”復興とは何か”という問い
釜石市は、岩手県三陸沿岸に位置する人口約3万6000人の地方都市です。近代製鐵発祥の地として、鉄鋼業とともに発展し、最盛期の1963年には9万2123人を数えましたが、50年間で6割減少、高齢化率は36%を超えています。こうした状況の中で、私たちは“復興とは何か”という問いに向き合っており、2011年12月に策定した復興まちづくり基本計画「スクラムかまいし復興プラン」において、“復旧”という単語が75回登場したのに対し、“復興”が417回に達したことは象徴的です。
中越地震(2004年・新潟県)からの学びの1つに「人口減少時代における復興」という考え方があります。経済や人口が右肩上がりの時代は「復旧=復興」でしたが、「復旧≒復興」の時代は”復興”の意味を自ら定義していく必要性を私たちに突きつけます。(図1)※1
これは「地方創生」を考える上でも重要な示唆です。誤解を恐れずに言えば、大規模な移民受け入れを実行しない限り、多くの自治体において人口がV字回復するような未来を描くことは不可能です。“全国の自治体が試算する将来人口推計を合算すると、日本全体で2億人を超える”といった笑い話に象徴されるような、根拠なきビジョンに本当のビジョンにはなり得ません。ゆえに、私たちが釜石で大切にすべきことは、住民票上の人口や経済規模に留まらず、真に大切にすべきモノサシ(=評価軸)を探求し、地域が自らのアイデンティティを実感できる共通言語を市民とともに磨き上げていくことだと考えています。
「活動人口」と「つながり人口」がもたらす地域の活力(事例)
700名を超える市民との対話から生まれた「釜石市オープンシティ戦略(釜石市まち・ひと・しごと総合戦略)」は、「市民一人ひとりが役割を持つ、もっとも開かれたまち」を理念に、「活動人口」(アクティブな市民)と「つながり人口」(ポジティブに関わる市外の人や企業)を増やすことで、地域の活力を維持・発展させていく戦略を定めました。(図2)
この根底には、度重なる津波災害や太平洋戦争時の艦砲射撃からの復興、ポスト高度成長期のおける積極的な企業誘致活動、東日本大震災後の多様な企業・大学・個人との連携といった歴史から紡ぎ出される、“社会・経済情勢の変化に対するオープンマインド”という釜石のDNAがあります。
オープンシティ戦略で定めた25の施策の中から6つの具体的な事例を紹介します。(図3)
①支え合いによるコミュニティビジネス
資源ごみの搬入や手料理教室の開催など、住民が主体となって地域課題解決を有償サービス化する取り組みが進められています。高齢単身世帯の増加、住宅再建に伴う被災者の地域間移転といった課題に対し、厳しい財政状況にある自治体が全てのニーズに応えていくには限界があります。住民自らが生活支援の担い手となり、地域づくりに参加するという地域包括ケアと互助の精神が具現化された事例です。
②釜石〇〇会議
“何かしたいけど、どうすればいいか分からない” “震災後に移住してきた人とのつながりがない”。そんな若い世代の声から生まれた場で、釜石の課題や将来像を話し合い、行動を生み出します。2015年には9つのプロジェクトが生まれ、多様な活動が展開されるとともに、地元出身者と移住者の垣根を越え、新たな仲間とつながる場として機能しています。
③ミートアップ
自然や文化、食などを題材にした観光体験プログラムで、震災5周年イベントでは20のプログラムを提供しました。今後は「釜石シティプロモーション推進委員会」を中心に、市民が「鉄人」(ホスト役)となる魅力的なプログラムを展開していきます。釜石〇〇会議で生まれたプロジェクトがミートアップの人気コンテンツになるといった相乗効果も生まれ、人を基軸とした観光資源の磨き上げが始まっています。(写真1)
④オンデマンドバス
トヨタ自動車および東京大学と2012年より実証実験を進めています。震災前から公共交通の利用者数は減少傾向にあり、市民の生活の足を確保するとともに、中長期的な行政コストの適正化とサービスレベルの維持・向上を両立させる必要があります。既に一部地域では路線バスおよび市バスとデマンドバスの統廃合を進めており、網形成計画・再編実施計画の策定プロセスの中で、地域公共交通の理想像を定義していきます。
⑤釜石コンパス
2015年より高校生を対象にキャリア構築支援プログラムを展開しています。釜石では、過半数の高校生が卒業と同時に市外へ転出します。“釜石を離れる前に釜石の魅力を知ってほしい”という意見は、戦略策定のワーキンググループで最も出された意見の1つでした。UBSグループ、一般社団法人RCF、釜石市の3者が連携し、地域内外で活躍する大人と高校生による対話セッションを市内全校で実施。生徒が進路について、多様な選択肢の中から自ら決定できる環境整備を目指しています。(写真2)
