【Beyond 2020(25)】同調圧力の社会からはみ出すオルナタティブな東北、若者を

一般社団法人ワカツク 代表理事 渡辺一馬

1978年生まれ。1997年、宮城大学に入学し、在学中に学生ベンチャーサークル「デュナミス」に参画。2001年、卒業と同時にデュナミスを会社法人化し、代表に就任。2005年より県内の学生のインターンシップ事業を開始した。東日本大震災後の2011年7月、一般社団法人ワカツクを立ち上げ、事業を移管し、「世界を変える人材を数多く生み出す仕組みを創る」ことを目的に被災地へのボランティアやインターンのコーディネート事業を展開。翌年、計1000個を目標に様々な団体の復興支援活動を紹介するWEBポータルサイト「東北1000プロジェクト」を立ち上げる。その他、若者の成長を後押しするための事業・プロジェクトを数多く展開。NPO法人ファイブブリッジ監事、NPO法人せんだい・みやぎNPOセンター理事も務める。

ー”あれから”変わったこと・変わらなかったことー

変革者の出現と急速な揺り戻し

数多くの変革者やチャレンジャーが生まれた。それが、震災後の東北で起きたポジティブな変化だ。被災地には、従来の経済合理性ではないものに価値や生きがいを見出し、社会や地域のために活動する人が東北内外からたくさん押し寄せた。さらに、そうした挑戦者を支えたり、あるいは触発されて自ら起業するようなプレイヤーも生まれた。本来なら、ときに窮屈に思えるような秩序や枠をつくるはずの行政職員などまで感化された。見る人によっては、ブレーキが効きづらいヒヤヒヤするような状態だったかもしれない。でも、だからこそおもしろい。東北は、そういう挑戦しがいのある場所へと変わったのだ。

僕たちがインターン事業などで関わっている若い学生たちの間にも、そうしたチャレンジ精神が一気に芽生えた。「人を助けるため」「故郷を再生するため」と、他者貢献意欲を何の恥ずかしげもなく語り、さらに言葉にするだけでなく、具体的にアクションする動きも数え切れないほど生まれた。

しかし、7年近く経った今、そこからの強い「揺り戻し」が起きている。それも、せっかく生まれたポジティブな変化を上回る勢いでだ。多くの人が時間の経過とともに「平時」の空気に飲み込まれ、変革者やチャレンジャーになることに二の足を踏んでいるように見える。社会へ飛び出し、課題に対峙するプレイヤーはむしろ減ってしまっているのではないか。そんな危惧があるのだ。

1万人超の学生ボランティアを被災現場へ

震災前から宮城県内の学生のキャリア形成支援やインターンシップ事業を行っていた僕らは、そのノウハウを生かして震災直後の3月から被災地における学生のボランティアをコーディネートしてきた。

被災地へ送り込んだ学生ボランティアの数は計1万人を超える。

学生ボランティアのマッチングイベントも開催し、多くの参加者を受け入れた。

震災が起きた直後、学生から何度も聞かれた「自分みたいな素人でも役に立てるんですか?」。彼/彼女たちの意欲と力を被災現場で生かすため、受け入れ企業やNPO、大学などと連携してボランティアの学生を送り込み、並行してボランティアのマッチングイベントや大学での講座も開催。2012年に立ち上げた、計1000個を目標に様々な団体の復興支援活動を紹介するWEBポータルサイト「東北1000プロジェクト」も、学生と支援プロジェクトをつなぐことが目的の1つだった(現在は、震災復興のほかに地域活性や国際貢献、教育支援などに取り組む学生団体の情報を網羅したサイトへとリニューアル)。

僕らが直接コーディネートした学生は延べ2000人以上、マッチングイベントを介すなど間接的なケースも含めると1万人を超える。ボランティアを通じて多くの若者が地域や社会課題に向き合い、中にはその後自らプロジェクトを企画したり、地元企業への就職を選ぶようなケースも生まれた。それに加えて、震災前の学生時代に僕らのインターン事業に参加した社会人が、名の知れた会社を退職・休職するなどして地元に戻り、支援に加わってくれることもあった。

