小さな町が生き残る術とはーー。宮城県南三陸町が、震災後の復興と発展を賭けて「バイオマス産業都市構想」に挑んでいる。同構想は国も積極的に後押ししており、全国の地方都市が名乗りを上げているが、いまだ目立った成果を上げられていない。南三陸町は震災後に変化した住民意識を背景に、一歩ずつステップを重ねている。
森・里・海・街の地域資源を有効活用
町内各所に置かれた水色の大きなバケツの中に、住民が分別した生ゴミを入れていく。程なくしてトラックが停車。バケツを回収し、またどこかへ走り去っていった。向かった先はーー。
南三陸町が掲げるバイオマス産業都市構想とは、地域のバイオマス資源をエネルギーに変え、域内で循環させることで新たな産業創出や災害に強いまちづくりを目指す取り組みを指す。町は、震災後の復興計画の柱に同構想を掲げた。震災でライフラインを断たれた苦い経験から、資源やエネルギーをできるだけ地域内で自給する必要性を痛感。また、町は小さいながらも森と里、海の恵みが豊富にあり、同構想に適した特性があるとの考えもあった。具体的な構想策定や実証実験を経た2014年、国の認定を受け本格的に始動していく。
町の構想はイメージ図の通り。「森」「里」「海」「街」の間で互いに資源が循環する仕組みだ。例えば、バイオガス施設で一般家庭などから回収した生ゴミやし尿汚泥をエネルギーや農地用の液体肥料(液肥)に転換して再利用したり、間伐材などから製造した木質ペレットをボイラーやストーブの燃料に活用したりする。
関連して、森と海の資源管理においても国際的な環境認証を取得。昨年10月、南三陸森林管理協議会が適正な森林管理などを条件とするFSC®森林管理認証を県内で初めて取得すると、今年は県漁業協同組合志津川支所の戸倉出張所が、名産のカキで環境や地域社会に配慮した養殖場に付与される国内初のASC養殖場認証を取得した。
このように「循環」「持続可能」といったキーワードで町に新たな産業や雇用を生み出し、開発したサービスや商品そのものをブランド化して地域全体の価値を高めようという構想だ。
町企画課の太齋彰浩係長は、「これから人口が減っていく中で、地域を持続させるにはどうしたらいいのか。単に震災前に戻るのではなく、『こういう町になる』とビジョンと旗を掲げることが重要で、大きな一歩となった。町民が誇りに思える町にしたい」と話す。
「全町民がステークホルダー」、協力意識高く
現在、その中核施設となっているのがバイオガス施設「南三陸BIO(ビオ)」(以下、BIO)だ。持続可能な地域デザイン事業などを手掛けるアミタグループ(以下、アミタ)が町と協定を締結し、運営している。昨年10月に稼働を開始。家庭や飲食店などの事業者が分別した生ゴミを回収し、発酵させて電気や熱、液肥を製造している。電気はBIOで活用しており、今後余剰が出れば売電する計画だ。一方、液肥は町内の農地に散布している。
生ゴミの分別・回収は約80地区の250カ所で実施しているが、異物混入率が1〜2%と極めて低いのが特徴という。家庭ゴミに加え、今年6月から町内で実施している飲食店や宿泊施設などの事業者からの回収も、大半が協力してくれるなど反応は上々だ。町民の主体性を引き出す工夫も凝らしており、町の広報紙に混入率の低い地区を掲載しているほか、BIOの見学者向けにも地区ごとの混入率の採点表を掲示するなどして意識喚起を図っている。
一方、液肥散布も肥料代が節約できるなど農家に好評で、散布量は来年にかけて一気に増える見通しだ。木質ペレット事業も、ペレットの製造やストーブの導入試験を実施済みで、公共施設などを中心に実用化に向けて準備を進めている。
BIOの責任者であるアミタの櫛田豊久さんは、地域の協力姿勢に驚きを隠さない。毎朝生ゴミを分別するのは手間のかかる作業で、習慣づけることは決して簡単ではないはずだ。櫛田さんによると、こうした取り組みは首長や地元経済の有力者によるトップダウンで導入されるケースが多いため、住民意識が根付きづらい面があるという。南三陸町の場合は、「やはり震災を経験したことが大きいのではないか。次世代に魅力的な町を残したいという使命感や危機感をもつ住民が多く、自分事化して行動してくれている」と指摘する。
太齋さんも同じ意見で、「住民の意識は震災で変わったと思う。次世代に誇れる町にしようと考える人が増えた。FSCやASCの取得に関しても、収穫量を減らすなどリスクを伴うものだが、事業者が合意形成して乗り越えた」と口にする。
櫛田さんによると、ゴミの分別そのものは機械で自動処理できないわけではないという。ただ、それでは町民に「ゴミを捨てた先」への想像力が働かず、当事者意識が根付きにくい。櫛田さんはBIOに運び込まれたバケツの山を眺めながら、「単にゴミが回収されているわけではなく、『町をよくしたい』という一人ひとりの気持ちが込められている。この事業の成功には住民参加が欠かせない。全町民がステークホルダーだ」と力を込めた。
「サステナブルな町」の先進モデルへ
この構想は、まだ動き出したばかりだ。生ゴミの回収量も十分ではないうえ、同町はもともと農地面積が狭く液肥の散布エリアが限られるという不利な条件も重なる。しかし、来年にかけて高台移転や災害公営住宅への入居が一気に進む見通しで、まだ参加していない事業者も含めて積極的に協力を働きかける考えだ。
一方、町も構想を後押しする一手として今年度、新たに官民協働の「地域資源プラットフォーム設立準備委員会」を設置した。バイオマス資源の研究や商品開発・ブランド化、人材育成などを進めるための中間支援組織を設立し、今後4年かけて様々な事業を実施していく。
言うまでもなく、サステナブル(持続可能)な社会づくりは世界的なトレンドになっており、今後その重要性が高まっていくのは明らかだ。そうした意味でも、南三陸町が目指すモデルの価値は高い。「震災を経た今、町は新しい歴史をつくっている。サステナブルな町といえば南三陸と言われるようにしたい」(櫛田さん)
11月の取材当日、冷たい雨が降り注ぐBIOを大勢の見学者が訪れていた。BIOには小・中学校の社会見学や町内外の自治体、企業関係者の視察が相次いでおり、その数は開設から1年で1000人を超えた。また、地域の幼稚園や小学校で出張講座も精力的に開催しており、若い世代にその価値や習慣が根付けば、それが近い将来「南三陸の文化になる」(櫛田さん)ことも夢物語ではないだろう。
BIOには今日も、町内各所で回収された大量のバケツが運び込まれてくる。蓋を開け、中身を見せてもらった。どこにでもある生ゴミだが、単なるゴミには見えなかった。バケツの中には、町の誇りを賭けた壮大な構想が広がっている。
文/近藤快
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