震災以降立ち上がった東北の団体のリーダーの元に、若手経営人材「右腕」を3年間で約200人派遣してきた「右腕派遣プログラム」。東北で活躍する「右腕」とリーダーのインタビューを紹介します。
宮城県石巻市。東北第二の都市であり、東日本大震災では市の面積の13%が浸水し、莫大な被害を受けた。
現在、被災した中心市街地では、コワーキングスペース、古い建物のリノベーション事業、カフェやベーカリー、居酒屋やレストラン、古着や雑貨店など、若者たちを中心に、クリエイティブなまちづくりが進んでいる。
その一方で、今も仮設住宅で暮らす人がいる。被災直後から、被災経験者、ボランティア、ビジターの声を聞きながら、石巻で活動を続ける「NPOぐるぐる応援団」を取材した。
そこで聞けたのは、「機能していない仮設住宅なんて言わせたくない」、「当時の記憶を、やっとの思いで語り始めた人たちがいる」、「語り継ぐだけじゃ世界を変えられない。命を大事に生きることも伝えたい」。この5年間、真剣に被災経験者に寄り添い続けてきた人たちの思いだった。
川開き祭りの七夕飾りは、仮設のお母さんの手づくりで
石巻の夏の風物詩、7月末の「川開き祭り」が目前に迫り、ある仮設住宅の集会所では、七夕飾りがつくられていた。
「私たちの活動にも地元民が増えてきて、だったら昔みたいに、川開きの七夕飾りを復活させよう、という話になったんです」。ISHONOMAKI2.0の近江志乃さんは話す。
川開き祭りといえば、市街地の中心アイトピア商店街を華やかに埋め尽くす七夕飾り。東北の七夕は旧暦のため、7月末の祭は七夕と重なる。しかし、その光景は、2010年を最後に見られなくなっていた。
七夕飾りが復活したのは昨年だ。近江さんを中心にクラウドファンディングで資金調達し、川開き祭りに合わせたイベント週間「石巻STAND UP WEEK」の企画のひとつとして、地域の人と一緒に復活させた。毎年この日に合わせて帰省する人も多いという川開き祭りに、再び活気が戻ってきた。
「今年の七夕飾りをつくってくれる人はいないかな」。そんな近江さんの言葉に、「仮設のお母さんたちがつくるかも」と、応えたのがNPOぐるぐる応援団代表の鹿島美織さんだ。
この仮設住宅では、復興公営住宅への転居が進み、一時は120世帯が入居していたが、今は4分の1以下の30世帯弱。この日は、入居している女性10名ほどと、見回り隊の社会福祉協議会の人たちも一緒に飾りをつくった。
「必要とする」人と「必要とする」人をつなぎ続けた5年間
こんなふうに、必要とする人同士をつなぐ役割を担っているのが、ぐるぐる応援団だ。被災経験者とボランティアやビジター(訪問者)、周辺の住民、さまざまなニーズをつないで、それぞれが少しずつ幸せになる場をたくさんつくりたいと活動を続けてきた。
震災直後に石巻に入った鹿島さんが、移動に困っている人たちと出会い、車で訪れたボランティアをつないだことが活動のきっかけだ。
それから、出会う人の困っていること、必要とすることを見聞きするたび、様々な活動に取り組んできた。仮設住宅に入居した人が集まり、一緒にご飯を食べる「団地ごはん」をしていたときのこと。鹿島さんが「ラーメンが食べたいな」と言ったら、泣き出した女性がいた。「食べさせてあげたいのに、もうできない」。彼女は震災前までラーメン屋を営んでいたが、津波で店が流されてしまったという。他にも、店や仕事を失った人はあちこちにいた。それから4カ月後の2014年4月、鹿島さんたちはJR石巻駅前の市役所庁舎1階にレストラン「いしのまキッチン」を開店させた。
鹿島さんは、リクルート社に10年勤務した後、フリーランスのプロモーター・マーケッターを経て、株式会社アネモアを設立。国内外を駆け回り働いていた矢先に、東日本大震災が起きた。会社設立翌年のことだった。
震災直後から、避難者やボランティア向けの情報収集や、避難所での炊き出しボランティアとして活動し、石巻と東京を往復する生活を続けてきた。しかし、石巻での活動に本腰を入れたいと、今年大きく舵を切った。
「今やっと、ステージが整いました。今ここにいる皆さんとなら、できる気がしています」と鹿島さん。ぐるぐる応援団で活動する2人の女性にも話を聞いた。
