白石ファーム 白石長利
福島県いわき市でキャベツやブロッコリー、ねぎ、人参などの野菜を中心に栽培。8代続く農家の長男として生まれ育つ。農業高校、農業大学を経て21歳のときに家業を継ぐ。農薬と化学肥料を使わない自然農法を導入。東日本大震災後、いわき市内の料理人や生産者などと一般社団法人いわき6次化協議会を設立し(一般社団法人F’s Kitchenに改編)、加工品の開発や各種イベントに出展するなど、食を通じたコミュニティづくりや消費者との交流を進めている。
ー”あれから”変わったこと・変わらなかったことー
あれは不思議な現象だった
俺が8代続く小さな農園を継いだのは2003年、21歳のときだった。伝統を引き継ぎつつ、俺の代で新しい農業のスタイルをつくりたい。そう思い、農業高校・大学時代から学んできた無農薬・無化学肥料の自然農法を導入した。正直言って、当時は今ほど頑張らなくても、野菜はそれなりに売れ、それなりに稼げた。
そんなときに起きたのが、あの震災だった。原発事故とそれによる風評被害。今まで付き合ってきた売り先やバイヤーに手のひらを返され、野菜が全く売れなくなった。これまで当たり前に思っていた農業の方程式が、一瞬にして崩れ去った。そんな感覚だった。
「こんちくしょう」「絶対に見返してやる」。あのときの俺を支えていたのは、意地だった。でも、それは結局、マイナスのエネルギーでしかなかった。意地を張り続けても疲れるだけだし、なにより俺自身が楽めなかった。
考えてみれば、人は後ろ向きで歩き続けることはできないはずだ、前を向かないと。そう思ってふっと力を抜いたら、一気に楽になって、視界が開けたんだよね。余計なことに負のエネルギーを注ぐよりも、今そこにいる目の前のお客さんを喜ばせるために、目一杯努力しよう。それからというもの、自分の周りでいろんなことが起こり始めた。今考えても、あれは不思議な現象だった。
お客さんを「ファミリー」と呼ぶようになった
中でも大きなターニングポイントになったのが、食べもの付き情報誌「東北食べる通信」との出会いだった。そこで目の当たりにしたのは、単に野菜を送るだけでなく、お客さんとつながり、(主にFacebookを通じて)直接会話する新しい農業そのものだった。
「ごちそうさまでした」「おいしかったです」。そんなコメントが1日100件近く届くこともあって、最初は本当に驚いた。しかも東京の人たちは、就寝する時間が遅いんだよね。深夜や早朝までパソコンやスマホの画面と向き合って、ひたすらコメントを返す。それがめちゃくちゃおもしろくてね。できるだけ早くコメントを返す。これは今では、俺の得意技になっている。
そんなお客さんのことを、俺は「ファミリー」と呼んでいる。生産者と消費者の関係を越えて、親戚のような付き合いをしたい。そういう思いからだ。Facebookの会話だけではなく、畑に来てもらう収穫体験ツアーを企画したり、東京でイベントを開催して交流したり。発送作業が忙しいときに、東京からわざわざ手伝いに来てくれるような人もいる。こういう親戚のようなコミュニティやつながりができたことが、とにかく嬉しい。野菜の先に、こんな世界が広がっているとは夢にも思わなかった。
シェフとの出会いも、俺の人生を変えた。いわき市にあるフランス料理店「Hagi」のシェフ・萩春朋さんらと、一般社団法人F’s Kitchen(旧・一般社団法人いわき6次化協議会)を設立。「焼きねぎドレッシング」などの加工品を開発するなど、生産者と料理人による「食」の新しいムーブメントが広がっている。
ーBeyond2020 私は未来をこう描くー
福島の食の魅力は「人」だ
原発事故による風評被害は未だに続いているし、福島の一次産業に不安や心配、つまりマイナスのイメージをもつ人は少なくないかもしれない。でも俺らは、常に前向きで楽しくやっている。
「福島の一次産業や食の魅力は何ですか?」。そう聞かれたら、俺は「人」と答える。一般社団法人COOLAGRIに名を連ねる人たちを筆頭に、県内には個性的な若手農家がたくさんいる。一緒に物販イベントに出たり、販路開拓に取り組んだりしているが、このチームの一体感と盛り上がりはきっと福島ならではの魅力だろう。
F’s Kitchenに集ういわき市内の生産者やシェフたちもユニークな人ばかりで、何より地域全体で食を盛り上げようという思いで一致団結している。俺たち生産者が育てた食材をシェフに料理してもらい、消費者を招いて行う交流イベントも好評だ。福島では今、食を通じて幅広い業種の人たちが集まるコミュニティが、どんどん広がっている。
人に直接会わなくても、インターネットで何でも手に入るような便利な時代だ。便利になることが豊かさの1つと考える人もいるだろうが、その一方で希薄になってしまっていることはないだろうか。
それが、人と人とのつながりではないだろうか。生産者、料理人、お客さん。食を通して、断絶されている人とのつながりをもう一度つなぎ直したい。そして、そんな俺たちの姿をもっともっと発信していきたい。全国の地域や農家に知ってもらい、同じような取り組みが伝播していけば嬉しい。
次の世代が俺たち以上に活躍できるように
そうは言っても、もちろん農業の将来への危機感は強い。全国どこへ行っても、直面しているのは高齢化と後継者不足の問題だ。俺の集落でも30代の専業農家はほとんどおらず、60〜80代の農家が多いのが実態だ。
俺たちの上の世代までは、ある程度”つくれば売れる”ような安定した時代だった。でもいろんな環境変化の中で、今はそうではなくなってしまっている。でも、それを嘆いているばかりでは、いつまでたっても問題は解決しない。だったら、俺たちの世代で新しい農業のかたちをつくっていけばいい。同時に、下の世代を育てる仕組みづくりも必要だ。
今、福島の農家たちと協力して、農業に興味のある若い人たちが県内の様々な現場や技術を学べる”スクール”のようなものをつくろうと話し合っている。白石ファームにも最近、30代前半の見習いが入り、作業を手伝ってくれている。
俺たちはあくまで、”踏み台”になるべきだろう。iPhoneが1世代、2世代へとバージョンアップしていくように、次の世代の農家たちが俺たち以上にカッコよく活躍できるように、俺たちはその足掛かりになれればいい。踏み台が高くなりすぎて、下から登ってこられなくなってはいけない。だから俺自身は、生産者やシェフたちでつくるチームの中で、踏み台が高くなりそうになったらそこにハシゴをかける”非常階段”のような役目を果たしたい。そう思っている。
”バイプレイヤー”の先駆者として
先日亡くなった俳優・大杉漣さんをはじめとする、名脇役たちが出演するテレビドラマ「バイプレイヤーズ」。俺もあの人たちのように近い将来、次の世代の主人公にバトンを渡す名脇役になりたい。それは単に、自分の子どもや会社の後継者を育てることだけにとどまらず、日本の農業全体を舞台に、次の主人公を光り輝かせる脇役になるという意味だ。
今の福島には、俺を含めてまだプレイヤー(主人公)しかいない。2020年以降、プレイヤーとバイプレイヤー、別々のジャンルが明確に生まれるような福島、いわきの姿を俺は想像している。そのためにも、俺自身は近い将来、次世代を担うプレイヤーの舞台を用意するバイプレイヤーの先駆者として、道を切り拓いていきたい。
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