株式会社WATALIS 代表取締役 引地恵
1968年、宮城県亘理町生まれ。宮城教育大学大学院卒。大日本印刷、亘理町役場(学芸員)に勤務。東日本大震災後、亘理の女性たちの間で伝承されてきた巾着袋づくりを開始、巾着袋「FUGURO」の販売事業を始める。2013年4月、一般社団法人WATALIS(ワタリス)を設立。2015年5月、株式会社WATALISに事業を移管。直営店や通信販売、宮城県の百貨店などで販売。社団法人では手仕事ワークショップなどを開催している。各種ビジネスコンテストの受賞歴も多数。
ー”あれから”変わったこと・変わらなかったことー
7年で見えてきた課題の複雑性
早いもので、あれからもう7年。家がないときは仮設住宅を急いでつくって、次に完成したのは復興住宅。今度はまたゼロから住民コミュニティを立て直す。課題が次々と消えては現れる。果てしない課題との対話は、これからも長く続くのだろう。
復興の速度も地域によって状況が違うし、同じ町の中でもまた違う。亘理町も、沿岸部は家が津波で流され景色が変わり果てた。そこに暮らしていた人たちの生活は180度変わり、内陸部に住む人たちはまた別の悩みを抱えている。7年経ったからこそ、複雑な要素が混ざり合い、いろんなものが見えてくる。一言で「今」を切り取るのは難しい。
亘理の「ふぐろ」を未来に紡ぐ
「そんなの無謀だ」「本当にできるのか?」。田舎育ちで、海外に留学したこともなければ、起業した経験もない。そんな私が地元・亘理町に伝わる文化を世界へ発信したいと言い出すと、周囲から疑問の声がたくさん上がった。それでもなんとか、少しずつ事業を拡大させてきた。常に悩み、もがきながら、必死に前へ進んできた。そんな震災後の7年間だった。
あれは、震災から約半年後のことだった。学芸員として町内の民俗調査をしていたとき、ある農家のおばあさんから「巾着袋」を見せてもらった。聞けば亘理に暮らす女性たちは、着物の残り布でつくった巾着袋にお米を入れて、お祝いやお返し、手土産にして「ありがとう」の気持ちを手渡ししていたそうだ。
「ふくろ」がなまって「ふぐろ」。この「ふぐろ」に詰まった亘理の女性たちの伝統的な暮らしや感謝の心を未来へ受け継ぎ、多くの人に伝えたい。そう思って2011年10月、妹に声をかけ「ふぐろ」づくりを始めた。その後役場を退職し、2013年に一般社団法人WATALISを設立(2015年に株式会社に事業移管)。全国から集めた古い着物地を地域の女性たちの手で加工し、リメイク雑貨商品「FUGURO」として販売する事業を開始した。
巾着袋の他にも、ストラップやカードケース、ヘアアクセサリーなど製作した商品は数多く、町内に精米工場を置く「アイリスオーヤマ」やスイスの高級時計ブランド「ジラール・ペルゴ」とのコラボ商品も販売。売上げは毎年増え、販売店舗も直営店のほかに県内の百貨店など約40に広がり、海外でもタイやドイツで常設販売した。一時40人ほどにまで増えた製作スタッフは、子育てや介護をしながら働く地元の女性たちだ。
”困難に立ち向かう女性起業家”への違和感
でも、すべてが順風満帆だったわけではない。むしろ、苦しい時期も長く過ごした。「誰かスポンサーがいて、潤沢な資金があるんじゃないか」「主婦が余暇で行う短期的な取り組みだ」。そんな事実とは異なる声も耳にした。いくら説明しても、分かってもらえないこともあった。
善意という”力”に押し潰されそうになったこともある。各方面からの支援はとてもありがたいこと。そして、こちらが求めているかどうかに関係なくそれはあちこちから降りかかり、「こうした方がいい」「こんなこともやるべきだ」と一方的に要求されるようなことも少なくなかった。
善意から出た言葉なのだから、感謝して受け止めなくてはいけない。でもそれは、私が本当にやりたいことなのか。常にその板挟みで頭を悩ませていた。すべての声に応えられない自分が悪いのか。いいことであっても、今すぐには取り組めない非力がふがいなくて、涙したことも数え切れない。
最初は「もっと売上を増やさないと」「スタッフもどんどん雇用しないと」と必死だった。その方が、対外的に大きな価値がある事業に見えるだろうから。でも事業が拡大していくと、メディアには”震災後の困難に立ち向かう女性起業家””被災地で立ち上がったソーシャルビジネス”なんて切り取られ方をした。そういう側面もあることは事実だが、私が目指すWATALISのあり方は、もっと別のものではないのか。
いろんな仕事を抱えながら突っ走っているうちに、だんだん私の気持ちが置き去りにされていくようような感覚が強くなっていった。
ーBeyond2020 私は未来をこう描くー
一番大事なのは、顔の見える人の幸せ