機能していない仮設住宅、なんて言わせたくない
佐藤貴子さんは「つながる長い海苔巻きづくりプロジェクト」を担当している。佐藤さんの家の近所の仮設住宅が、“機能していない”と言われていると聞き、くつがえさなきゃ、と思ったことがきっかけだった。
入居者が減り、自治会が解散したり、住民同士の交流が少なくなったりした仮設住宅は、機能していないと言われてしまいがちだ。
「仮設住宅は突然できたから、周辺に住む人にとっては、中が見えない異空間。最初の頃は、炊き出しに行って関わりがあったけど、物資が届いて、「炊き出しはもういいです」って言われたの。あのとき、違う形で関わり続けていたら…って思うと悔しくてね」
仮設住宅では、精神的にも体力的にも頑張れる人や、家族や仕事の問題が少ない人から抜けていく。ボランティアの受け入れも体力が必要だから、できなくなる。子どものいる若い夫婦は見かけにくくなった。母子家庭や高齢の夫婦、独り暮らし、通院や介護など事情を抱える人たちも目立つ。
そこで、複数の仮設住宅の住民を集め、ボランティアも交えて、長い海苔巻きをつくって食べる活動を始めた。塩分、糖分、油分も低く、具を変えればアレンジできて、簡単につくれる海苔巻きは、食生活改善員の佐藤さんらしいアイディアだ。海苔も米も、地元の名産品。共同作業は、交流にもなる。
これが好評で、昨年度は4ヶ月間で71コミュニティ、のべ1524名が参加した。総理大臣や復興大臣も視察に訪れたという。
印象的だったのは、仮設住民のお母さんたちを連れ出したときのこと。「次は皆さんが他の仮設へ交流に行きませんか? 雄勝の仮設に行きましょう」。雄勝行きの車中で「皆さんの出身地は?」と聞くと、「私たち3人雄勝よ。だから行くのよ」。こうして3人は、かつて住んでいた雄勝で、当時のご近所さんや同級生と数年ぶりに再会した。
被災体験を聞きたい人がいる。語りたい人は今、少しずつ増えてきた
阿部ひろみさんは、ぐるぐる応援団が地元住民と市内在住外国人の交流のために行っている英会話教室に通ったのがきっかけで、この4月から活動に加わった。まもなくスタートする「語り部タクシー事業」を担当している。タクシードライバーが被災地ガイドをする。地元の語り部がビジターに、体験や想いを伝える。 浜の漁師や地元の工場などに立ち寄り、地元の人たちと身近に接する。この走行ルート作りに、市内で6年ほど法務局の実地調査の運転手をしていた阿部さんの経験が生きた。
ちょうど取材した日の前日、タクシードライバーと語り継ぎを検討している被災経験者とで勉強会を行った。
「タクシーの運転手さんも、被災経験者のお話を聞きたがっていました。報道を通じて間接的に知ることと、こうやって直に接することとは違う。お客さんによく聞かれるから知っておきたいって」と阿部さんは言う。
被災経験者の中からも、震災から5年たって、今だから語れる人、語りたい人が出てきている。家族を亡くしたこと、瓦礫の下から救出されたこと、避難生活で見たこと聞いたこと、それぞれが5年間思い悩んだ末、今なら話せるかもしれないと口を開き出しているという。
「だから今、やるべきなんだ、って手応えを感じました。場ができて後押しされると、それがきっかけで始まることもあるから、そんな場をつくってみたい」(阿部さん)。
実地研修も始まっている。震災当時は中学生・高校生だった2人の男の子が成人して、僕らも話してみると迷いながら決めた。自分だけ助かってしまった痛み、さまざまな葛藤…。2人は、初めてそのことを人に伝えるための場に立つ。
語り継ぐだけじゃ、世界を変えられない
鹿島さんの語り部タクシーの構想は、石巻に立ち寄ったビジターが発した言葉がきっかけだった。「本当は震災のことをもっと知りたかったけど、よくわからなかった」と言って、残念そうに帰っていった。一方で、鹿島さんの周りには、震災のことをもっと知ってほしい、被災した悲しい場所で終わらせたくないから自分の言葉で語りたいと言う人や、知り合いが来ると毎回案内している人もいた。ニーズがある。ニーズをつなげるちょっとした仕組みがあれば、みんながハッピーになる。協力者を募り、形にしていった。
