東日本大震災と福島第一原発事故から6年が経った。複合的な災害に見舞われた福島の農業は、風評被害に代表されるように未だに苦しい局面が続いている。この間、現場の農家たちは周囲から心ない言葉を何度も浴びてきたが、その度に懸命な努力を重ねてきた。そして、ふるさとの農業を再生し、新しい道を開拓しようとしている。今、福島の農家が直面している本当の課題はどこにあるのだろうか。それを明らかにするとともに、打開策を探った。
高齢化に拍車をかけた原発事故
「これからの福島の農業の要になるのは、99%の普通の農家です」
福島大学で農業経済学を専門に研究している小山良太教授は、こう語る。小山教授は、原発事故後の福島で農業問題を中心に調査・研究を重ね、地域住民とともに課題解決に取り組んできた。
「震災後、テレビなどのマスメディアが報じるのは、新しい取り組みに挑戦する若手農家か、逆に極端に酷い目に遭って辞めてしまった農家か、どちらかのタイプに偏りがちだ。福島の『99%の普通の農家』は、ほとんど表に出てこない。しかもその多くは、あと数年営農したら自分の代で辞めると考えている」
福島の農家の平均年齢は、約67歳。地域によっては70歳を超える。もともと高齢化の進行で後継者の確保が課題になっていたが、原発事故後は若い世代が避難した地域も多く生まれ、その問題に拍車がかかったかたちだ。かつては、後継者のいない場合は近所の農家に耕作の引き継ぎを託すこともあったが、農作物の価格が低迷するなど先行きの見えない不安から、「自分の代が終わったら、もう誰にも引き継げない」とこぼす農家も少なくない。
見過ごされてきた「第3の損害」
原発事故後、農家たちは信頼回復に懸命に取り組んできた。各地域で住民が放射性物質の飛散状況を測定し、自主的に「汚染マップ」を作成。公的機関による放射線量の測定データもリアルタイムで公開されており、事故後の約6年間で放射線量が明らかに低減されていることが確認できる。農地除染の目途もつき、県内の農産物から放射性物質が検出されることもほとんどなくなった。多くの地域では、除染の次の段階として「放射線量が十分に低くなった農地で、どんな魅力的な農作物を作るのか」という新たな問題に取り組んでいる。しかし、それが軌道に乗るまでには時間がかかる。決して簡単なことではない。
小山教授によると、原発事故による農業への損害は大きく3つあるという。出荷・作付制限や商品の価格下落など「生産物」に関わる損害と、農地汚染など「生産環境」に関連する損害、そして若年層の避難による後継者不足や、長期避難による農村コミュニティの崩壊など「作り手」に関わる損害だ。
とりわけ、最後の「作り手」に関する損害は、可視化されにくい分、対策が遅れているのが現状だ。「風評よりも、実はもっと長期的に深刻な問題が、農業を次世代に継承できないことだ」。小山教授は、こう危機感を口にする。
新しい産地、地域ブランドづくりを目指すにあたっては、やはり若手の人材が欠かせない。「歴史的に見ると、福島の農業は衰退したわけではなく、もともと大きな世代交代期に差し掛かっていた。しかし、原発事故の影響で、自然なかたちでの世代交代ができなくなっている。若手と農家をマッチングさせる持続的な仕組みと、一定の売上げを保障できる産地としての戦略がなければ、若手は定着しない。機械を扱える若手がわずか1~2%でもいれば、世代交代は可能だ」(小山教授)
地域一体で次世代を育成する南郷トマト生産組合
そんな農業再生のカギとなる「世代交代」に成功している産地が、南会津郡にある。JA会津みなみの組合員組織「南郷トマト生産組合」は、50年以上にわたってトマトの産地化のために努力を重ねてきた。標高400~900mの豪雪地帯は稲作には向かず、生産組合長の三瓶清志さんは「私たちはトマトでやっていくしかなかった。トマトで成り立たないなら、南郷では農業は成り立たない」と当時を振り返る。
「南郷トマト」は地域団体商標登録にも認定され、安定して高い品質への信頼を得ている。地域ブランドへのこうした厚い信頼は、若手が安心して参入する動機にもなる。南郷地区への新規参入者は、1992年以降の20年あまりの間に36人に上り、生産者の年齢は20代から40代までが全体の40%を占め、平均年齢も53歳と全国平均より10歳以上も若い。
新規参入への充実した支援も見逃せない。南郷地区でトマトづくりに新規参入を希望すると、生産組合の役員、県やJA、市の職員などと丁寧な面談を行い、熟練農家に「弟子」として迎え入れられる。さらに、県や市は参入者のために住居や栽培ハウスを準備するなど、地域全体で手厚いサポート体制を整えている。その理由を、三瓶さんはこう語る。「南郷トマトは、先達にいただいた私たちの財産だ。その財産を、次世代にどうやって受け継いでいくか。労働力を増やすこと以上に、産地を次世代に引き継ぐことを第一に考えている。長い目でみれば、それこそが地域産業の安定につながる道だから」
2017年1月、三瓶さんたちは只見町に米焼酎の蒸留所を作り、100%只見米と福島県産酵母を使用した米焼酎「ねっか」を4月に発売した。「日本一小さな蒸留所」として、新たに持続的なコメの産地づくりを目指すという。南郷トマトで産地化の手法を確立した三瓶さんたちの、新たな試みが始まった。
次世代が安心して取り組める産地づくり
一方、福島市と川俣町では、2015年から米の品質や味を競い合う「ふくしま・かわまた米コンテスト」が開催されている。企画の中心役である小山教授は、「コンテストを行うと、米の出来に差があることが明らかになる。そこで競争して切磋琢磨することで、より高品質の米が生まれ、それが安定した収入にもつながれば、次世代が入ってきやすくなる」とコンテストの意義を語る。「福島は自然環境に恵まれているから、本気でやり方さえ学べば、おいしい米を作れる。真剣に取り組めば必ず結果が出ることを実感できるようになれば、産地づくりの動機づけになり得る」
小山教授はこのほかにも、次世代の育成を目的に2014年から「おかわり農園」と称して学生主体の米作りにも取り組んでいる。作った米は「ふくしま・かわまた米コンテスト」にも出品している。しかし、なかなか上位には届かないのは現状だ。それでも、学生たちは負けた悔しさを味わうとともに、米作りの魅力と奥深さも学んでいるという。
このように、「技術力の高い農家を可視化することで、ほかの農家もそれに学び、結果的に若手が安心して参入できるような産地にしていくことが大切だ」と小山教授は語る。震災と事故から6年が経過し、福島の農業は新しい局面を迎えつつある。
「震災の記憶がどんどん薄れていったとしても、風評は忘れてくれず、決してなくならない」。南郷の三瓶さんが、ふとこぼした一言が胸を突いた。
風評被害を解消するのは、決して簡単ではない。統計などには出てこないところでも、福島の農家たちは心ない言葉をかけられ続け、それでも耐え忍んできた。それは、今でも変わらない。しかし、原発事故や除染、風評などの苦難を乗り越え、さらに品質の高い農産物を作る力を、福島の農業はもっている。それが次世代、次々世代へと受け継がれ続けていく姿を見つめていきたい。
文/服部美咲
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