公益社団法人MORIUMIUS 理事 油井元太郎
1975年東京生まれ。幼少期からアメリカで生活し、中学・高校は日本で過ごす。その後、米ペンシルバニア州レバノンバレー大学音楽学部を卒業し、ニューヨークで音響の仕事やテレビ局に勤務。退社後、2004年にキッザニアを日本に導入する株式会社キッズシティージャパンの設立に関わる。2006年にキッザニア東京を、2009年にキッザニア甲子園をオープンさせる。震災後、仙台市出身の友人である立花貴とともに、雄勝町で中学校の給食支援や学習支援などを実施。2015年7月、築93年の旧桑浜小学校を改修し、こどもの複合体験施設「モリウミアス」をオープン。現在、同施設のラーニングディレクターとしてこども向けのプログラム運営・宿泊を統括している。
ー”あれから”変わったこと・変わらなかったことー
ニューヨーク、ロンドンから、限界集落の町へ
ニューヨークやロンドンなど世界中で長く生活してきた私が、震災で人口が1000人以下にまで減少した”限界集落”と呼ばれる、縁もゆかりもなかった雄勝町を「今の居場所」と感じている。震災がなかったら、今この場所にはいないだろう。予期せぬ変化と出来事だった。友人の立花を支えようと急遽降り立った東北、そして雄勝町。「何かの縁」と言えばそれまでだが、雄勝で生きると決断した背景には、2つの根源的な理由がある。
まずは、2001年の米同時多発テロだ。当時、私はニューヨークに住んでいた。ある日、自分の住んでいる町がテロに遭い、多くの人が犠牲になる。「明日どうなるかわからない」。そういうことを目の当たりにし、人生観が変わった。働くことについて、生きることについて考え、アメリカで生活することへの執着がなくなった。東日本大震災が起きた瞬間、「自分は何ができるのか」とすぐに行動する後押しになったのは間違いない。テロを経験していなかったら、東北に対してこれほどまでの使命感は湧かなかっただろう。
もう1つは、地域に眠る豊かな資源を、次世代に受け継いでいくべき。そういう強い使命感があったからだ。私はこどもの職業体験施設「キッザニア」で一次産業を体験するプログラムを実施するために全国津々浦々の地域に足を運んだ。そこで起きていたのは、人口減少や産業衰退…。ただ、そこに根付く資源は都会とは比べ物にならないほど豊かだった。自然や食、先人の時代から長く培ってきた暮らしの知恵、自然とともにサステナブルに生きること。海外生活が長かったからこそ、私には確信があった。地域のこうした価値観は、世界に誇れる日本の文化なのだ。
支援活動を通じて出合った雄勝町はまさに、そうした地域社会の縮図だった。ホタテや牡蠣、鮭などの養殖業が盛んで、国の無形文化財である硯石(すずりいし)はかつて国産の9割を占め、東京駅舎の屋根にスレートとして使われていることでも有名だ。こうした独自の文化を次世代に受け継いでいかなければならない。同時に、この魅力的な資源を活かして、こどもたちが自然から学び、さらに地域内外の交流を生むような拠点をつくろう。そこから、モリウミアスの構想が動き出した。
「人間らしさ」「生きること」を取り戻した
私だけでなく、震災以降「豊かさ」の定義を見つめ直し、「人間らしさ」や「生きること」を取り戻しそうとする人が、東北、そして日本に数多く生まれた。震災直後のボランティアに始まり、地域の生活に憧れて都会から移住してくる人、都会と地方の二拠点生活を実践する人、同時に農家や漁師など自然に触れる仕事を新たに選んだ人。今までこういう生活に興味をもつ人は一部に限られていたが、それが確実に増えている。
振り返れば、モリウミアスもそうした人たちの数え切れない支援がなければ、完成することはなかった。改修から完成までの約2年間に訪れたボランティアは5000人以上に達し、カタールフレンド基金やジャパンソサエティをはじめとする多くの団体・企業の資金援助、また著名な建築家らも施設の設計に力を貸してくれた。
モリウミアスでは、国内外のこどもを受け入れ、自然とともに生きる力を育む体験プログラムを実施している。語り部や漁師などの住民も一緒に思いや知恵を伝えている。そして、早いものでオープンから3年目の夏が終わった。今年も日本、世界から約100人のこどもが集まってくれた。こどもたちはわずかな期間ここに滞在するだけで、顕著な変化を見せてくれる。「自然が育む命やエネルギーとその循環」「自主的に考え、行動すること」、そして「違いを認め、受け入れること」を学ぶのだ。
