株式会社ひろの屋 代表取締役 下苧坪(したうつぼ)之典
2010年5月、(株)ひろの屋を創立。岩手県洋野(ひろの)町生まれ。大学卒業後、ダイハツ、ソニー生命保険にて直販営業に従事。東日本大震災後、地域ブランド「北三陸ファクトリー」を立ち上げ、三陸の水産物を中心とした「東北に新しい食を創造する」をライフワークとするようになる。雑誌「AERA」で「日本を突破する100人」に選出。「はばたく中小企業・小規模事業者300社」受賞。経済産業省が選定する、地域未来牽引企業に選出。
ー”あれから”変わったこと・変わらなかったことー
震災前よりも、地域は疲弊している
あれから7年経った今、率直に感じるのは、洋野町は震災前より確実に疲弊しているということだ。確かに、町の震災復興計画にある復興事業は(金額、事業ベースともに)9割以上が完了した。しかし、若い人を中心に人口はどんどん減っているし、水産業も名産のウニやアワビの餌が不足しており、漁師や事業者は悲鳴を上げている。新しく手を挙げて水産の世界に入ってくるような人もいない。今この町を覆っているのは、将来への閉塞感だ。
問われているのは、この事態をチャンスと捉えるのか、ピンチと捉えるのか、ということだ。僕は、確実にチャンスと考えている。7年前、船や建物が津波に飲み込まれていく光景を目の当たりにし、「もう終わった」と思った人も多かっただろう。でも僕は、「この危機を最大のチャンスに変える」と誓った。あのときの思いは、今も変わらず持ち続けている。むしろ、より強い決意に変わり、目指すビジョンもどんどん膨らんでいる。震災8年目は、僕たちにとって”第2ステージ”の幕開けだ。
「メイド・イン・ジャパン」ではなく「メイド・イン・北三陸」
洋野町を含む北三陸沖は、資源が豊富で天然の高級魚が獲れやすく、かつては”稼げる漁場”の1つだった。しかしその分、将来への危機感が薄く、次第に衰退していった。僕はそれを打破しようと、会社を立ち上げた当初からウニやアワビをはじめとする北三陸産品のブランド化や、国内外の販路開拓に取り組んでいた。そして震災後は、そうした取り組みをさらに加速させていった。
「メイド・イン・ジャパン」ではなく、「メイド・イン・北三陸」を。2013年には地元の漁協や加工業者とともに、北三陸世界ブランドプロジェクト実行委員会を設立し、北三陸の水産物を国内外に発信するプロジェクトを開始。さらに、業者を横断した地域ブランド「北三陸ファクトリー」を立ち上げ、加工品の開発も強化した。
そうした過程で生まれた商品の1つが、「塩揉み熟成あわび」だ。これをまずは台湾へ出荷。非常に好評で、その後香港やアメリカとの取引も実現した。今まで実績のなかった海外取引は現在、全体の5%ほどの売上を占めるようになった。僕も何度も現場に足を運んだが、北三陸の食材は世界に通用することがわかった。北三陸から世界へ打って出る。その思いはますます強くなり、確信へと変わっていったのだ。
7年経ったからこそ、見えてきた世界がある
この7年間、とにかく突っ走ってきた。ただ、海外出荷をはじめとする新しい試みは、すべてが順風満帆に進んだわけではない。水産業は伝統を重んじる風土が非常に強く、一気に何かを動かそうとすれば、漁師や漁協の賛同を得るのは難しくなる。
それでも、とにかく前だけを見つめて走り続けた結果、少しずつ認められ、協力してくれる人が増えてきた。行政も背中を押してくれるようになった。そうやって1つずつ階段を登りながら、地元の信頼を積み上げてきたのだ。そして、そんな7年間を経た今だからこそ、新たに見えてきた世界がある。
これまでの活動は、北三陸産の魅力をまずは1人ひとりのお客様に伝えて、価値を感じて買ってもらうことに主眼を置いていた。次第に魅力を伝える力はついてきたし、何よりお客様の声に触れることで北三陸の価値に確信がもてるようになった。だからこそ今後は、その変化の渦をさらに大きくして、もっといろんなものを巻き込んでいく。つまり、事業規模を拡大するための挑戦に突入する。その先に描くビジョンもスケールアップした。
