのこだわりが詰まった『大吟醸榮四郎』は、創業者 宮森榮四郎氏の名を冠した一本。モンドセレクション最高金賞を2007年から9年連続受賞するなど、高い評価を受けています。

名水との運命の出会い

日本名水百選を仕込み水に使っている酒造は、日本にわずか数蔵。その一つが榮川酒造です。日本百名山である会津磐梯山の麓で、日本名水百選である龍ヶ沢湧水を使って酒を造る――。この素晴らしい環境は、酒造りを追求してきた結果でもあり、また運命の巡り合わせがもたらしたものでもありました。

“奇をてらわず、基本に忠実に”というのが榮川酒造の酒造りです。それに何よりも欠かせないのが、酒の根幹を成す“水”。創業当初、酒蔵は会津若松駅の近くにありました。しかし、徐々に街の開発が進んでいることに懸念を抱いた先代の宮森久治さんは、「このままでは、酒造りに欠かせない水が影響を受けてしまう」と移転を決意します。そして自ら会津一円の水源地に足を運び、一つ一つ調査を重ねました。そうして見つけたのが現在の場所、磐梯町だったのです。

酒蔵の移転を決めた直後、磐梯町を流れる龍ヶ沢湧水が日本名水百選に指定されました。もし調査が少しでも遅れ、既にこの地が名水百選に指定されていたら、龍ヶ沢湧水を使うことはできませんでした。この水と榮川酒造とは、運命で結ばれていたのかもしれません。

地下100mから汲み上げている水は、数十年もの時間を経て自然にろ過され、安定した品質を誇ります。

地下100mから汲み上げている水は、数十年もの時間を経て自然にろ過され、安定した品質を誇ります。

酒造がある磐梯町は、市街地から離れ、スキー場の近い山間部に位置しています。人には不便な環境ですが、酒造りに最適な環境です。

酒造がある磐梯町は、市街地から離れ、スキー場の近い山間部に位置しています。人には不便な環境ですが、酒造りに最適な環境です。

日本人ならではの手仕込みにこだわる

日本酒の大きな特徴は、原料である米の善しあしが酒の出来に直結するわけではないということです。例えばワインは、葡萄の出来が品質に大きく影響しますが、日本酒は“人”の技術でカバーすることができるのです。

ですから榮川酒造では、人の手にこだわった酒造りを行っています。榮川酒造の杜氏たちは、よく「酒造りは子育てと同じ」と話すそうです。同じ環境で育てても、決して同じようには育たない。一人一人を見つめ、それぞれに合った育て方をしなくてはいけないから…と。同じ米、同じ酵母を使っていても、昨日と今日では環境が違います。ですから発酵の様子を自らの目で確かめ、香りを嗅ぎ、五感をフル活用して酒を育てています。

技術の進歩により、今では杜氏の技術もある程度機械化できるようになりました。しかし、榮川酒造では人の手による酒造りにこだわっています。五感を使った繊細な作業は、「日本人ならでは」のものだからです。余分な手間がかかったとしても、日本人として、日本人にしかできないことをずっと続けていきたい――。それが、榮川酒造が手仕込みにこだわる理由です。

米や麹の品質は、杜氏たちの目でしっかりとチェックされています。

米や麹の品質は、杜氏たちの目でしっかりとチェックされています。

酒の元となる、「酒母(しゅぼ)」が眠っています。酒母とは、米・麹・酵母菌・仕込み水を混ぜたもの。

酒の元となる、「酒母(しゅぼ)」が眠っています。酒母とは、米・麹・酵母菌・仕込み水を混ぜたもの。

発酵中の酒をかき混ぜる櫂入れ(かいいれ)の様子を説明する宮森社長。どの程度混ぜるかは、杜氏の感覚が頼りです。

発酵中の酒をかき混ぜる櫂入れ(かいいれ)の様子を説明する宮森社長。どの程度混ぜるかは、杜氏の感覚が頼りです。

震災を経て強まる、「地酒屋」としての誇り

社長の宮森優治さんは、「うちは地酒屋です」といいます。地元に根ざした地酒屋としての取り組みの一つが、地元・会津産の米を使うこと。米農家の人たちと定期的に勉強会を開き、おいしい酒につながる米作りを模索してきました。 震災が起こったのは、そんな取り組みの真っ最中のことです。 震災は3月。4月後半に田植えを控えた時期でした。風評被害に悩まされ、作った米を出荷できるかどうかもわからない農家の人たちは、「今、本当に米を作っても良いのだろうか…」と途方に暮れていました。

頭を抱える農家の人たちの前で、宮森さんはきっぱりとこう言いました。
「作りましょう!」

地元・会津で収穫された稲が飾られています。「おいしい酒を造り、地元の米の評価を高めていきたい」と宮森さん。

地元・会津で収穫された稲が飾られています。「おいしい酒を造り、地元の米の評価を高めていきたい」と宮森さん。

たとえ出荷できなくても米はすべて買い取る、放射能検査の費用も出す。宮森さんは地元の農家の人たちとそう約束したのです。「何の根拠もありませんでした」と宮森さんは振り返ります。「ただ、作らなければ、結果は間違いなくゼロです。それならば、少しでも可能性があることをしたかった」

宮森さんの強い言葉に励まされた農家の人たちは、米作りを始めました。そして、その年に作られた米は、無事に榮川酒造の酒に使われることとなったのです。

宮森さんの強い言葉に励まされた農家の人たちは、米作りを始めました。そして、その年に作られた米は、無事に榮川酒造の酒に使われることとなったのです。

一家に一本、日本酒を

ビール、ワイン、焼酎、カクテル。お酒の選択肢が増えた今だからこそ、改めて日本酒のおいしさを知ってほしいと宮森さんは考えています。

今年で13年目となる『立春朝搾り』は、日本酒の魅力を広く伝えていくための取り組みの一つ。2月4日の立春の日に、その日に搾った酒を瓶詰めし、神主さんからお祓いをしてもらい、その日のうちにお客様へ届けるというものです。一昔前なら、搾りたてのお酒が飲めるのは杜氏に限られていました。そんな珍しいお酒が飲めるとあって、年々お客様からの人気が高まり、今年は1万7,000本を出荷しました。

昨年の『立春朝搾り』。前日の夕方から準備を始め、朝の出荷に向けて徹夜で作業をするそうです。

昨年の『立春朝搾り』。前日の夕方から準備を始め、朝の出荷に向けて徹夜で作業をするそうです。

毎日の暮らしに、日本酒がそっと華を添える。宮森さんが目指すのはそんなお酒です。「一家に一本で良いので、家庭に当たり前のように日本酒が置いてあるようにしたいんです。一日の終わりに日本酒を飲むことを、日々のささやかな幸せと感じてもらえたらとてもうれしいですね。ですから、お祝い事の時に飲む特別なお酒だけではなく、毎日飲んでも飽きがこない、手に取りやすいお酒も追求しています」

すべての家庭に日本酒を――。そんな夢を胸に、宮森さんは真摯にお酒と向き合い続けています。

酒造の横にある試飲直売所「ゆっ蔵」。以前使っていた蔵をそのまま利用しています。

榮川酒造株式会社
福島県耶麻郡磐梯町大字更科字中曽根平6841-11
電話:0242-73-2300
URL:http://www.eisen.jp/

記事提供:NTTdocomo「笑顔の架け橋Rainbowプロジェクト」