[寄稿]社会の役割分担を再定義する。釜石市の挑戦

(本稿は釜石市の石井職員からの寄稿文です)

市直轄のソトモノまちづくり集団「釜援隊」

 私は今、岩手県釜石市で復興まちづくりに取り組む「釜援隊」の組織マネージメントを担当しています。釜援隊とは、自治体・企業・NPOなどのステークホルダー間の連携を促し、地域住民が一体となって復興まちづくりを進めていくための調整役(正式名称:釜石リージョナルコーディネーター)。今年4月に7人が釜石市により採用され、それぞれは市内の異なるNPOやまちづくりの議論をおこなう任意団体の下で活動しています。今回の寄稿では、釜援隊の制度設計から導入後の運用に携わることで見えてきた、第三者がまちづくりに関わる意義とその可能性について考えてみたいと思います。

モデル事業が横展開へ

 釜援隊導入の背景として、まず挙げられるのは自治体のマンパワー・専門スキル不足です。これは被災地共通の課題でもあります。
 釜石市の場合、復興交付金を含めた予算額が震災前と比較して約6倍になっているのに対し、市職員数は約1.15倍に過ぎません。膨大な用地買収や土地利用の図面設計、関係機関との折衝業務に追われ、コミュニティの形成や地域振興などのきめ細やかなソフト施策を担う人材が不足しています。
 また、被災自治体には国内外の企業やNPO、大学などから様々な提案が舞い込んできます。プロジェクトを実施した場合の効果や実現可能性を検証し、そのタイミングで本当に必要なものを取捨選択していく必要がありますが、過去に経験のない企画立案や複雑な関係者間調整を避けてしまうことで機会損失が発生しています。

 こうした状況下、昨年6月より釜石市南部に位置する唐丹地区でモデル事業として、コーディネーター派遣が開始されました。東京の支援団体であるRCF復興支援チームのスタッフ3名が地域内に常駐し、ラジオ体操や草刈り、中学生の駅伝コーチやイベントのお手伝いなどを通じて、地域の元気づくりに貢献しながら住民と信頼関係を構築。市が開催する住民説明会では伝わりきらない情報を咀嚼して地域に伝える一方で、限られたコミュニケーションだけでは拾いきれない地域の多様な声を整理するという、行政と住民の「通訳」の役割も果たしました。この「第三者によるコーディネーション」の実績が認められ、釜援隊の礎となりました。

間(はざま)で価値を生むのがコーディネーター

 釜石リージョナルコーディネーターという正式名称が示すとおり、釜援隊は「コーディネーター」です。単なる作業員でも自分たちのやりたい事業を押し進める存在でもありません。それは、間(=はざま)で価値を生み出していくことを意味しています。釜援隊が市の職員ではなく、新たに設立した協議会とのフリーランス契約によって運用されているのも、コーディネーターとしての役割を期待されているからに他なりません。具体的な活動内容について3つの事例を紹介します。

1つ目の間(はざま)は、住民と行政の間です。

 唐丹地区を担当する山口政義さんは生活応援センターを拠点に、公民館の運営や仮設住宅の見回りのお手伝い、各種会議での論点整理や伝統芸能の保存と再生に向けた取り組みを行っています。
 先日、仮設談話室を利用して上映会を開催しました。唐丹に古くから伝わるおまつりで、昭和30年代の大名行列を映したものです。20名以上の方が集まり、懐かしい風景や知っている人が出るたびに声が上がっていました。印象的だったのは上映会に参加して頂いたあるおばあさんの、すでに亡くなってしまった旦那さんの若かりし頃の様子が映像に映っており、皆さんが喜んでくれたことです。
 何気ない日常の会話の中でこそ見えてくるものがあります。市役所は定期的に被災地区毎の住民説明会を開催し、高台移転や区画整理事業などの土地利用計画策定を進めていますが、「まちづくりの話し合いの場」で発言できるのは一部の方に限られています。地区住民の全員が説明会に参加できるわけでもありません。山口さんは上映会などのイベント企画を通じて、オフィシャルな場では聞きにくい質問や、女性や若者といった多様な属性の人々の意見をまとめて市役所にフィードバックしています。
 住民と行政の間に立ち、コミュ二ティ内の交流を通じて地域の声を拾い上げることによって、合意形成における多様性の担保に貢献しています。

2つ目は、市内と市外の間です。

 観光交流課でグリーンツーリズムの推進を担当する鹿島卓弥さんは、広告会社勤務やバックパッカーとして世界23か国を旅した経験を生かし、facebookによる観光PRや民泊事業のコーディネートに取り組んでいます。
 観光は三陸沿岸地域の重要産業の1つです。震災前は年間約100万人を超える観光客が釜石を訪れていましたが、2011年は約26万人、2012年は約50万人と大きく数値が落ち込んでいます。通過型の観光といわれ、釜石に宿泊される方が少ないという震災以前からの課題もあります。
 鹿島さんの企画立案により、長崎県小値賀町をモデルケースとした釜石の民泊事業が動き出しています。小値賀町に移住し、人を資源とした民泊ツーリズムによるまちづくりを推進されている高砂樹史さんを招いたワークショップには、民泊候補地や宿泊施設など市内関係者30人以上が集まりました。ワークショップを期に観光客の受け入れを検討する民家への個別訪問も始まっています。もともと釜石では観光交流課を中心に民泊の事業化を進めていて、震災により議論がストップしていた経緯があります。鹿島さんが市外の優良事例を提供し、利害関係者を含めた率直な意見交換の場をつくることによって、事業再開に向けた土壌づくりという役割を担っています。

