安心してください、本音ですよ。ー右腕OB、語る!ー

震災以降立ち上がった東北の団体のリーダーの元に、若手経営人材「右腕」を3年間で約200人派遣してきた「右腕派遣プログラム」。東北で活躍する「右腕」とリーダーのインタビューを紹介します。

新しいキャリアを積みたい。右腕、ちょっと気になるなぁ・・・。
とはいえ、実際に「右腕」としてキャリアを積むってどうなんだろう?

そんな疑問を感じているそこのあなた。
今宵は、右腕OB3名が「右腕」の酸いも甘いもせきららに語ります。

「右腕」とは、東北をフィールドに新しいプロジェクトに取り組むリーダーのパートナーとして、
1年間の期限付きで現地に飛び込み挑戦する、意欲あふれる人材のこと。

「右腕のキャリアを選んだ決め手は?」
「実際に入ってみて、正直ギャップはなかったの?」
「右腕になる前の自分と比べて、今の自分に何か成長や変化はあった?」

新しいフィールドに飛び込む際に誰もが抱く疑問について、繰り広げられるぶっちゃけトーク!
「キャリア」「地域での生活」「自身の成長」など、さまざまな視点から
「実際、右腕ってどうなの?!」というテーマについて、本音が飛び出します。

今回の登壇者は、
地元・島根を飛び出し、縁もゆかりもない東北に飛び込んだ、落合孝行さん。
企業へ就職という選択を捨て、新卒で復興の現場へ勝負に出た、安田健司さん。
43歳で右腕への挑戦を決意。人口ゼロの町で今も挑戦しつづける、菅野孝明さん。

様々なバックグラウンドを持つ、右腕OB3名によるトークLIVE!ぜひ、ご覧ください。1

菅野:みなさん、こんばんは。菅野孝明と申します。
今日は私を含めた右腕OB3名で「実際、右腕ってどうなの?」という話をしていきたいと思ってます。
では、自己紹介をお願いします。

落合:落合孝行です。一般社団法人りぷらすで働いています。
宮城県石巻市で子どもから高齢者まで、障害や病気を持っていても健康的に暮らせる地域をつくる活動をしています。よろしくお願いします。

安田:安田健司です。公益社団法人Sweet treat311のスタッフをしています。
宮城県石巻市雄勝町にある廃校を改修した『モリウミアス』という複合体験施設で働いています。主に子どもたちの体験プログラムのファシリテーションや企画、企業研修のコーディネートをしています。よろしくお願いします。

菅野:菅野孝明です。福島県浪江町の町役場で活動しています。
今もなお、全町民が避難をしている町です。そんな中で、復興支援コーティネーターとして、町民が帰るための町を目指して、まちづくりにおける同意形成やハード整備の支援をしています。

右腕は「これができればOK」というスキルはない!
持っていない能力を引きずり出しながら、フルパワー発揮してます。

落合 孝行 氏 (一般社団法人りぷらす/右腕OB) 島根県出身。 現在28歳。リハビリを切り口とした健康づくりや繋がりづくり、生きがいづくりを地元で行いたいと考えていた時、 同様の活動をしていた「りぷらす」を知る。大好きな地元・島根を飛び出して右腕に参画し、修了後も残り、現在も活動中。 地域健康サポーターの創出や育成、生活上の相談支援や関係機関との連携を行う。今年4月からは遂に地元・島根と石巻を繋ぐプロジェクトを立ち上げ予定。

落合 孝行 氏 (一般社団法人りぷらす/右腕OB)
島根県出身。 現在28歳。リハビリを切り口とした健康づくりや繋がりづくり、生きがいづくりを地元で行いたいと考えていた時、 同様の活動をしていた「りぷらす」を知る。大好きな地元・島根を飛び出して右腕に参画し、修了後も残り、現在も活動中。 地域健康サポーターの創出や育成、生活上の相談支援や関係機関との連携を行う。今年4月からは遂に地元・島根と石巻を繋ぐプロジェクトを立ち上げ予定。

菅野:色んな選択肢がある中で「なぜ右腕を選んだの?」ってところからお話したいんですけど、どうでした?