鹿島さんには、次の企画がある。「語り継ぐのは大事なことだけど、語るだけじゃ変えられない世界もあるんです。命を大事にしていくために、具体的に動ける社会に向かっていきたい。今の日本では、命という言葉は遠くにあるもののように聞こえます。明日死ぬかもしれないなんて、思わないでしょう。私の周りには、“今ここに命がある。生きている”という感覚の人がたくさんいる。危機感をもって、命を大切に生きて、って言える人がここにいるんです。その言葉を伝えながら、命を守る防災教育ができたらと思っています」。彼女は今、石巻から来年度、全国に向けて展開する準備を始めている。
被災者の心の復興に寄り添いながら、ビジターとの交流拠点を右腕と一緒につくりたい
ぐるぐる応援団では現在、「右腕」を募集している。
「私は、色々なニーズに目がいきすぎて、思いついたそばからどんどん口にしてしまうし、動き始めてしまうし、状況も変わっていくから、いろいろな人に本当に助けられています。でも結果として“ゴメンナサイ”っていうことも、たくさんありました。丁寧に進められなかったり、突っ走ってしまったり。でも今やっと、できることがわかって、できるメンバーも揃ってきて、ベースが整ったように思えるんです。この取り組みをもっと上手につなげていくために、一緒に取り組んでくれる方にきて欲しいと思っています」と、鹿島さんは話す。
すかさず、横から佐藤さん。「この人(鹿島さん)は困っている人を見つけたら素通りできないの。全部聞いてあげてどうにかしようとする。いつも本当に忙しいけど、どれも自分の利益のためじゃないのよ。自分を犠牲にしてでも、やろうとするから放って置けなくて。母親みたいな気持ちで関わったところもあるの。でも4年関わって、いざ自分が企画側に回ってみると、なーんだか面白くなってきてね」
ぐるぐる応援団は、家庭を支えながら働く女性たちにとって、これまでにない働き方のできる場でもあるようだ。地方のパートは決まった時間に来て、指示を受けて働き、決まった時間になったら帰る。ぐるぐる応援団での仕事は、各自が考えてアレンジしながら整えていくことができる。ときには企画の担当も任される。
阿部さんも、「ちょっとしたお手伝いならできますよ、と思って入ったら、大事な資料の作成を任されて、びっくりしました。頑張りましたよ。期待されたことが嬉しかったの」と満面の笑みで話した。
代表の鹿島さんも、彼女たちと働く中で学びを得たという。「長く続けたいから、家庭と両立できるくらいの仕事がいい」という声から、個人の仕事量にも気を配るようになった。当然のことなのに、つい頼んでしまう。やったことのない仕事に取組む不安やストレスを汲み取れなかった。事業をつくる現場ではありがちなことかもしれない。でも雇用するからには、それぞれが大切にしたいものと両立させて仕事ができるようにしなければと、鹿島さんは気を引き締めている。
右腕の仕事は、いしのまキッチンを拠点に、ビジター向けの情報を集め、発信すること。食や観光客向けの行事はもちろん、中心市街地や商店街のクリエイティブなイベントを仕掛ける。そして求められるのは、被災者の視点。石巻の多様な側面をニーズに合わせて提供できる、そんな交流拠点をつくること。ときにはカフェでの接客や、仮設住宅にも出かけてイベントや交流もする。被災者の心の復興と、観光都市である石巻、そしてそこを訪れる人を、広い視野で見渡しながら、ニーズに合わせてゆるやかにつなげるコンシェルジュのような仕事だ。
石巻で、たくさんの人生に触れながら、復興を見届けたい方に、ぜひエントリーいただきたい。
ぐるぐる応援団右腕募集ページ
●被災経験者の心に寄り添い、ビジター(訪問者)と地元の方の交流拠点をつくるディレクター募集!/TOHOKUおらほナビ(石巻市)
写真・書き手:木村静(NPO法人ETIC.ローカルイノベーション事業部)
記事提供:みちのく仕事(NPO法人ETIC.)
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