【Beyond 2020(49)】”チャレンジと検証”を繰り返す。大船渡流まちづくり

大船渡市 災害復興局 大船渡駅周辺整備室 係長 佐藤大基

1977年、岩手県大船渡市出身。大学卒業後、2001年に大船渡市に事務職として入庁。2013年より大船渡駅周辺整備室にて、被災した中心市街地・大船渡駅周辺地区のまちづくりの企画・総合調整を担当。

ー”あれから”変わったこと・変わらなかったことー

”まちをつくる”とはどういうことか

家屋の流出、道路の陥没、ライフラインの寸断、見渡す限り瓦礫の山と化した市街地。新たに”まちをつくる”とは、どういうことなのか。震災前の残像を重ねながら、自問していたことを覚えている。2013年にJR大船渡駅周辺の整備を担当するようになって以降、市街地の再生に向けて上司や同僚、地元住民、事業者、民間人材など多くの人たちとともに駆け抜けてきた日々は、まるで大人数のバトンリレーのようだった。

震災直後の大船渡駅周辺の様子(提供:大船渡市)

震災から7年が過ぎた。大船渡駅周辺地区においては、市が実施しているかさ上げ工事や道路などの基盤整備は進み、2019年3月には完了する見通しとなっている。中心部の商業エリアは、ホテルや大型スーパー、主に被災した商業者が入居する共同店舗などがオープン。官民一体となった市街地再生に向けた取り組みの成果が、ようやく目に見える姿となって現れはじめている。

しかし、今つくられているまちの姿は、次の世代の人たちの価値観にも対応するものなのだろうか。日本の歴史を遡れば、第2次大戦や明治維新、西欧文化の進出など、価値観の変化を伴う時代の転換期を、100年に満たないスパンで迎えていることがわかる。そのことを考えると、むしろ「今のままでは対応できない」と捉えるべきではないか。そうであるならば、まちをつくるとは、姿かたちをつくることのみならず、住民1人ひとりが抱く「今よりも豊かに暮らしたい」という欲求を受け止めること。また、その欲求を満たす取り組みを試行しつつ、住民とともに新たな価値観を創造し続けることのように思える。

東京やニューヨークのように都市的な進化が著しいまちとは異なる、今もこれからも、ここに暮らす人が”豊かな暮らし”を実感できるまち。様々な議論と多くの仲間からの助言の末、そう考えられるようになった。

官民連携のエリアマネジメント

大船渡駅周辺地区においては、そのように将来にわたって継続して魅力と賑わいのあるまちづくりを進めるため、「エリアマネジメント」の手法を導入している。これは、「地域の良好な環境維持や価値向上を図るため、住民・事業主・地権者等による主体的な取り組み」(国土交通省土地・水資源局「エリアマネジメントのすすめ」)とされる手法のことだ。そして、先行整備を進めてきた地区の中心部の商業エリアでは、その仕組みが整いつつある。

7年前、瓦礫で埋めつくされた駅周辺の現在の様子(提供:大船渡市)

主なポイントは3つだ。1つ目は、商業エリア内の機能を、20~30年後に見直すことができるようにしたこと。エリア内の主な土地所有者が市であることから、市は商業機能を整備する借地人に対して事業用定期借地権を設定し、街区単位で貸付けているためだ。

2つ目は、エリアマネジメントの意思決定機関(大船渡駅周辺地区官民連携まちづくり協議会)をエリア内の利害関係者で構成し、エリアマネジメントを推進することができるようにしている。

商業施設「キャッセン」はまちづくり会社主導で景観形成などにもこだわっている(提供:大船渡市)

3つ目は、持続可能なエリアマネジメントの財源創出の仕組みをつくり、その財源はエリアマネジメントを推進する都市再生推進法人が活用できるようにしている点だ。具体的には、同法人のまちづくり会社・キャッセン大船渡がエリアマネジメントに取り組む場合、市は地代を減額し、借地人は減額された額の一部をエリアマネジメントの財源としてキャッセン大船渡に支払うほか、一部を借地人独自で拠点区域の価値向上のために活用することができるようにしている(2019年度より運用開始予定)。

仕組みはあくまで仕組みでしかなく、うまく機能するかどうかは運用次第だ。重要なことは、豊かな暮らしを実現するために”チャレンジと検証”を繰り返し続けること。それが、新たな価値観を創造していくものと考えている。

泥臭い”対話と共創”の積み重ね

官民連携と、対話と共創の積み重ねーー。これまでを振り返り、大事に思えることを一言で表現するならば、そうしたことだろうか。ただ、実際には非常に泥臭く、地味なプロセスを重ねてきた。

官民が達成すべき状態とは何なのか。自分たちにできること、強みは何か。何が不足しているのか。1人ひとりが内面に問いかける作業の連続だった。そのうえで、”できること”は自分で頑張り、”できないこと”を得意な人に任せる。互いの強みを持ち寄りながら、目的を達成するために協働する。そのような時間を、ともに過ごしてきた。

