【Beyond 2020(14)】「憧れの連鎖」で若い世代のアントレプレナーシップに火を灯す

一般社団法人あすびと福島 代表理事 半谷栄寿

1953年、福島県南相馬市生まれ。1978年に東京電力に入社し、2010年まで執行役員を務める。東日本大震災の発生直後、東京から同市に支援物資を運ぶ活動に従事。その後、「長期を要する復興には若い世代の育成が必要」と考え、2012年に一般社団法人福島復興ソーラー・アグリ体験交流の会を設立し、2013年、小中学生を対象に再生可能エネルギーの体験学習を開始。2014年から高校生や大学生の人材育成に力を注ぎ、企業・団体の社員などを対象にした社会人の研修事業にも着手している。2016年1月、名称をあすびと福島に変更。2017年夏には、高校生と大学生、社会人が一体となって社会的事業を立案・実行するコミュニティを立ち上げた。

ー”あれから”変わったこと・変わらなかったことー

一歩ずつ前進している福島を知ってほしい

あえて「変わらないこと」から申し上げたい。それは、福島に対する風評被害だ。6年半経った今も、原発事故の放射能汚染などに起因する「危険」といった悪いイメージが、固定化されてしまっている。時とともに次第に福島への関心は薄れてしまい、そうやって関心が低下する中で、風評被害だけが変わらずに残り続けてしまっている。

確かに、福島の場合は原発周辺の沿岸部を中心に、岩手や宮城と比べて課題は非常に多岐にわたる。だが、小さくても一歩一歩、前進していることも事実だ。しかし、その「前進」の部分にはなかなか光が当たらずに、「停滞」や「遅滞」の部分だけがフォーカスされている。ときには遅々として進まない場合もあるが、それでも復興の現場は一歩ずつ前進している。そんな福島の「前進」も、ぜひ知ってもらいたい。

福島は「日本の未来をつくる入口」

一方、力強い希望もある。そうした周囲の関心低下の対極として、これまでにはなかった新しい見方で福島に「関わろう」とする人たちが確実に増えているからだ。このことは私にとって、震災後の福島に起きた最も重要な変化だ。そうした人たちは、福島にどんな関心を向けているのか。「日本の未来をつくる入口」と捉えているのだ。人口減少や高齢化、過疎化など、震災によって残念ながら福島は、日本全体の20年後の社会課題を先取りした課題先進地域になってしまった。しかし、そうした課題を1つずつでも解決していくことができれば、課題解決の先進地域になり得るポテンシャルを秘めている。このように、未来の社会課題を解決するフロンティアとして福島を見つめ、関わる人たちが増えている。

東京の企業などを対象に実施している社会人研修は毎年参加団体・人数が増え続けている。

例えば、私たちあすびと福島が2014年に始めた企業・団体を対象にした社会人研修プログラム。被災地の課題を自分事化し、自社のリソースを使って社会的な事業を立案する。また、復興の起業家たちと対話し、強い当事者意識と主体的な行動を学ぶ。そうした目的とカリキュラムで実施しているこの研修プログラムは、CSRとしてではなく、新たな研修の価値として東京の企業などから評価をいただき、今では労働組合や国家公務員にも対象が拡大し、参加する社会人が増え続けている。この1泊2日の社会人研修に参加した社会人は、2014年度からの4年間の累計で2500人に及んでいる。直近の2017年度は40回、800人にもなる。また、2017年8月には、福島沿岸部での起業を目指す人たちの新たな組織「フロンティア・ベンチャー・コミュニティ」(FVC)のフィールドワークを実施し、個人として福島に真剣に向き合う人たちを対象とした研修も行った。

日本全体の未来の社会課題に対して、どう向き合うべきか。大都市の会議室で議論するよりも、ここ福島でフィールドワークを行う方がはるかに自分事化でき、当事者意識を強く促すことができる。「1人称」で思考するレベルがまるっきり違うのだ。だからこそ、日本の未来を切り拓く場所としての福島、そんな新しい可能性をもつ福島への関心が高まっている。

