WATALIS(ワタリス)
亘理町の「WATARI」と“お守り”を意味する「TALISMAN(タリスマン)」が由来。手仕事によるものづくりを通して、亘理町に古くから伝わる文化・風習を新しい形で発信しています。一般社団法人WATALISとして、手仕事のワークショップや新たなコミュニティーを生み出すカフェ事業などを開始。その後、商品の製造・販売を担う株式会社WATALISを設立しました。(写真左から:取締役 橋元さん、代表 引地さん、取締役 菊地さん)
飲食店数ワースト2位の町にできた「中町カフェー」とは?
ざっくりと塗られた白い壁。落ち着いた色合いのテーブルとイス。お土産用のクッキーや雑貨が並んだラック。
訪れたのは、今年2月18日にオープンした「中町カフェー」。宮城県亘理町の中町にできた小さなアトリエ兼カフェです。「こんなに素敵なカフェがある亘理町って、一体どんな町?」と思うかもしれません。実は、亘理町は人口千人あたりの飲食店数が県内34位とほぼ最下位のエリア。ご飯処はあっても、のんびりお茶だけ飲める場所となると、さらに少ないのが現状です。そんな場所に、どうしてカフェがオープンしたのでしょうか。
想いを形にしたくつろぎの空間
「中町カフェー」を手がけるのは、亘理町で活動している一般社団法人WATALIS(ワタリス)。WATALISは、亘理町に古くから伝わる文化や縫製技術を生かして、地元で女性の雇用を生み出している団体です。
そんなWATALISがカフェ事業を始めたのには、3つの理由がありました。1つは、設立初期から取り組んでいる手仕事ワークショップで、終了後に参加者同士がゆっくりお茶を飲みながら交流できる場所をつくるため。もう1つは、興味があってもワークショップには参加しづらかったという男性にも、気軽に立ち寄ってもらうため。そして最後に、大好きな地元のおばあちゃんたちが「お洒落してお化粧してお茶を楽しめる「素敵な」場所をつくるため。
男女を問わず、気持ちのいい空間でおいしいコーヒーや焼き菓子をいただくのは至福の時間です。だからこそ、「中町カフェー」は内外装にこだわりました。カフェ事業に着手するにあたりデザイン費などのソフト面の費用は宮城県や仙台市産業振興事業団、公益財団法人共生地域創造財団の補助金等を活用。さまざまなカフェを訪問し、経営者に話を聞きながらイメージ作りをしました。工事費などに社団法人WATALISの蓄えを使い切り、ウッド調のテーブルやイスなどは役員3人がお金を出し合って購入したのだとか。カフェに込められた思いの丈が感じられます。
お礼に備える風習「ふぐろ」を商品化
もともとWATALISの出発点になったのは、亘理町に伝わる「ふぐろ」という風習。「ふぐろ」とは、着物の残り布でつくった袋のこと。かつて亘理町の人々は「ふぐろ」を日頃から仕立てておき、何かの折に「ありがとう」と感謝の気持ちを込めて、お礼の品を入れて渡していたそうです。
この「ふぐろ」を現代にあわせてアレンジし、商品化したのが「FUGURO」です。WATALISの出発点であり、今では代表商品。和モダンな着物地の柄と、ビビットなカラーの組み合わせが人気を呼んでいます。現在は国内だけでなく、海外ブランドのパッケージやドイツのセレクトショップに採用されるなど、少しずつ国外にも展開しています。
生き方について考えたとき、心が揺さぶられるものを選んでいた
いつまでも長居したくなる「中町カフェー」に、伝統文化を新たな形で蘇らせた「FUGURO」。どちらも明確なコンセプトのもと順調に進んできたのかと思いきや……まったくそんなことはありませんでした。
代表の引地恵さんは、設立のきっかけとなった「ふぐろ」に出合ったときのことをこう振り返ります。
「『ふぐろ』を紹介してくれたおばあちゃんが、すごくポジティブな方で。側から見たら大変だなあと感じることにも『大丈夫、なんとかなっから』と、しなやかに対応していくんです。その前向きさ、明るさが、『ふぐろ』という風習とつながっているように感じました。『ふぐろ』って、感謝することを想定した生き方の表れなんですよね。単に余った着物地の有効活用ということではなくて、亘理町の人々の前向きであたたかい生き方が形になったもの。震災後、私自身が人生をよりよく捉えて生きていきたいともがいていたときだったので、『これだ!』と思いました」
