気仙沼市民から見たDMOの現在地

10年後を見据え、進む地域の土台づくり

「水産都市をDMOで観光都市へ」「チームで創る観光都市」。宮城県気仙沼市が震災復興の柱に据えて取り組む観光戦略がメディアで大きく取り上げられ、全国から注目を集めている。しかし、周囲の喧騒とは裏腹に地元の受け止め方は冷静だ。DMOは地方創生の起爆剤として政府も声高に叫んでいるが、その姿ははっきり定まっていないのが実情だ。言葉や理念だけが一人歩きしてはいないだろうか。地元住民の目線でDMOの実態に迫った。

外からの見え方が変わっただけ

「今は見え方が派手になっているだけで、実態が決して大きく変わったわけではない」。こう語るのは、コヤマ菓子店の店主、小山裕隆さんだ。「震災後は助成金が入り、東京の企業から人も派遣された。さらに、SNSが普及して情報発信が容易になっている」。そのおかげで観光への市民意識は高まっているが、必ずしも地域全体が劇的に好転しているわけではないと指摘する。

観光によるまちづくりに情熱を注ぐコヤマ菓子店の小山さん。市民一人ひとりの意識醸成が必要と指摘する。

観光によるまちづくりに情熱を注ぐコヤマ菓子店の小山さん。市民一人ひとりの意識醸成が必要と指摘する。

DMOとはDestination Management/Marketing Organizationの略称で、観光による地域づくりを戦略的に推進する組織・機能のことを指す。マーケティングや戦略立案、プロモーションなど全体をマネジメントする役割を担う。これまでの観光施策は行政や観光協会、商工会議所などの団体が個別に活動しており、全体の戦略が欠けていた。そこに経営の視点を加えることで、地域が経済的に潤うようにするのが狙いである。

観光を主要産業に掲げて動き出した気仙沼市。その種が今、地域全体にじわじわと広がっている。

観光を主要産業に掲げて動き出した気仙沼市。その種が地域全体にじわじわと広がっている。

気仙沼市は震災後の2011年秋に策定した復興計画で、観光を水産業と並ぶ主要産業とする方針を掲げた。翌年3月に観光業者や有識者による「観光戦略会議」を組織。さらに、その中核組織として地元事業者らで構成するリアス観光創造プラットフォーム(以下、リアスPF)が2013年7月に誕生する。その後は市民による動きも活発になり、若手経営者を中心に観光商品を開発する「観光チーム気仙沼」や、市民らの有志グループ「ば!ば!ば!の場」などが生まれた。

市民が企画する「ちょいのぞき気仙沼」では様々な体験ツアーを実施(写真=製氷工場での1コマ。リアスPF提供)

市民が企画する「ちょいのぞき気仙沼」では様々な体験ツアーを実施(写真=製氷工場での1コマ。リアスPF提供)

観光チーム気仙沼が開発した代表的な商品には、地域ならではの仕事現場などを訪ねる市内観光プログラム「ちょいのぞき気仙沼」がある。造船所や製氷工場の見学ツアー、漁師の体験プログラムなどを毎月開催。水揚高国内トップを誇るメカジキを使ったグルメ商品「メカしゃぶ」や「メカカレー」なども有名で、これまでに20以上の商品を開発してきた。民間企業から派遣されているリアスPFの森成人さんは、「トップ(市長)が『やるぞ』と腹をくくり、市民が立ち上がったことが重要なポイントだった」と話す。

ヒントはスイスの観光都市・ツェルマットにあった

ただ、2年ほど経過した中で次第に課題も浮かび上がってきた。リアスPFや行政、観光協会などの各団体の間に業務の「『ダブり』と『漏れ』」(森さん)が生じていたという。例えば、複数の組織が同じような情報発信を行う一方で、どこも集客策を講じていないといった具合に、役割分担が不明瞭で非効率な状況が生まれていたのだ。まさにDMOが欠落している状態だった。それ以降、DMOの設立に向けて検討を開始していくことになる。