ーBeyond2020 私は未来をこう描くー
世界ブランドをつくる強力なロジック
ここに1枚の写真がある。震災後、祖父の家を片付けていたときに見つけた、モノクロの古い写真。大量の干しアワビを前に、曽祖父や祖父、従業員たちが誇らしげな顔で写っている。このアワビは、大量に香港に輸出していたそうだ。
つまり、先祖に”稼ぐ”先駆者がいた。僕にもそうした海外志向のDNAが流れているはずだ。しかも、当時と比べたら格段に技術が発達している今、曽祖父たちの時代にできたことが僕たちにできないはずがない。僕らの世代でまた、世界で稼ぐ時代を取り戻そうではないか。
その突破口の1つになるのが、ウニの養殖だ。北三陸は外洋に面しており、湾を形成していないため養殖には不向きだった。ただ、北海道大学と連携して養殖技術を確立。これまでは5〜8月の漁期に生産量が制限されがちだったが、それ以外の時期は養殖ウニを生産することで通年出荷が可能になった。また、持続可能な養殖の国際認証「ASC」の取得も視野に入れている。収入が不安定だった漁師にも、大きなメリットになるだろう。
そのウニを核に、世界で勝ち抜くための体制も強化。海外戦略をリードしてもらう新たに人材を採用した。東大卒で海外でMBA(経営学修士)を取得、上場企業の取締役も務めた優秀なビジネスマン。これから数年かけて、彼と一緒にウニの世界ブランド化を進めるための強力な事業ロジックを構築していく。
将来的には、このノウハウを海外各地へ横展開していく構想もある。世界でウニが売れるようになれば、当然この浜だけでは生産量をカバーしきれない。海外でもウニの養殖事業を展開し、漁師たちを連れて現地の技術指導にあたってもらう。そういうワールドワイドなプランを描いている。
世界の中の”ウニ”、世界の中の”洋野町”
ウニの世界ブランド化の先に見据えるのは、この地域が再び誇りをもてるような未来だ。洋野町にとって水産業は地域づくりそのもの、一心同体のような関係にある。これまではあくまで水産物のブランド化に意識を傾けていたが、今はそれを継続するとともに、町の未来をどうつくるか。目指すビジョンがスケールアップした。
2020年、浜沿いには新たな商業施設が完成していることだろう。この町の水産業の価値を、地元の人たちや国内外へ発信するための拠点だ。新鮮な魚介類を味わえたり、北三陸の古くから伝わる素潜りの「南部ダイバー」の歴史を伝えたり。地域住民のコミュニティが生まれる場所、また北三陸の水産物を目がけて訪れる海外観光客を受け入れるための施設にしたいと考えている。水産加工のベンチャー企業から、水産業を核にしたローカルベンチャーへ。僕らの役割は、そのように変貌しているといえるだろう。
美食の町として有名なスペインのサンセバスチャン。きっと多くの人が、この地名を耳にしただけで”おいしい”イメージを連想させるはずだ。ここのウニは、間違いなく世界一の品質だ。名実ともに世界に認められるブランドに押し上げ、“世界に誇るウニの町”といったように、サンセバスチャンのような僕たちにしかできない世界観を醸成したい。”日本や岩手の中の洋野町”ではなく、”世界の中の洋野町”として、ここから世界に挑戦し、稼げる水産業のモデルと住民が誇りをもてる町をつくってみせる。そう決意を新たにしているところだ。
あの原風景を、もう一度見たい
僕がまだ幼少期の頃、海で遊びながら地域の人たちと楽しく暮らしていた光景は、人口が流出していく中で今は見られなくなってしまった。あの原風景を、僕らの世代でもう一度取り戻したい。それが、僕にとっての大きな原動力の1つになっている。
曽祖父がアワビを海外に売り、地域の人たちが誇りをもてたような時代を取り戻せれば、きっと次の世代を担う子どもたちが、また海で遊ぶような姿が見られるようになるはずだ。衰退の流れを断ち切り、町の人たちが地元に誇りをもって生きられるような場所へ。僕はこの町で、そんな新しい時代をつくっていく。
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