自然から切り離された生活をしている環境が多い現代。森と海の距離が近く、自然の循環を感じやすいこの雄勝の自然やモリウミアスの施設。その中で生活していると、生き物や植物などの命に触れ、木材などがエネルギーになることを実感できる。また、人間の思い通りにならないことがあることを肌で実感し、自然のサイクルをありのまま受け入れ、チャレンジする。自分の気持ちに素直になり、そうした中で「どうするべきか」と自ら考え判断し、行動する力が自然と養われていく。人間も自然の一部といった感覚がここでは当たり前になる。「生きることを学んだ」とのコメントが出たり、保護者からも、その変化に驚く声をよく耳にする。
「トーンダウン」と「新しい風」
一方で、震災から5年ほど経った昨年あたりから、「復興だ」「新しい町をつくろう」といったエネルギーは、ややトーンダウンしてしまっている印象がある。新居が完成するなど生活が安定してきたのは歓迎すべきことだが、一方で一時的に雄勝を離れた住民が他の地域に本格的に移り住むようなケースも少なくなく、良くも悪くも「6年後の現実」が見えるようになってきた。象徴的なのは、防潮堤だ。以前から建設されることはわかっていたわけだが、実際に目の前に巨大な壁が立ちはだかる光景を目の当たりにすると、「ああ、こういう町並みになってしまうのか」と実感が強まり、意気消沈してしまう。これまで復興をリードしてきた住民から、努力が報われなかったと悲しむ声を耳にするようになった。
そうしたトーンダウンの現象は、モリウミアスも同様だ。「燃え尽き症候群」とでも言うべきだろうか。施設が完成したことへの達成感が大きかった分、今は当時のような盛り上がりに欠け、漠然とした「喪失感」ようなものを感じることもある。オープンから2年が過ぎ、事業が少しずつ安定してきた。良くも悪くも、気持ちの持ち様が大分変わってきた。
その反面、新しい風も入ってきている。例えば、モリウミアスでは学びの場をより豊かに、そして雄勝の町を元気にするために、企業と連携した社員研修も実施している。研修でこの場を訪れる企業の目的も明らかに変わってきている。震災直後はボランティアの目的が色濃かったが、今は明確に社員の人材育成・スキルアップの場として、予算化し送り込んでくれるケースが増えている。例えば、リクルートとの共同プログラム。これまでは企業に対して私たち自身が営業をかけていたが、これはリクルートが企画・ファシリテートし、クライアント企業へ参加を募っている。今年1月には、企業研修向けの新たな宿泊棟「モリウミアス アネックス」がオープンした。受け入れるキャパシティが広がり、利便性も高まった。実際に活用した企業からも好評で、研修自体も増えている。
6年が経ち、いろんな面で新陳代謝が起きているのだろう。今まで活動していた人たちとの繋がりから、これまでにない新しい変化に生まれ変わっている。まだまだこれから、楽しい未来が待っているはずだ。
ーBeyond2020 私は未来をこう描くー
これからのライフデザインを描こう
これから、世界規模で自然環境は激変していくだろう。50年後は地球温暖化がさらに進み、今以上に各地で災害も多発していく。そして、資源は枯渇してしまうかもしれない。このままでは、私たちは今と同じような暮らしを維持できないだろう。また、AI(人工知能)や自動運転を筆頭に科学も進歩し、ますます便利な世の中になっていく。そういう激変の時代において、こどもたちはどんなライフデザインを描いていくのだろうか。
「失われつつある44の価値」というものがある。これは、東北大学大学院の古川柳蔵・准教授が提唱している考え方で、「自然と寄り添って暮らす」「山、川、海から得る食材」「みんなが役割を持つ」「生かされて生きる」など、現代社会で失われつつある価値観を羅列したものだ。どれも昔の暮らしでは当たり前のことばかりだが、今は果たしてどれだけ実践できているだろうか。豊かさを改めて取り戻すことは、自然との繋がりを取り戻すことだと考えている。
地球環境が激変し、科学がどんどん進歩していく時代だからこそ、豊かな自然を守り、それをベースにした生活の知恵が根付き、サステナブルに生きることを実践していける地域の価値は、ますます高まるはず。そういう地域の文化を教育として次世代に繋いでいくことが、私たちが地球とともに生きていくうえで必要なことではないだろうか。