そうした中、今年3月に視察したスイスの観光都市ツェルマットで大きなヒントを得ることになる。ツェルマットはアルプスの登山やスキー客で賑わう世界有数の観光都市として有名だ。森さんによると、人口約5700人の小さな町にも関わらず年間200万民泊を数える。人口5万人、16万民泊ほどの気仙沼市と比べると、その差は歴然だ。

観光都市ツェルマットへの視察は大きなヒントになったという(リアスPF提供)

観光都市ツェルマットへの視察は大きなヒントになったという(リアスPF提供)

森さんは、ツェルマットが歩んできた歴史に驚きを隠せなかったという。ツェルマットはもともと、存続が危ぶまれるほどの小さな農村だった。しかし、1865年のイギリス人登山家グループの滑落死によって〝悲劇の町〟として注目を浴び、これを一世一代の好機と捉えて町は観光に生き残りを賭けたというのだ。ツェルマットは今、DMOの先進事例に位置付けられている。存亡を巡る強烈な危機意識が、長い歳月を経て町を急速に発展させたのだ。

市はこのほど、DMO機能を果たす「気仙沼観光推進機構」(仮称)を来年3月までに設立することを決定した。DMOについて、いよいよ本腰を入れて取り組む段階に突入しつつある。森さんは「実際に観光客が増加するなど定量的な成果はまだ先だ。DMOもすぐに機能できるわけではなく、何年もかかるだろう」と指摘する。自身の任期は来年3月まで。「地元が自走できるような仕組みをつくりたい」と最後の力を振り絞る決意だ。

ハコモノではなく、観光コンシェルジュを

一方、前出したリアスPFの理事でもある小山さんは、森さんのような助っ人や震災復興の財源なき将来に危機感を抱いている。「補助輪付きの状態からどう脱するか」。今後は、そうした重い課題に直面することになると覚悟している。

小山さんは観光によるまちづくりに並々ならぬ情熱を注いできた人物だ。10年前に市民有志で「気楽会」(気仙沼を楽しくする会、の意味)を結成。駅に案内所をつくって観光客に声を掛けたり、地域を盛り上げるためのイベントを開催したりしてきた。週1回の定例会議は震災の起きた週も含め、10年間で一度も欠かさず続けているという。

そんな小山さんは、ハコモノの建設ばかりではなく「『観光コンシェルジュ』のようなプレイヤーを育てることが大事」と考えている。理想とするのは、地方の温泉街のような雰囲気だ。「温泉街は駅を降りた瞬間に『ウェルカム』の雰囲気が漂っている。一人ひとりに『おもてなし』の心で接し、何より自分たちが楽しむ。それが周囲に伝染していけば、いい空気感が醸成できると思う」

アサヤの廣野さん。継続して新しいことにチャレンジする必要性を説く。

アサヤの廣野さん。継続して新しいことにチャレンジする必要性を説く。

観光チーム気仙沼のリーダーで、1850年創業の漁具屋アサヤの専務・廣野一誠さんも同じ思いだ。日本IBMに務めていた廣野さんは、2014年末に家業を継ぐためUターンを決意。「一度試して成果がなかったからやめるのではなく、継続させることが大事だ。手を替え品を替え、いつか大きな芽が出ればいい」と話す。

アサヤとしても「ちょいのぞき気仙沼」の企画で、漁具の魅力を知ってもらう体験ツアーなどを実施してきた。ツアーは単独では収益の出る事業ではないというが、「新しいことにチャレンジしているという会社のブランディングになる」と手応えを口にする。実際、過去2年で1人しかいなかった高卒の新入社員が、来春には4人も入社する予定だ。「長い歴史でこんなことはなかった。採用や広報活動に活きている」と笑顔で語る。

「一瞬だけを切り取って盛り上がるのではなく、人の意識の変化や小さな行動を見てほしい。観光で経済的に潤うようになるには、5年や10年では難しいと思う。長期目線で地道にやっていくしかない」(小山さん)。気仙沼市のDMOを核にした観光戦略は、まだ緒に就いたばかりだ。そして、組織ありきのDMOは絵に描いた餅になりかねない。住民による観光意識の醸成——。その土台があって初めて、DMOへの道が拓けるのかもしれない。

文/近藤快