落合:僕はぶっちゃけ、復興支援のために入ったわけではないです。もともと島根県出身で、地元の役場で働いてたときに最愛のおばあちゃんが亡くなって。太陽みたいなおばあちゃんから「生きててもつまらない」「元気になりたい」っていう言葉を聞いたとき、からだが元気で、仲間とつながれて、居場所があることが最高にハッピーな生活なんじゃないかって感じたんです。
りぷらすの右腕募集を見つけたときに、会社のテーマが「からだづくり・仲間づくり・居場所づくり」だったんですよ。自分にとっての人生のテーマが会社のテーマだったんです。「これ運命だな」と思って飛び込みましたね。

菅野:とはいえ、実際に飛び込んでみてギャップってなかった?

落合:ありました(笑)。僕の場合やりたいことそのものだったけど、事業の土台ができてなかったので、本当に0から1を作る感じで。右腕は、自分が発揮しなくてはいけないスキルが想像以上にたくさんあることに気づきましたね。例えば地域づくりといっていても、チラシを作って広報する、それを効果的に進めるにはどうしたらいいんだろうとか。あまり福祉の専門職として考えてこなかったことが多いので、自分が持ってない能力を無理矢理引き出さないとやってられねーっていうのはありましたね。

菅野:右腕は「これができればOK」っていうのはないよね。

落合:そうですね。すごく変なこと言うと、初めて人を殴ったような感覚ですね。自分が試したことがない部分を試すので、そこから今までなかった人脈が広がって、思った以上に事業が進んでいたり。
そういう部分で自分の成長の実感が持てたのが大きかったですね。ドラゴンボールの「精神と時の部屋(漫画『ドラゴンボール』に登場する異空間。時間の流れが外とは違い、短期間でパワーアップできる修行に最適な環境。)」みたいな感じ(笑)。自分のフルパワーを初めて発揮して、右腕期間が終わった今でもずっとチャレンジし続けてる感覚がありますね。

一般企業への就職ではなく、熱い思いをもつトップランナーと仕事がしたい!

安田 健司 氏 (公益社団法人sweet treat 311/右腕OB) 千葉県出身。現在28歳。在学中に災害ボランティアとして雄勝町で活動。現地のこどもたちの力になりたいという想いからETIC.他 2つのNPOでのインターンを経て2012年に右腕として参画。教育支援活動の企画・運営を行う。2013年からは、廃校を全国・世界のこどもたちの複合体験施設として改修するプロジェクトの事務局・コーディネーターも併任。 昨夏モリウミアスオープン後は自然の中での暮らしの体験プログラムの現地責任者を務める。現在、自身も漁師となるべく駆け出し修行中。

安田 健司 氏 (公益社団法人sweet treat 311/右腕OB)
千葉県出身。現在28歳。在学中に災害ボランティアとして雄勝町で活動。現地のこどもたちの力になりたいという想いからETIC.他 2つのNPOでのインターンを経て2012年に右腕として参画。教育支援活動の企画・運営を行う。2013年からは、廃校を全国・世界のこどもたちの複合体験施設として改修するプロジェクトの事務局・コーディネーターも併任。 昨夏モリウミアスオープン後は自然の中での暮らしの体験プログラムの現地責任者を務める。現在、自身も漁師となるべく駆け出し修行中。

安田:僕は、新卒の学生あがりで右腕として入りました。震災が起きた年に就職活動をしていて、災害ボランティアで偶然、雄勝町に行ったんです。それがきっかけで「卒業後は、縁のある雄勝町で活動したい」と思って、関心のある「教育」の分野で調べたときに、地元の子供たちを支援してるSweet treat 311を見つけました。
でも当時、すでに右腕の枠が埋まっていて。どうしても行きたかったので、まずは内部を探ろうと思ってETIC.のインターンとして働きました(笑)。そのうちに、偶然に右腕の枠が空いて「これチャンスだ!」ってそのまま飛び込んで、今に至りますね。