同時に、これは世界に誇れる日本独自の文化でもある。これからは、新しいジャパン・ブランドとしてもっと世界に発信していくべきだろう。私は海外生活が長かったのでよくわかるのだが、世界から見た日本文化の評価は非常に高い。現に、日本のアニメや漫画には世界各国に多くのファンがいる。一昔前の「経済大国」「技術・メーカー立国」ではなく、アニメや漫画のように、「豊かな自然と生きる暮らしの知恵」を教育として伝えていくことは日本の新しいブランドとなる可能性を秘めている。
目指す先はイタリアのレッジョ・エミリア
私には、憧れている町がある。それは、イタリアにある人口約16万人の小都市、レッジョ・エミリアだ。ここは、アート(芸術)を通してこどもの個性を伸ばす独自の幼児教育プログラムを行っており、世界的な評価も高く、幼児教育に携わる人なら誰もが知っているはずだ。しかし、その歴史は第2次世界大戦の爆撃で、町が焼け野原になったところから始まっている。こどもたちの居場所をつくろうと地元の女性たちが自ら幼稚園を開設し、そこで始めたアート教育が70年以上の時を経た今、先進的な教育手法として世界で知られるようになったのだ。
レッジョ・エミリアのように70年、もしかしたら100年かかるかもしれない。でも、モリウミアスにも将来、日本や世界を代表するような学びのコンテンツを創造する力があるのではないか。私はそう信じている。
今、モリウミアスの目の前に広がる光景を見てほしい。町内や県内だけでなく、全国各地、また海外から多くのこどもたちがこの場所を訪れ、雄勝の漁師や農家、お爺ちゃん・お婆ちゃんたちと、方言や英語を飛び交わしながら笑顔で交流している。さらに、研修で訪れる都会のビジネスマンや、インターンで滞在している学生、こどもたちとワークショップを行う各界のプロフェッショナル。それだけではない。海外からも、米ハーバード大学の学生がスタディツアーの一環でここを訪れており、昨年からはカナダやニュージーランドなどの海外のアーティストが定期的に滞在し、絵画や造形作品を制作している。「多様性」を象徴するようなこの光景は、それだけここから、何か新しいイノベーションが生まれる可能性を示しているのではないだろうか。
そして、今夏からは地元小学校との連携もスタートした。授業の一環に、モリウミアスの体験プログラムを組み込むことになったのだ。私たちのような外から来た組織と公立学校がコラボするなんてことは、これまでの日本の教育行政にはなかったことではないか。今、雄勝で学ぶ小・中学生は合わせて40人ほどしかいない。この取り組みがうまく広がれば、例えば山村留学ようなかたちで全国からこどもたちが移り住むようなことも十分考えられるだろう。
このように、もっと地域と都会、地域と世界がどんどんつながっていけば、地域に新しい循環が生まれてくるはずだ。今この町に残っている人、離れた人、そして生きられなかった人。すべての人たちに、この町が「新しく生まれ変わってよかった」と思ってもらえるようになれば、それは私にとってもこの上ない喜びだ。
地域と世界のこどもをつなぐコネクターになる
私がイメージしている10年、20年後の雄勝町の未来は、全国、そして世界とオープンに関係性をもつ地域に生まれ変わり、世界中のこどもたちが大量に遊びに来て、自然の中を走り回っている光景だ。
モリウミアスのプログラムを体験したこどもたちは、まだ10代かそれ以下だ。将来、学生インターンで「また来たい」と言ってくれるこどもも多いし、彼/彼女らがこどもを育てるようになったら、それがまた次世代に伝わっていく。10年、20年、いや50年以上のスパンでモリウミアスとの関係性が続いていくはずで、これは地域を持続させるうえで計り知れない効果があると思う。
さらに、そこに雄勝町での「学び」を求めて海外のこどもたちが押し寄せてくる。欧米だけではなく、途上国や新興国からの来訪もどんどん増えるだろう。例えば、「夏休みは雄勝町に行こう」と思うようなこどもたちが、きっと世界中で増えていると思う。
私自身は、雄勝町にある豊かな資源と、世界中のこどもたちをつなげるコネクターとして役に立ちたい。モリウミアスで学んだこどもたちが成長したら、きっと地域や社会に何かを新しい価値やうねりを起こしてくれるはずだ。それをぜひ、楽しみにしていてほしい。