福島県立ふたば未来学園高等学校 副校長 南郷市兵
1978年生まれ。慶応大学卒業後、民間のインターネット企業に就職。2010年から文部科学省へ出向。東日本大震災後は、被災地と同省をつなぐパイプ役として各地の教育現場を駆け回る。2013年に志願して同省の職員に転籍し、教育に関する復興事業の実務担当として活躍。現場の声をもとに事業化した「創造的復興教育」のもとで、東北の中高生らと国内外で様々なプロジェクトを実施。その一環として、2015年4月に福島県立ふたば未来学園高等学校(広野町)を設立。福島県に出向し、同校の副校長に就任した。同時に、中央教育審議会専門委員として全国の学習指導要領改訂の議論にも加わる。2019年4月にはふたば未来学園の新校舎が完成予定で、同時に中学校も開校。中高一貫校として新たなスタート切る。
ー”あれから”変わったこと・変わらなかったことー
東北発「創造的復興教育」の誕生
「あるわけないやろ!」。あれはまだ、高校生のときだった。阪神淡路大震災が起きたとき、僕はボランティアとして現地に降り立った。「何かできることはありますか?」と声をかけたある女性に、こう怒鳴りつけられたことが今でも忘れられない。とてもショックだったが、そのとき、そこには住民の方々のリアルな痛みや苦しみがあることを痛感した。
そして同時に目にしたのが、そんな絶望の中でも必死に生き、行動する人々の姿だった。あのときの光景が、震災後の東北で「なんとかしたい」と行動を起こす子どもたちの姿と重なって見えた。阪神では微力で何もできなかった自分。今度こそ「何かできないだろうか」「いや、なんとかしたい」。そうした思いが、僕の活動の最大の原動力になっている。
東日本大震災の発生直後から、僕は文部科学省の職員として岩手、宮城、福島3県の教育現場を走り回り、学校の被災状況や支援ニーズなどをひたすら探る仕事をしていた。そうした中、「元通りの学校に戻すだけではダメだ。何もなくなったところから新しいものを創り出す力を育む、全く新しい教育が必要だ」。東北各地の教育関係者から、こうした声を何度も耳にした。その思いに突き動かされた僕は、これを政策に落とし込むため、関係機関や省内の調整に乗り出した。
そうして生まれたのが、「創造的復興教育」だ。復興を担う子どもたちに必要なのは、困難な時代を「生き抜く力」なのではないか。そのために、従来のように知識を暗記させるだけの一方通行の教育ではなく、困難な状況でも自ら考え行動し、未来を切り拓く力、地域にイノベーションを起こす力。こうした力を育む教育を実践しよう。そういう考え方で生まれた国の復興事業だ。具体的には、OECD(経済協力開発機構)と協力し、本部のあるパリで東北の魅力を世界にアピールするイベントを中高生自身が企画・実践するプロジェクト型の教育プログラムを展開したり、生徒会メンバーが集まって復興やまちづくりについて議論し、それぞれの地域でプロジェクトを実践していく取り組みを展開するなど、国内外で様々な活動を行ってきた。
人間の「芯」をつくる教育の条件とは
こうした「創造的復興教育」に参加した子どもたちは、歳を重ねた今、どんな風に成長しているか。共通して言えるのは、非常に強い人間的な芯をもつようになったことだ。「何のために生きるのか」「何のために学ぶのか」。そう聞かれたら、彼/彼女たちはきっと1時間でも2時間でも語れるはずだ。故郷再生のために学んでいる子もいれば、世界の諸問題を解決しようと海外の大学に留学する子もいる。「創造的復興教育」の活動を通して、学校の枠を飛び出し、地域社会や世界と向き合って学んだ経験が、芯のある生き方にしっかりとつながっている。そうした芯を打ち立てた子どもたちは、きっとこの先訪れるであろう挫折や失敗にも怯まず、壁を乗り越えていくことだろう。
誤解を恐れずに言えば、そうした人間的な芯をつくることは、従来の学校に閉じて知識を学ぶ教育では難しいと思っている。学校で一方的に教えたら育つものではなく、自らつくり出すものだからだ。そのために僕たちができること。それは、解のない課題で溢れる現実社会の中に、子どもたちを放り込むことだろう。知識も解決力もない未熟な生徒たちだが、悩み、もがき、苦しみながらも自分なりの解決策・プロジェクトを立ち上げ、実践した時に初めて、社会の課題と自分の生き方を重ね合わせて考えることができるのだと思う。そうした機会をつくることが、人間として強い芯をもつための絶対条件ではないだろうか。
福島に生まれた最先端教育の「ふたば未来学園」