若い世代に宿り始めたアントレプレナーシップ

「地元の子どもたちのためになる仕組みをつくってほしい」。震災直後、東京から南相馬に物資を届ける活動をしていた際に、地元の女性からこう告げられた。そこで私は、長期を要する福島の復興のために、子どもたちの成長に伴走して次世代を担う若いアントレプレナー(社会起業家)を育てようという志を抱いた。福島の子どもたちは、間違いなくそのポテンシャルをもっている。全国、あるいは海外から数え切れないほど多くの支援や激励を受けた福島の子どもたちは、「恩返しがしたい」「人の役に立ちたい」「地元のために働きたい」と強く感じているからだ。だからこそ、子どもたちがポテンシャルを顕在化して成長できる仕組みをつくることができれば、その延長線上に福島の復興に役立つ人材を育成できる。そういう確信をもった。

南相馬の小中学生が参加する再生可能エネルギーの体験学習。ここでは「発表することに躊躇しない力」の育成を大切にしている。

まず最初に始めたのが、地元の小中学生を対象にした再生可能エネルギーの体験学習だ。再エネを楽しく学ぶとともに、ここで大切にしているのが「発表することに躊躇しない力」を身につけることだ。発表する力は、課題解決のために主体的に考え行動する力の源になるからだ。この体験学習は、南相馬市の小中学校の総合学習として位置づけられ、2013年の開始から現在までに、地元の小中学生3400人のうち2900人が参加している。

福島県内の高校生が対象の「あすびと塾」。開催回数は34回に達している。

そして、県内の高校生を対象にした社会起業塾「高校生あすびと塾」も並行して実施している。「あすびと塾」は、県内の高校生が参加しやすい福島市で月1回開催し、これまでに34回を数える。この塾から生まれた社会的事業が、食材付き情報誌「高校生が伝えるふくしま食べる通信」だ。「大好きな福島が誤解されて悔しい。農家さんの想いを伝えたい」。ある女子高生の志をもとに、高校生自らが編集部員として県内の農家さんの想いを取材し、季刊の情報誌を創刊した。2015年から現在までに11号を発刊し、福島の農業と高校生を応援する読者も全国に及び700人ほどに達している。編集部員は4つの高校にまたがり5学年にわたっている。このように、若い世代の間にアントレプレナーシップ(起業家精神)が宿り、それを実行する高校生たちがつながっている。

ーBeyond2020 私は未来をこう描くー

世代を超えた「あすびと福島コミュニティ」の誕生

私がこうした若い世代の人材育成で鍵を握ると考えているのが、「憧れの連鎖」を起こすことだ。これはあらゆる分野に共通することだと思うが、例えばサッカーの世界で言えば、子どもたちは本田圭佑選手や香川真司選手に憧れ、厳しい練習も乗り越える。福島でアントレプレナーとして活躍する「憧れの対象」となるような若い人材を育成できれば、その姿を見て育つ次の世代も「そうなりたい」と挑戦へのモチベーションを高め、成長していく。その結果、福島にアントレプレナーが次々と輩出されるようになる。それが、私が描く人材育成の「憧れの連鎖」だ。

「あすびと福島コミュニティ」では高校生、大学生、社会人の合宿から2つの事業案を生み出し、実現に向かっている。

「憧れの連鎖」のフロントランナーを生み出すための新たな取り組みとして、「あすびと福島コミュニティ」を2017年8月に立ち上げた。これは、社会人研修が契機となって福島に向き合い続ける、言わば「2枚目の名刺」としての社会人が、福島出身の大学生の成長のためのサポート役に入る世代を超えてつながるコミュニティだ。これまでは高校生、大学生、社会人とそれぞれ並行して個別に実施してきたプログラムを一体化させることで、人材育成の化学反応を起こそうという目的だ。特に大学生がしっかりとしたスキルをもった社会人とともに新たな社会的事業を起こすことによって、一層の成長が期待できる。8月に計50人で開催した2日間の合宿を通して企画した事業案の中から、今後は2018年春に向けて南相馬市小高区と浪江町を舞台に2つの社会的事業・プロジェクトを立ち上げる計画だ。