がむしゃらに走ってきた7年を経て、私は今、ようやく地に足をつけて、自分が心からたどり着きたいと思えるゴールに向けて、一歩ずつ前へ進めるようになった気がする。私にとって一番大事なものは、今も変わらず近くで関わり続けてくれている”顔の見える人”の幸せなのだ。最近、そう思えるようになった。これは、私にとって大きな心境の変化だった。
「亘理が丸ごと大好き、だからよくしたい」。そう言った方がかっこいいのはわかるけど、それは私の本音ではない。生まれ育った町でも、一度も会ったことがない人もいるし、愛せないところもある。だから、そんな風に胸を張って言うことはできない。
でもこの町には、よく顔を合わせる商店街の人や、人生の大先輩でもある近所の世話好きなおばあさん、仲の良い友人、ここで働いてくれているスタッフたち。つらいときに顔が浮かぶと元気になれる大好きな人たちがいる。そんな人たちのために、私にできることを精一杯やり遂げたい。それが素直な気持ちだ。
事業規模を爆発的に拡大させたい。そう必死だった時期もあるけど、まずは今置かれた持ち場を大切にして、最大限の力を振り絞る。それを根気よく続けていく先に、必ず光り輝く未来があるはず。当たり前と言われればそれまでだけど、私が今大事にしている思いは、シンプルだ。
WATALISとしては、ここ1〜2年が勝負の時期になりそうだ。補助金をはじめとした資金的な援助は随分と減った。これまでも決して「復興」を前面に押し出さずに商品力でアピールしてきたつもりだけれど、本当の意味でFUGUROの価値で勝負していく必要がある。
「FUGURO」を世界に届ける
2017年5月、WATALISは亘理町内に初の自社店舗を開設した。これまで製作スタッフたちは在宅作業が多かったが、ここで集中して作業することもできる。店内のギャラリーは、大型の作品を見学してもらえる場所にもなっている。
最近は、特に直営店とWEB通販に比重を置いている。今までは卸先をどんどん増やしてきたが、地元の女性たちがじっくり思いを込めてつくっている商品だから、できればそれをお客様に直接伝えられるような方法で届けたいと思っている。
FUGUROに込められた感謝の気持ちや亘理の風習を、世界に発信する。初期の頃抱いた思いは、今も変わらず持ち続けている。最近は、タイや台湾、中国の学生らが私たちのオフィスや店舗を訪ね、彼らと交流する機会が増えている。県や各市町、一般社団法人宮城インバウンドDMOが実施しているインバウンド観光客誘致のプロジェクトで、ツアーのプログラムに組み込んでもらっているのだ。
他にも、FUGUROは政府関係者などの海外VIPに送る宮城県の土産品として採用されている。今後も海外への発信には力を入れていきたい。海外から亘理町に足を運んでもらうことで、町の交流人口が少しでも増えれば嬉しい。
最近痛感しているのは、「続けること」の大切さだ。派手に宣伝したり、「復興支援」の看板を大々的に掲げたりすれば、一時的に売上げは増えるかもしれない。でも、私はたとえ地味でも、時間がかかっても、学びを積み重ねながら自分たちの力で最後まで責任をもってやり遂げたい。長く続けることで、地元に少しでもお金が入り、活気が生まれる。そういう道を目指して、歩んでいきたい。
世の中は変えられないけど、小さな夢がある
悩みや苦しみが絶えない中でもここまでやってこられたのは、こんな私とWATALISを本気で応援してくれる人がたくさんいたからだ。
亘理に伝わる巾着袋を世界へ売り込む。そう言ってみたはものの、製造・販売業の基本も全く知らなかった私。そんな箸にも棒にもかからないような時期から、「本気なら教えるから頑張れ」と熱心に応援してくれた人。ビジネスコンテストの申請書類の書き方を、深夜になるまで電話で教えてくれた人。今も変わらず、東京の物販イベントで毎月FUGUROを販売してくれる人。私を気にかけ、こんな小さな会社を本気で応援してくれる人たちと巡り会えたことは、私にとってかけがえのない財産だ。
そんな感謝の気持ちを、スタッフたちにも送りたい。意欲的で真面目で、人柄もよくて。それなのに、今までは子育てや介護などとの両立が難しく、地方の小さな町には彼女たちの受け皿になるような仕事が少なかった。
そういう一生懸命な人が報われるような場所を、亘理の大好きな人たちが少しでも幸せに過ごせるような楽しく集える場を、たとえ小さくてもここでつくりたい。それこそが地域や世界を変えるための第一歩。そう信じて歩み続けること。それが私の夢であり、支えてくれている人たちへの恩返しだから。
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