そして、こうした「創造的復興教育」の中から生まれた大きなプロジェクトが、福島県立ふたば未来学園高等学校の創設だ。「創造的復興教育」を通して芽生えた、生徒たちの困難な時代を生き抜こうとする力。それを、復興予算を前提にした一過性の現象にしてはならない。公教育の現場に仕組みとして落とし込むことができれば、学ぶ生徒数を一気に増やせるし、活動そのものも永続的になる。そして、全国のモデルになるような先進的な教育を行う中高一貫校を設立することを決めたのだ(2015年4月に高校が開校、2019年4月に中学校が開校予定)。
ここでは、「未来創造型教育」と銘打って、先進的なカリキュラムを数多く取り入れている。県内では唯一、文科省のスーパー・グローバル・ハイスクールに指定され、チェルノブイリ原発事故の被害に遭ったベラルーシや、再生可能エネルギーによるまちづくりで先端を走るドイツを視察したり、ニューヨークの国連本部で世界に未来社会のビジョンをプレゼンするなどの海外研修をカリキュラムの一貫で実施。また、町に繰り出してフィールドワークを行うなど、知識詰め込み型ではなく主体的に学び、実践するアクティブ・ラーニングの手法も取り入れている。さらに、劇作家の平田オリザさんや元陸上選手の為末大さんをはじめ各界の第一人者を招いて授業を行ったり、教育支援NPO「カタリバ」の放課後学習室を設置したりと、特色あるメニューがずらりと並ぶ。
中でも核となっているのが、2年生と3年生が取り組む「未来創造探究」という授業だ。「原子力災害によって崩壊したコミュニティの再構築」「再生可能エネルギーを生かした街づくり」「メディアによる情報発信とコミュニケーション」など6つの班に分かれ、生徒たちが自ら震災後の地域課題やその背景を探り、それを乗り越えて持続可能な地域をつくるためのプロジェクトを企画・実践する課題解決型学習プログラムだ。
その中から生まれたプロジェクトの1つに、「FMふたばプロジェクト」の活動がある。アメリカのファーマーズマーケットを視察した生徒が、農産物の風評被害を払拭しようと立ち上げたもので、地元の生産者と消費者が野菜の売買や交流を楽しむイベントを発案したのだ。開催に必要な資金はクラウドファンディングで調達。イベント当日は約20人の農家が出店し、地域住民ら130人ほどが来場した。発案者の生徒は学校近くの休耕畑を借り、自ら”農家”となって作物を栽培。プロジェクトに関わる生徒も20人近くに増えた。こうした生徒の成長ぶりは、僕たち大人の想像を上回るものばかりだ。
ーBeyond2020 わたしは未来をこう描くー
100個の地域プロジェクトが生まれるイノベーションの坩堝
僕は、この学校は双葉郡、そして福島におけるイノベーションの坩堝(るつぼ)になると期待している。「未来創造探究」などで企画され、地域で実践されるプロジェクトは、1〜3年生のすべてを合わせると毎年90個に達する。それに、地域活性化を目標に掲げるユニークな部活「社会起業部」の活動も含めると、常に100個近いプロジェクトが生まれている計算になる。これは尋常ではない数で、地域を変えるものすごい可能性を秘めている。
原発事故の影響で一時避難区域となった広野町だが、今は約9割の住民が帰還し、生活基盤も安定してきている。ただ、単に震災前の状態に戻るだけでいいわけではない。地域には震災以前から、過疎化やコミュニティ衰退をはじめとする課題が山積していたはずだ。今は外から復興資金という名の強烈な注射を打たれているが、これに頼り続けるようでは町の明るい未来はないだろう。また、双葉郡内にはまだ帰還できない町も含め様々な課題が山積し、復興の道のりはまだ先が見えない。一般的に地方には、異質な者をなかなか受け入れず、変化を拒む「同質性」が根強く残っている場所が多い。福島も決して例外ではないだろう。だからこそ、生徒ら若い世代が地域を盛り上げるようなプロジェクトをどんどん実践することで、大人たちに新しい刺激を与え、地域を揺り動かすことができるのではないか。
この学校を起点に常時100個のプロジェクトが生まれる状態が続けていけば、この地域は日本一、地域プロジェクトが動いているユニークな場所になると思う。それは、地域に対する貢献だけでなく、高校を核にした地域活性化・地方創生のモデルとして全国各地に普及させられるのではないか。
「寛容性」が分断・対立の世界を乗り越える
アメリカのトランプ大統領の誕生や、各国での極右勢力の台頭、止まない紛争やテロ。分断や対立、排除の論理がはびこる世界情勢の中で、一体僕たちにはどんな力が求められているのだろうか。それは、「寛容性」や「他者への理解・想像力」ではないだろうか。
今この学校で起きていることは、まさにそうした「寛容性」の広がりだ。「寛容性を育てる」「異なる他者を認める」。これは、僕たちが最も注力してきた教育テーマでもある。ふたば未来学園のある双葉郡には、放射能に対する危険/安全の考え方の違いや、帰還した住民と町外で家を再建した人、あるいはここで生活する原発作業員と地域住民の関係など、分断や対立が日常的に存在する。どちらか一方が悪者というわけではなく、相互理解と共生が求められている。開校にあたって教師たちと「生徒たちにどういう力を育んでほしいか」と議論した結果、最も多く挙がった意見が「異なる立場や考えを受け入れられる温かさ」といったものだった。僕らはそれを「寛容性」と表現したのだ。