変革者の存在が「離れ小島」になっていないか

しかし、だ。極度の混乱期から急速に秩序を回復させる中で、その揺り戻しは予想以上に強かったのかもしれない。新たに生まれた変革者やそこから派生した1人ひとりの挑戦への機運が、どうも同心円状に広がっていないように感じる。そうした人たちの存在があたかも「別人」のように特別視され、そこだけが「離れ小島」になりかけている。構成比で表せば「3:7」のような次元ではなく、「1:9」くらいの圧倒的な少数という感覚だ。

特に今の学生たちと接していると、その傾向は顕著に見える。僕が学生たちに口酸っぱく伝えているのは、「道を踏み外す『ヘン人』になってほしい」ということ。モラトリアムこそ若者の最大の特権だ。自分が生きる社会について迷い、試行錯誤し、外に向けて具体的にアクションし、フィードバックを受け止める。たった一度だけでもいい。この経験は学生の将来にとって非常に有益だし、広く社会の多様性や創造性を育むことにもなるはずだ。

復興支援活動のポータルサイト「東北1000プロジェクト」(旧)。学生ボランティアのマッチングにも活用した。

ただ、今の若者の多くは、どうも決められたレールの上を慎重に歩きたがるようだ。社会に蔓延する「踏み外すな」という同調圧力、プログラム化された教育カリキュラムに押し込められているように見える。試行錯誤や脱線を許容しない社会、失敗しないことが成功と言わんばかりの教育システムも問題だが、そんな周囲の風潮に従順な若者ばかりで創造的な未来を描けるだろうか。本来1人ひとりは唯一無二の特別な存在で、だからこそいろんなことに挑戦できるはずだ。

震災から7年近く経つ。あのときの異様な熱気が次第に落ち着いていくのは仕方のない面はあるが、あの悲劇を経験したからこそ、東北はそれに抗ってほしいと強く思う。誰かに敷かれたレールの上で決まったことをするなら、都市部の方がずっと効率的で条件もいい。東北にいるのなら、あなたがしたいことに思い切りぶち当たってほしい。

ーBeyond2020 私は未来をこう描くー

困り事があっても困らない東北に

「困り事があっても困らない東北に」。2011年3月11日は「絶望」だったが、すぐに「みんなで何とかしようよ」という雰囲気になった。僕自身も自宅が全壊した後、知り合いが半年ほどマンションを貸してくれたことがあった。あのときの支え合いの光景を仕組みとして残したい。そう思った僕は2012年に、東北で実現したい2020年のビジョンを掲げた。それが、「困り事があっても困らない東北に」だった。

これは、「ソーシャル・キャピタル(社会関係資本)が豊かな東北」「困り事が流通している東北」とも言い換えられる。困り事を解決するためのプロジェクトが日々生まれ、そこに僕らのようなコーディネート組織が若者をつなぐ。若者の挑戦する機運が生まれ、地域・社会課題が解決へ向かっていく。東北のフィールドに、そういうシーンが大量に生まれる状況をつくりたいと思っている。

現在は、復興支援や地域活性などに取り組む学生団体の活動を紹介するサイトへとリニューアル。

ただ、どうだろう。どうも最近は困っている人を助けることが難しくなってはいないだろうか。インターネットの空間で誹謗中傷が蔓延し、少数意見を発するだけで激しいバッシングを受け、何かアクションを起こそうとすると横槍が入る。困っている人を助けるには、なぜかいろんなことに立ち向かわないといけない風潮になっている気がする。

「自立とは、お互いがお互いを助け合っている状態だ」。NPO界の師匠である、せんだい・みやぎNPOセンターの故・加藤哲夫さんの言葉を思い出す。自立とは、誰の助けも必要としないことではないはずだ。もっと人に助けてもらうことや、一緒に考えたり、もがきあがくようなことが賞賛されるべきではないか。