落合:安田さんはずっと千葉に住んでいて、東北へ入ったんですよね。
「やばい!飛びつきてー!」って思っても、実際に生活が一気にガラッと変わるの不安じゃないですか。

安田:捨てるとしたら一般企業に就職するという選択肢ぐらいだったので、それならリスクをとって、こっち(雄勝町)に勝負に出た方がいいかなって。やっぱり、熱い思いをもつトップランナーの人たちと一緒に仕事ができる環境はすごく魅力的でしたね。
でも、入った当初はモリウミアス(子どものための複合体験施設)のオープンのためにやることがズバっと決まっていて、その中で動いていくことが多かったので、あんまり自分の意見を言うことはなかったんですよね。

菅野:正直、自分の意見が言えるようになったのっていつから?

安田:自分のやりたいことが見え始めた頃かな。最初はがむしゃらにやってたんですけど、だんだん事業の中に自分の思いに重なる部分が見つかって。「どんな課題を抱えてるのか」「来年の夏はどういうプログラムをやったらいいか」っていうのを考えるようになりましたね。自然とリーダーからも信頼を置いていただけるようになって。だから、自分は今からが勝負だと思ってます。

菅野:なるほど。それで今も雄勝町で活動しているんですね。。

安田:そうですね。去年くらいからは、自分も町の人間になりつつあるなっていうのを感じています。それは地域の人との関係も大きくて、困ったときに「しょうがねぇから一緒にやってやるか」って人が周りにいてくれたり、よく電話で「今日食べにきなさい」って誘ってくれたりするんですよ。だからどんどん太っていくんですけどね(笑)。
そんな地元の人との繋がりもあって、今は「雄勝町をどうしていこうか」「モリウミアスとして何をしようか」っていう気持ちで雄勝に残ってますね。

パートナーとして受け入れてもらえるのが右腕。
「今日は菅野さんも私たちを面接してください」その言葉が決め手だった。

菅野 孝明 氏 (浪江町役場/右腕OB) 福島県出身、現在47歳。震災を機に「地元に帰って何かしたい」という気持ちが強くなり、何も決めずに仕事を辞めて地元・福島に帰る。半年くらい模索している中で、浪江町の復興支援コーディネーターの求人を見つけ、右腕として参画。当初は「思っていたことと違う」と感じることがありながらも、対話を重ねる中で徐々に自分から企画を提案し、変えていく楽しさを知った。現場は着実に復興に向かってはいる。「単純にここにいたい」「今ここで動いてやりたいんだ」という気持ちから、右腕終了後の現在も浪江町役場で働いている。

菅野 孝明 氏 (浪江町役場/右腕OB)
福島県出身、現在47歳。震災を機に「地元に帰って何かしたい」という気持ちが強くなり、何も決めずに仕事を辞めて地元・福島に帰る。半年くらい模索している中で、浪江町の復興支援コーディネーターの求人を見つけ、右腕として参画。当初は「思っていたことと違う」と感じることがありながらも、対話を重ねる中で徐々に自分から企画を提案し、変えていく楽しさを知った。現場は着実に復興に向かってはいる。「単純にここにいたい」「今ここで動いてやりたいんだ」という気持ちから、右腕終了後の現在も浪江町役場で働いている。

菅野:僕は東京の学習塾で働いていたんですけど、震災が起きて「地元の福島で何かしたい」っていう思いが強くなって、何も考えずに仕事を辞めました。半年間地元をぷらぷらしながら、ネットで「復興支援」っていうワードでひたすら探して(笑)。
浪江町役場の仕事を見つけて、被災地でみんなが自立していくのを助けたい部分もあったし、「福島を何とかしたい。そこに自分が関わりたい」っていう思いで入りました。僕は右腕として入った当時43歳で人生の折り返し地点だったんですけど、やっぱり「やりたいことをやる」っていうのがすごく大事だと思う。飛び込むって決めたら飛び込んでしまえば、必ず次に繋がっていく気がするんですよね。

落合:飛び込むときの「決め手」ってなんだったんですか?