改めて実感することは、地元の人であれ、ヨソモノであれ「人に恵まれている」という大船渡の現状だ。人に恵まれていなければ、そうした時間をともに過ごすことはできていないと思う。

ーBeyond2020 私は未来をこう描くー

津波に流されない文化をつくる

私たちが達成したい”豊かな暮らし”。それは、それぞれが”チャレンジと検証”を繰り返し続けることで実現できるものだろう。人の価値観や暮らし方は、時代によって変容するものだ。特に現代は、技術の発展・普及により、それが数年単位で変化しているように思う。

必ずしも、大それたチャレンジである必要はない。一度整備したまちの空間についても、来街者が想定と異なる利用をしていたり、あえて目的と異なる使い方を提供しても、それが共感を得るのであれば、ルールや構造を少しずつ変えていけばいい。誤解を恐れずに言えば、”失敗するチャレンジ”もあってもいいと考えている。失敗を検証することで、成功する以上に価値ある成果が得られることもあるのではないか。実際、まちづくりの仕組みを考えるうえでは、成功よりも失敗事例から学んだことが多かったように思う。

「キャッセン」で開催されたガーデニング講座を楽しむ地域住民たち(提供:大船渡市)

このように”チャレンジと検証”を繰り返すことは、生活者に豊かな暮らしを提供するだけでなく、次の世代が新たな”種”を蒔き、育むことができるような知恵と資産をこさえ、さらに大船渡特有の文化を育むことになるのではないか。モノは津波で流されるが、育まれた文化は津波が来ても流されることはない。

一貫して心がけてきたのは、更新性をいかに確保するかということだ。そのため、ハード整備においては”無理に答えを定めない””証を残そうとしない”ように注意を払ったつもりだ。もちろん、市民からの要望として遊園地など都市的なアクティビティ空間を求める声もある。一方で、形あるものは次の世代の”お荷物”となる可能性もはらんでいる。私たちの仮説と仕組みがうまくいくかどうかは、未来にならないと誰にもわからない。とにかくエラーと失敗を繰り返し、次の時代の人たちがまちをつくるのに必要なノウハウを、どんどん蓄積していきたい。

7年前、このまちは津波に流され、風景が変わってしまった。だからこそ、流されることのない“文化”をつくりたい。それを育む土壌をつくることが、私たちの使命だと思っている。

まちづくりは終わらない

個人的には、長期的なまちづくりのあり方については、農業に例えて考えている。土を耕し、種を蒔き、じっくりと育てて、収穫の時期を迎える。自分自身や家族のお腹を満たしつつ、他の誰かと恵みを分かち合う。その繰り返しという意味からだ。うまくいけば定型化し、そうでなければ改善する。こうした一連の作業を続けるには、ヒト・モノの更新性を確保することが重要ではないか。

ある生物学者は「文明が存続できるかどうかの分水嶺は、戦争でも、疫病でもなく、時代が変わる中で、捨てるべき価値観を捨て、引き継ぐべき価値観を引き継ぎ、新しい価値観を生み出せるかである」と語っている。まちをつくるという行為も、きっと同じだろう。

2017年11月、地元銘菓「かもめの玉子」を製造・販売するさいとう製菓の総本店「かもめテラス」がオープン(提供:大船渡市)

さて、大船渡駅周辺地区の商業エリアはホテルが2016年に開業して以降、スーパーやホームセンターのほか、地元事業者を中心とした商店街やお菓子のファクトリーショップが開業した。また、2018年春には、地域独自の飲食品や県産木材を使った木工品を製造する工房や、地元のブドウやリンゴを使ったワインやシードルの醸造所が開業予定となっている。行政としても、防災観光交流センターや海沿いの公園を整備する予定だ。

見渡す限り瓦礫の山だった状態から、ようやくここまでたどり着いた。市はあくまで、まちづくりの主体の1つとして、仕組みやルールづくりを行える強みを活かしながら、多様な民間主体と連携してまちづくりに貢献していきたい。

これからの世代にどうバトンを渡すか

私個人としての最大の原動力は、2人の子どもの存在だ。あの子たちが、かっこいい大人たちに出会い、おもしろい出来事に触れながら成長してほしい。そう強く願っている。

それは、必ずしも最先端の技術や娯楽、テクノロジーである必要はない。私が子どもの頃、洋服屋の店員がDJとして聞いたことのない音楽を流す光景にワクワクしたように、些細なことであっても、知らない世界に触れられる機会がたくさんあってほしいと思う。

「キャッセン」では子ども参加のワークショップも開催している(提供:大船渡市)

そして、子どもたちが自分の好きなものや得意なことを周囲に伝えたときに、「そんなのムリだよ」と突き放すのではなく、「すごいね」「おもしろいね」と反応できる仲間がいる。楽しいことが連鎖し、さらにおもしろいアイデアに発展していく。私が理想としているのは、そんなまちの姿だ。

そういう意味でも、ゼロからつくり上げるまちづくりの仕事に携わっていることは、私にとっての生きがい、誇りと言えるかもしれない。次の世代にどうバトンを渡すか。そのことを胸に秘めて、これからも長い道のりを一歩ずつ進んでいきたい。