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引地さんは、亘理町の出身。民間の会社に勤務した後、結婚を機に地元に戻り、町の郷土資料館で学芸員として働いていました。学生時代は「亘理町には何もない」と思っていましたが、震災後に仕事で始めた民俗調査をきっかけに、その意識が変わります。先の「ふぐろ」と出合ったのもこの頃。地元の素敵な伝統にふれた、ということ以外にも、心ひかれた理由がありました。
「震災の数年前に、一度精神的にまいってしまったんです。何でも一人で抱え込んじゃったのかな。人に頼るということができなかった。夜眠れなくなり、涙が突然わーっとあふれたりして、仕事ができなくなりました。そのときに、『人間の感情が出来事を創りだしている』って、当たり前のことに気がついたんです。もっと心を大事にしよう。気持ちの持ち方、物事の捉え方を変えれば、人生はよりよくなるんだから、と思って。『ふぐろ』は、まさにそれを形にしたものでした」
人に感謝することを前提とした生き方。「ふぐろ」は伝統文化以上のものを引地さんに伝えました。そして、2012年に学芸員の仕事を退職し、WATALISを設立。同時期に同窓会で引地さんと再会した橋元あゆみさんは、「ふぐろ」の話を聞いて参加を即決。翌日、仙台の自宅から亘理町までやってきました。
「私は宮城県沖地震も経験していて、あんな地震はもう来ないだろうと思っていたんです。ところが、東日本大震災が起こった。今でもおっかないんです。二度の地震で生きることについて考えたとき、やっぱり好きなことをして生きていきたいと思いました。私は裁縫が好きで、恵ちゃんから話を聞いて『ふぐろ』なら作ってみたいな、と。何より彼女を信頼してましたから。だから迷いはなかったですね」
WATALISは民家の一間から始まった
引地さん、橋元さん、そして引地さんの実妹・菊地さんの三人で、「ふぐろ」をつくる日々が始まりました。「着物地なんて扱ったことがない」三人は、引地さん宅の一間に集まり、着物地をどのように洗ったら色落ちや型崩れせずきれいになるか、そんなことから試行錯誤を繰り返しました。
「お昼はうちの母がつくるまかないのうどんを食べたりしてね。今でもお取引のあるお客さんは、初めて来たとき『一体何やってるんだ?』と呆れたみたいですよ。素人が民家の一室で、着物地をならべて作業して。『そのうち海外にも発信していきたい』なんて本気で言ってるものだから」と引地さんは笑います。
でも、その言葉は見事現実のものとなります。活動を始めて半年後には、現在の事務所を借りることができました。「着物地のリメイク」ではなく「ふぐろ」に絞ったことで、デザインや裁縫の技術など、考えるべき点が絞れたことが功を奏したのです。
「大変なことは山ほどあった」と言う引地さん。たくさんの壁を乗り越えるなかで、大事にしてきたことがあります。それは、心に忠実に動くこと。形だけになってしまう行動はとらないこと。地域のため、住民のため、着手した方がいいことはたくさんあります。けれど、そのすべてをWATALISが引き受けることはできないから、今できることに全力を注いだのです。
仕事や事業を超えて「生き方」を選んだ引地さんたちの姿は、まっすぐ生きることの力強さと清々しさを教えてくれたのでした。
WATALIS(ワタリス)
一般社団法人 WATALIS
株式会社 WATALIS
〒989-2351
宮城県亘理郡亘理町字中町22番地
URL:http://watalis.com/
URL:http://watalis.jp/
記事提供:NTTdocomo「笑顔の架け橋Rainbowプロジェクト」
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