菅野:リーダーが面接の時に僕に「今日は僕たちも面接しますけども、菅野さんも私たち職員を面接してください」って言ったの。「私たちが来て欲しいと思っても、菅野さんがやりたくないと思ったらそれでいいです」って。僕、この言葉で浪江町役場に入りました。
やっぱり「言われたことをやる」というより、きちんとパートナーとして受け入れてもらえるのが右腕だと思います。だからこそ、ガンガン提案をしたり、心底議論できる場があるんじゃないかなって。まぁもちろん、「やりたいこと」っていっても、仕事だから嫌なことはあるんだけどね(笑)。

落合:嫌なこと(笑)。リアルですね。そういうとき、どうやってリフレッシュしてますか?

菅野:休みの日にずーっと山登ってる。もう休むと決めたら休むで、自分の好きなことをしてますね。あとは右腕の仲間との繋がりかな。さっきも他の地域の右腕から、ぽんってメールがきて、「ちょっと菅野さんに相談なんですけど」って、明日石巻から会いに来るって。そんな風に頼られるメールがくると、もうホホッてなるわけですよ(笑)。そんな仲間ができて、お互いに頼ることのできる関係がある。有り難いなってすごく思っています。そういう仲間との繋がりと、仕事と趣味の中で、バランスとってやってますね。

失敗してもいい。
ワクワクしてるなら、飛び込んじゃった方がいいんじゃない?

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菅野:右腕からよく相談されるのは「もう右腕期間が終わるけど、何もできてない」「このまま何もできないで終わっちゃうんじゃないか」という不安なんですよね。僕は、何かを達成できなかったとしても、日々を積み重ねていく中で次にやりたいことが見つかれば、それでいいと思ってる。それがたまたま、僕は浪江町にいることだったし、2人はそれぞれの町に残ることだったんじゃないかなぁ。ワクワクしない?今やってること。

落合:しますします!右腕に飛び込むときも、ワクワク感ちょー大事ですよね。僕、役場で働いてた時に、後輩に「落合先輩、泥水みたいですよ」って言われたことがあって(笑)。そのくらい疲弊してたんですよ。「なんのために働いてんだろう」「俺って求められてんのかな」って。でも今は、清い水になったと思うんです。
自分みたいな人間・人材を求めてるリーダーがいて、そこにワクワクして飛び込める自分がいる。チャレンジするのを支えてくれるETIC.という環境があって、悩んだときは相談できる右腕の仲間がいる。ここまで整った土台の上で、安心して失敗できる状態ってないんじゃないかなって。

菅野:チャレンジし続けていると、もちろん失敗があったりもするけど、それも乗り越えていこうっていうプラスの気持ちになれるよね。僕のいる浪江町の話をすると、原発から直線距離で町の中心地まで6、7キロくらいで「人口ゼロの町」ですよ。
これを「それは大変だね」って思うか、「ワクワクするね」って思うか、全然違うと思う。右腕になってなかったら、「難しいだろうな」って思うだろうけど、いろんな可能性があるっていう見方をすれば、さまざまなチャレンジができる場なんだよね。だから少しでも「やりたい!」って気持ちがあるのなら、その中でいろいろ悩むことはあっても、自分の考えようで、いかようにもなる自由度はある。

落合:自由度高いっすね。自分がチャレンジするかしないかってだけ。成功しないといけないって恐怖を抱えてる人もいるかもしれないですけど、成功しようと思わなくていいと思う。「失敗してもいいや、でもワクワクしてるからチャレンジしたい!」って気持ちがある人は、絶対に行動を起こしたほうがいいと思います。

菅野:うん、悩んでいる人はぜひ右腕としてのキャリアに挑戦してほしいですね。

みなさん、今日はありがとうございました。

書き手:高橋鈴佳(NPO法人ETIC.ローカルイノベーション事業部)

記事提供:みちのく仕事(NPO法人ETIC.)