市民社会とは、1人ひとりが小さなろうそくを灯すこと

「市民社会」とは何だろうか。ここでも、加藤さんの言葉を借りたい。それは、「強いリーダーが導くものではなく、1人ひとりが主体となりつくり上げる社会」だろう。せんだい・みやぎNPOセンターの設立趣意書に、こんな一節がある。「私たちの望む社会は、力ある者を中心とした社会ではなく、生活者の価値と発想を基盤にした多様性と個人の自立性のある市民社会であり、参加と協働の道が人々に開かれた公正で透明な社会だ」と。とても力のある言葉だ。僕なりに解釈すれば、他人から「あなたは幸せ?」と問われるのではなく、生きている意味を自ら定義し、「私は幸せだ」と言える社会。それが、本来的な市民社会ではないだろうか。

強いリーダーが唱える言葉は聞き心地がよく、ついついその誘惑に引っ張られてしまう。確かに特定の場所には強い光が当たり明るくなるかもしれないが、その周りが真っ暗では幸せな社会とは言えないだろう。みんなが小さなろうそくの火を灯すことができれば、すごく明るくはないけど、みんな暗くもない。これが、僕が考える理想の社会だ。僕自身は、そのろうそくに小さな明かりをできるだけ多く灯せる人間でありたい。その思いが、この活動の原動力になっている。

道を踏み外し、異を唱えるアウトサイダーとして

東北を日本の課題解決モデルにーーとよく言われるが、僕はそんな大仰なことを言うつもりはない。ただ言いたいのは、東北は常にオルタナティブな価値を発信し続ける辺境の地であるべきということだ。変革者やチャレンジ、平たく言えば「ヘンな人」や「ヘンなこと」が数多くインデックスされている状態。東京の大資本に歩調を合わせるのではなく、「うちはこうだ」と胸を張って言えるような東北であってほしい。

そのためにも、2020年に誰をデビューさせるかは大切な問いかもしれない。6年半前、東北には社会や地域の表舞台にデビューする人がたくさん現れた。あのときデビューしたリーダーたちが、2020年以降も復興現場のフィールドを自由に駆け回っているようではいけないはずだ。彼/彼女たちを脅かすような人が現れ、競争や切磋琢磨が起きないと、あの瞬間に生まれた希少な指導者を単に消費しただけで終わってしまいかねない。次のスター誕生の舞台をつくらないといけない。

ワカツクもコーディネーターとして参加する復興庁の復興・創生インターン(写真は岩手県釜石市で行われたプロジェクトの様子。コーディネーターはNPO法人wiz、株式会社パソナ東北創生)

僕は粘り強く、これからさらにチャレンジの絶対量を増やし続けていく。2017年度から新たに、被災地の企業や復興支援の団体で経営課題の解決にチャレンジする実践型インターンシップ(復興庁:復興・創生インターン)が始まった。岩手、福島を含めた3県の広域で行う事業で、僕らもコーディネート役として参画している。年間200人ほどの学生が現地で課題解決プロジェクトに挑戦している。参加学生の反応を見ていると、多くがリーダーたちの熱に触発されている。こうした経験の連続が、いつか地域や社会へのデビューにつながってほしい。

チャレンジする主体を増やすためには、学生に加えて社会人の領域を攻めることも必要になるだろう。今後は学生だけにとらわれず、広い領域で社会や地域デビューできるような仕掛けをつくりたい。

若者に要求しているばかりではいけない。僕自身もレールを踏み外し、挑戦や試行錯誤を怠らない「ヘン人」、画一化する社会で異を唱える「アウトサイダー」であり続ける覚悟だ。道を踏み外させまいとする同調圧力や誹謗中傷…そんな社会的制限をぶち壊し、みんなで困り事を共有し、小さなろうそくを灯す市民社会を実現するために。