⑥林業スクール
バークレイズグループの支援を受け、釜石地方森林組合では「釜石・大槌バークレイズ林業スクール」を運営しています。市面積の約9割を占める森林活用や林業活性化を目指し、IT技術やマーケティングなど多様なスキルを身につけた次世代の林業を担う人材を育成しています。組合の若手職員や新規就林をめざす若者などを対象にした少人数実習と、林業に関心をもってもらうための公開セミナーによって構成されています。
このような、「活動人口」と「つながり人口」の増加を目指す、あるいは、「活動人口」と「つながり人口」が存在するからこそ成立するプロジェクトは、地域に大きなインパクトを与え始めています。オープンシティ戦略の描く地域ビジョンとは、地域の課題や可能性を多くの市民が自分事化し、新たな事業や活動、つまり”小さな希望”が連鎖することによって多様な人材が還流するというプロセスそのものであり、本質的な移住促進とは“結果論”であると考えています。(図4)
“まちの人事部”機能を構築する、戦略と実践は一体
オープンシティの理念を具現化していくためには、行政・企業・NPOといったセクターを越えた価値創造を担う人材の確保・育成が不可欠です。総務省の復興支援員制度を活用し、2013年に設立した「釜石リージョナルコーディネーター(通称:釜援隊)」プロジェクトでは、県外を中心に200人を超える応募者の中から委嘱された24人の隊員が復興や地域活性に取り組む民間団体や第3セクターなどを支援し、行政を含めた連携・促進を図ってきました。既に8人が卒業していますが、地域資源を生かしたローカルビジネスを立ち上げたり、市議会議員に選出されるなど、多様な変化が生まれています。
また、経済同友会の出向者による若手経営者向けの人材育成道場や、「Work For東北」(日本財団)から派遣された民間企業出身者による市広報や職員向けの研修プログラム開発、大手人材会社との地場企業に対する新卒採用支援サービスなど、多様な人材マッチング事業を展開してきました。戦略を実行するには、地域の課題解決やプロジェクト実行に必要な人材マネジメントを地域全体でオーガナイズする必要があり、“まちの人事部”とも言える機能を構築していくことが重要です。(図5)
なお、経営戦略論には「戦略」が「実践」に従うのか、「実践」が「戦略」に従うのかという議論があります。これは自治体経営においても示唆的で、実行性のある戦略とは具体的な施策の実践と一体であり、戦略の立案・修正と分野横断的な案件形成・進捗管理の両方をマネジメントする視座が求められます。釜石では、民間企業出身者とプロパー職員によって構成する「オープンシティ推進室」が地方創生をコーディネートし、市民とのコミュニケーションを重ねながら、東京を中心とする大企業との連携を推進しています。理念のあくなき探求とたゆまぬ運動こそが、戦略を真の戦略たらしめるのです。
復興と地方創生のあいだにあるもの
最後に2つのチャートを紹介します。図6は市民の地域参画度合いと復興感、図7は地域に人を呼び込みたいという感情の相関を示しています。2016年3月に実施した市民意識調査では、地域への参画度合い(復興まちづくりに関するワークショップや市民活動への参加など)は、“釜石は復興している”と感じるかどうかという主観的な復興感と相関関係にあり、また、それは“自分の大切な友人や家族を釜石に呼び込みたい”と感じるかどうかという指数とも関係があることが分かりました。※2
これは、“復興とは何か”という問いに対する1つの答えであり、口コミが大きな影響力を与える地方都市における移住促進のあり方を示すものです。オープンシティ戦略の根底にある「活動人口」と「つながり人口」という考え方は、復興と地方創生のあいだにある試行錯誤の末に“結果として”生まれたものですが、人口減少時代のまちづくりのカギとなるコンセプトだと考えています。
これから被災地は徐々に“被災地”としての姿を失っていきます。そのことを“復興”と呼ぶ人もいれば、“風化”と呼ぶ人もいます。不透明な世界情勢や少子高齢化が加速する日本社会の中で、釜石がより強く、しなやかな地域であり続けるために、私たちは多様な変化を包摂しながら戦略と実践を磨き続けます。そして、2019年に釜石で開催されるラグビーワールドカップのときに、生まれ変わったTOHOKUの姿を世界に発信するという希望を胸に日々の歩みを進めていきます。
文/石井 重成 釜石市オープンシティ推進室長
連載『まちづくり釜石流』では、復興と地方創生のあいだで、持続可能な地域社会づくりに挑戦するオープンシティ釜石の軌跡を綴ります。
※1『震災復興が語る農山村再生-地域づくりの本質-』p.54,62を元に筆者作成
※2 無差別抽出による市民意識調査(N=2,000、有効回答数580)