「寛容性」を育むふたば未来学園を象徴する出来事があった。2017年2月、演劇部の生徒たちが、自らの震災体験や避難体験を語り合って自ら台本を制作し、東京で公演したのだ。この演劇は、震災や原発事故以降の心の揺れ動きや葛藤を自分たちの経験を通して表現する内容だ。震災後の6年間ため込んできた思いを語り合い、ぶつかり、泣き、苦しみながら、生徒たちが創り上げた劇で、舞台では、それぞれが今の自分を語った。追われた故郷に帰りたい子もいれば、帰りたくない子もいる。”復興の星”であることを求める大人の期待が重荷で震災の劇なんてやりたくない子もいる。全て現実なのだ。色々な考えや立場が微妙に混ざり合い、毎日変化している。そういう自分たちのいる位置を巧みに表現した。そして、観客に問いかけたのだ。「みなさんは今 どこにいますか?」
描かれていたのは「きらびやかな復興の物語」でも「白か黒かの二元論」でもなく、「ごちゃごちゃした現実」そのものだった。
役場や住民、東京電力関係者など地域内にある立場の違いに加え、生徒たちの中にも、例えば原発の問題を1つとっても「存続」「即時撤廃」「段階的縮小」など意見は多様だ。生徒たちは演劇を通して、地域や校内にある分断や対立をありのまま表現してくれた。これには感服した。僕も含めて、大人がふたば未来学園の生徒たちの現実を表現しようとすると「地域の課題に挑戦する『復興の星』」というステレオタイプの表現になりがちだ。いまだ根深い風評に抗うために、曖昧さや後ろ向きなことはさて置き、前に進むためには前向きな発信しかできなかった。白と黒との2つの情報がぶつかり合う。しかしそれが混ざり合うことはなく、ぶつかり続ける。どちらも、一面を切り取った言葉にすぎない。
生徒たちは、僕ら大人が越えられない壁や限界を、ひらりと飛び越えてくれたのだ。開校から約2年。まさかここまで成長してくれるとは正直思っていなかった。彼らは、物事は多面的であることを学び、他人の痛みを「自分事」として捉えられるようになったはずだ。
寛容性や、異なる立場や考え方への理解・想像力は、この地域で暮らしていくために必要な資質であるとともに、混沌とした世界を生き抜くうえでベースとなる力でもある。だからこそ、この学校からそういう生徒を数多く育てていきたい。
世界から見た福島の教育的価値とは
こうした教育方針は、世界的にも高い教育的価値があると思っている。世界で相次ぐテロ事件などを受け、OECDは今後の教育の方向性として、新たに「グローバル・コンピテンシー」と呼ばれる概念の必要性を提起している。国連は潘基文・前事務総長の発案で「グローバル・シチズンシップ」という言葉を使っている。これは、どんなに知識や学力があっても、それを間違った方向に働かせることは社会にとってマイナスであり、宗教や民族、文化の違いを受け入れ、異なる存在や考えを理解・尊重しながら問題を解決し、また生きていく力が必要。そういった趣旨で提起されたものだ。
こうした世界で求められる力を育む学校の姿を、この学校から新しい教育のかたちとして世界に発信できるのではないか。僕たちはOECDが打ち立てた概念をもとに、「寛容さ」や「他者との協働力」「自分を変える力」など計10項目にわたる独自のルーブリック(評価基準)を策定した。英訳版も作成し、OECDなどの国際機関にも提出している。震災後、僕たちは世界各国から多大な支援を受けた。今度は僕らが世界に対して、何か次の時代のために役立つものを返したい。生徒たちの思いも、きっと同じだろう。
思えば僕は、高校生のときから「生きる意味や学ぶ意義を感じられる機会、そして学び舎をつくりたい」。そんな夢を抱き続けてきた。2019年4月にはふたば未来学園の新校舎が完成し、中学校も開校する予定だ。いよいよ中高一貫の教育が始まる。僕にとってはまた一歩前進、そして未知なる挑戦の日々が始まる。まだまだ発展途上だが、このふたば未来学園を生徒たちにとってもっともっと魅力的な空間にしたい。今の教育界をみていると、「いい生徒」の定義が固定化され、評価のストライクゾーンが狭くなっているように感じる。もっと人間は多様でいいはずだ。多様な人間が自分らしく、居心地よく過ごせる空間。生徒たちがいろんな方向へ自由に、でも本気で活躍できる環境。その点において、ここを日本一の学校にするのが僕の役目だ。
まだまだ道半ば。前に前に、この地で進んでいきたい。
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