東日本大震災と向き合い3月11日を「はじまり」に変えた30人の夢を掲載した書籍『3.11からの夢』とのコラボ記事です。
「被災者」ではない私になりたい
私は震災当時、宮城県の女川町に住む高校1年生でした。
あの日、母は「今まで1度もここまでは津波がきたことがないんだから大丈夫」と言いました。家は海から2キロ離れていたということもあり避難はせず、家族と車の中で余震がおさまるのを待つことにしました。
しかし、突然あたりが暗くなり、ふと後ろを見ると、すぐそばまで黒い波が迫っているのが見えました。あっという間に車ごと津波に流され、下からどんどん水が入り込んできました。どうにかして脱出しなければと思い、必死でドアを開けようとしましたが、水圧に押されびくともしません。逃げ場のないこの状況に、16歳で初めて「死」を意識しました。偶然、車が木にぶつかりサイドガラスが割れ、そこから脱出できましたが、あたり一面が海になっていて足がつきません。必死で流れていた木の板につかまり浮いていました。すると、今度はものすごい力で海の方へと波が引きはじめました。その力には抗うことができず、ただ潮の流れに身を任せることしかできませんでした。
その後、奇跡的に足のつく場所に流れ着くことができましたが、一緒に居たはずの母、祖父、姪の姿がありませんでした。町を見渡すと、今まで生活してきた故郷の姿はありませんでした。
避難所の体育館で生活するようになってから毎日行っていたこと。それは家族の捜索でした。
少しでも特徴の似たご遺体があるという情報があればすぐに向かい確認しました。当時16歳の私には非常につらい作業でした。4月中に祖父と姪を見つけることができましたが、母を見つけることはできませんでした。
いわゆる震災孤児となってしまった私は、徐々に活力を失い、閉じこもるようになってしまいました。
それから1カ月後、避難所で寝てばかりだった私に、夢のきっかけとなる出来事がありました。同じ避難所にいた先輩から「ラジオ局のボランティアをしてみないか」と誘われたのです。
女川町は町の8割が流失してしまったため、地元の情報を伝える手段がなくなっていました。そこで、臨時のFMラジオ局をつくって町に必要な情報を伝えようという動きがはじまっていたのです。ラジオの経験などありませんでしたが、「何か生きる目標が見い出せれば」と思い、やってみることにしました。
初めての出演は、母の日でした。
「お母さんへのメッセージを伝えよう」というコーナーでした。マイクを前にすると、自然と「行方不明で、今どうなっているのかわからないけれど、16年間育ててくれてありがとう」という言葉が出てきました。自分の気持ちを話すのは初めてだったので、反応が怖いなと思いながら避難所に戻ると、ラジオを聞いてくださった方から「私も同じよ」と声をかけてもらいました。そのとき初めて、「みんな一緒なんだ」「甘えていいんだ」と思えました。
それまでは、だれにも心の内を吐き出せず、聞くこともできずにいたので、本当に苦しかったのです。けれど、この放送を機に町の人との距離が縮まりました。放送後に「ヘタクソ」とからかわれるのも、くすぐったくて嬉しかったです。それから、自分が伝えることで、もっと町の人を元気にしたい、希望を与えたいと思うようになっていきました。
母は、翌年2月に自宅から8キロ離れた島で見つかりました。損傷が激しいからという理由で顔を見ることもできず、警察の方から遺骨だけを渡されました。やっぱり、実感はわかなかったです。それでも、みんなで「おかえり」といって迎えて、「見つかってよかったね」と話せて、やっと心の整理がつきました。震災後に初めて、家族の前で泣きました。
現在、私は関東の大学に進学しています。それは、「アナウンサーになる」という夢を見つけたからです。
進学のために女川を旅立つ前、ご近所のおばあちゃんたちから託された思いがありました。それは「私たちがここで生きているということを忘れないでくれ」というものでした。私の祖母を含め、震災から4年半が経っても、未だに多くの人が仮設住宅で生活しています。「震災のことを忘れ去られてしまうのが怖いの」と、おばあちゃんは言っていました。震災が風化するということは、「被災地で暮らしている人たちがいること」を忘れられるのと同じことなのだと思います。だから私は、伝え続けなければいけません。
そして、最近また1つ新しい夢を見つけました。きっかけは、5年間、24時間休まず放送し続けてきた女川のラジオが2016年3月で終了すると決まったことでした。このニュースを聞いたときは、寂しさでいっぱいになりました。でも同時に、「ここにとどまっていちゃダメだ」「新しいステージにいかなければ」と思ったのです。「被災者」という自分ではなく、本当の「阿部真奈」として。
正直なところ、震災があってから露出が多くなって人の目を気にするようになっていました。故郷を離れている後ろめたさから、笑うことへの罪悪感さえありました。
でも、そんな自分から、もう変わりたい。楽しいことを、全力で楽しめる自分になりたい。殻をやぶって、もっと、等身大の自分で生きていきたい。あの日からはじまった夢を追い続けながら、新しい自分を見つけること。それが、今の夢です。
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記事提供:3.11からの夢(いろは出版)