講義などの座学も大切だが、小さくても実際に事業を立ち上げ、実行し、たとえ失敗しても、それでもめげずに手段を変えながら実現させる。そういう「実行」に徹底的にこだわった人材育成に一層力を注いでいく。私たちあすびと福島は、アントレプレナーのフロントランナーを生み出すため、意欲のある学生たちの成長に向けて伴走を続けていく。

「危機のパッション」と「平時のパッション」

福島を拠点に新しい社会的な事業が生まれる。その兆しは芽生えている。企業から高い関心が寄せられ、若い世代のアントレプレナーシップも育つ確かな手応えがある。一方、福島には新しい事業・プロジェクトを起こすような「よそ者」が足りない。岩手や宮城にはよそ者がたくさん入り、新しい事業を起こしている。しかし、原発事故の風評被害が残る福島は、その分だけ人材が流入する時間が止まってしまった。それはハンデキャップだが、期待でもある。例えば南相馬市小高区は、約1年前に避難指示が解除されたばかりで住民は震災前の2割ほどにとどまる。発想を逆転すれば、参入障壁が低いので、よそ者が果敢にチャレンジし活躍できる環境が広がっているのだ。

ここで、思い切って問いかけたい。「起業を志している皆さん。あなたのパッション(情熱)は何ですか?」。福島は今、ソーシャルビジネスにチャレンジしやすい環境にも関わらず、「経営リテラシーを高めれば高めるほど、パッションが弱まるのではないか」「理論的にビジネスを起こそうとしすぎるほど、ソーシャルビジネスは起こしづらくなるのではないか」。そう強く感じるようになったからだ。ソーシャルビジネスは多様なステークホルダーとの調整が必要な反面、経済的な自立性を確立することが難しく、経営リテラシーを研ぎ澄ますほど飛び込みにくいフィールドともいえる。その壁を乗り越えてソーシャルビジネスの世界に飛び込むには、やはりパッションが重要だ。震災が起きた6年前は、優れた経営リテラシーをもつ人もパッションで動いた。

「高校生が伝えるふくしま食べる通信」。高校生たちが生産現場を訪ね、農家の想いを自分事化して発信している。

では、人はどんなときに燃え盛るような「パッション」を抱くのか。それは、やはり「危機」「非日常」のときだ。だからこそ、震災後にパッションをもった人たちが各地で数多く生まれたわけだ。震災から6年以上が過ぎたのだから、必ずしも嘆く必要はない。心の底からパッションが湧き起こるような危機が、日常的に起こっていいはずもない。

つまり、必要なのは平時におけるパッションをどう生み出すのか、ということだ。私はその原動力は「憧れ」にあり、それを仕組みにすることで「連鎖」を生み出すことができると確信している。小中学生、高校生、大学生、さらには社会人。世代を横断した人材育成プログラムを通じて、憧れの的になるようなアントレプレナーシップをもった若い人材を福島で育成し、自分も「そうなろう」という「憧れの連鎖」が次の世代に循環するようになれば、平時においてもパッションをもち、ソーシャルビジネスを起こすような人材が次々と生まれる。そしてそのとき、福島が本当の意味で社会課題解決の先進地になる。

元東電役員として、福島の人材育成は宿命だ

私は、2010年まで東京電力の役員を務めていた。小学生のとき、私は祖父に連れられ、福島第一原発の建設現場に立っていた。この場所が日本のエネルギーを変える、そして福島に明るい希望をもたらすと、子ども心に思った。その原体験が、東電入社につながっている。2011年の大震災直後の事故当時は退職していたとはいえ、重い責任があるし、これは生涯背負っていかなければならない。

私にとっての「福島の復興」は、アントレプレナーが輩出されるような状況が生まれることだ。10年、20年かかるかもしれない。しかし、若い人材の成長を支える体制をつくり、裾野を広げることは、私の宿命だと思っている。