3つ目は、理想と現実の間です。

 一級建築士の資格を持ち、建築コンサルや交通施策評価に携わっていた荒木淳さんは、市内を走るオンデマンドバスに関する戦略会議の運営を担当しています。復興支援という文脈で、様々なプロジェクト提案が被災地に持ち込まれている状況は前述のとおりですが、程度の差はあれ、あるべき理想像と現実の間には必ずギャップが存在します。
 釜石市はトヨタ自動車を中心とする民間企業の支援を受け、オンデマンドバスの実証実験をおこなっています。オンデマンドバスとは、乗り合い制の予約バスで、前日までに電話予約をしておくとバス停のない場所でも乗車・降車が可能です。交通の便の悪い仮設住宅で暮らす方々の足となるだけではなく、過疎地などにおける新たな公共交通システムの可能性を検証していくことを目的としています。
 しかし、移動の足に困っている方々をしっかりフォローできているのか、そもそも、実証の先を見据えた交通体系全体のあり方についての議論が不十分であったという課題がありました。

 現在、荒木さんを中心に、トヨタ、大学教授、市民課など関係者による戦略会議を定期的に開催しています。オンデマンドバスの走行にかかる費用便益分析や、地域モビリティ向上によるコミュニティの活性化、既存公共交通との棲み分けの議論などを通じて、目指すべき理想像とそこに至るまでのアプローチの検証が進みつつあります。

 このような役割は今までの行政の中にはなかったものです。釜石市で採用されながら、民間団体の中で活動する「半官半民」部隊である釜援隊。具体的な成果はまさにこれからですが、彼らが間(はざま)を埋めることにより、各所で新たな価値が生み出されようとしています。

被災地にある「熱量」は何か?

 私はこうした各地の釜援隊の情報を集約し、組織として何をすべきかを整理する立場にあるのですが、日々の議論の中で被災地に存在する、ある種の「熱量」のようなものを感じる時があります。震災後、釜援隊や民間企業からの出向、各種アドバイザリーや震災ボランティアなど、多くの志ある若い人が釜石を訪れ、釜援隊1期生募集には39名、2期生募集にも41名のご応募を頂きました。
 自らの意思で被災地を訪れる方はそれぞれの思いと使命感を持っています。支援に携わる方々との議論や釜援隊の採用プロセスの中で見えてきたのは、この熱量の源泉には今の社会に対する違和感や自己に対する沸々とした迷いがあるのではないかということです。

 釜援隊の制度設計の過程で、中越復興市民会議を設立し、中越地震の際にコミュニティ支援をリードされた稲垣文彦さんから伺った話が強く印象に残っています。経済が右肩上がりの時代と右肩下がりの時代では「復興」の意味が変化する。右肩上がりの時代は「復旧=復興」であり、壊れたものを直せば世の中は勝手によくなっていったが今はそうではない。「復興とは何か」という解のない問いと向き合い、地域が自分たちで復興を成し遂げたと感じることのできる、新しい「軸」をつくっていく必要があるのだと。

 ある意味、震災復興という大きすぎる課題への関与は、チャレンジングでやりがいのある「キャリア」にも成り得ます。被災地は震災以前から慢性的な人材不足の状態にありました。また人口規模の小さいまちが多く、自分のアクションによって生まれた成果を実感しやすい特徴があります。こうした環境下、東京の交流会などでは単なる儀礼となることも少なくない名刺交換が意味を持ってきます。個人の存在が際立ち、時には組織や肩書きを超えて仕事ができる「全人的な」働き方が生まれているように感じます。

 被災地に限らず、長期間にわたって経済活動が停滞し、人口減少・少子高齢化の進展する日本では「昨日よりも生活や社会がよくなっていく」と実感することが難しくなっています。ノマドワーカーに代表されるような新しい働き方が脚光を浴びる一方で、不確実な時代を生きる私たちは前提とすべきものが分からぬまま、見聞きする選択肢があまりに多いがゆえに、「異なる生き方」への衝動と「安定した生活」の狭間で自己を位置づけていかなければなりません。私自身を含め、東北に集う若い世代は自分の納得のいく、新しい軸を探しているようにも思えます。誤解を恐れずにいえば、「復興」しているのは自分たち自身なのかもしれません。

社会の役割分担を再定義する試み

 言うまでもありませんが、釜援隊のミッションは釜石の持続可能なまちづくりを推進していくことにあります。ただ、もし私たちの取組みが他の地域にとって特別な意味を持つことがあるとすれば、それは「釜援隊が社会的な役割分担を再定義する試みである」という点においてです。
 コーディネーターとして行政と住民の間、市内と市外の間、理想と現実の間で日々頭を悩ませながら価値を生み出していくことは、「行政のやるべきこと」「個人のやるべきこと」「中間支援組織のやるべきこと」を見つめ直し、このまちにとって最適なやり方を一つ一つ定義していく営みに他なりません。第三者による組織的な地域への関与と、若い世代の社会に対する違和感から生まれる熱量は新たなまちづくりの可能性を示しています。釜援隊の挑戦はこれからが正念場です。自分のできる限りを尽くして、地域の皆様とともに釜石の復興に向き合っていきたいと思います。

ishii_sqw-300x300文/石井重成(いしいかずのり)
釜石市復興推進本部事務局 主査
国際基督教大学を卒業後、経営コンサルティング会社勤務を経て、2012年11月より現職。
「釜石リージョナルコーディネーター(通称:釜援隊)」の制度設計から採用活動、導入後の組織マネージメントに従事。釜石の復旧・復興状況を取りまとめ、「かまいし復興レポート」を発行。コーディネーター事業によるコミュニティ支援や地域振興に取り組む。1986年生まれ。