(本稿は東日本大震災復興支援財団・専務理事の荒井優氏の寄稿文です)
「今年は誰も芋煮会(いもにかい)をやっていないなぁ」
助手席に座っていた福島大学の丹波史紀准教授がそうつぶやいたのは、福島市渡利地区に架かる橋を車で渡っていた時だった。秋晴れの青空、雪をかぶった山、柔らかい日差しが反射してキラキラ輝く阿武隈川、そして白く光る河原が目前に広がっていた。あまりにも美しい光景だった。
その瞬間、沢山の家族や友人達が集まって、楽しんでいる風景が目に浮かび、『芋煮会』という言葉が頭の中ではじけた。
wikipediaによると「芋煮会(いもにかい)とは、日本の主に東北地方で行われる季節行事で、秋に河川敷などの野外にグループで集まり、サトイモを使った鍋料理などを作って食べる行事」とある。「春の花見、秋の芋煮会として双璧をなす」とも書いてある。東北の人に尋ねると人それぞれに答えが違う。「鍋もあるけれど、お肉を焼いたりバーベキューのことだよ」というおじさんもいれば、「いやいや、外で芋煮を食べるのよ」というおばさん、「子供会でやるお楽しみ会みたいなもの」「少年野球の後で、お母さん達が振る舞ってくれるもの」という声もあった。この東北一帯に広がっている自由度の高い風習はとても面白いと思った。復興の鍵になるのではないか、と。
震災以降、復興の現場では多方面の分野で多くのリーダーが誕生した。地元の人もいれば、外からやってきた人もいる。もともと地域の顔役の人もいれば、そうでない人もいる。特に福島では放射線への考え方がそれぞれにある。筆者のような外から来た新参者は、地元の事情を知るべく、このようなリーダーに会って話を聞くことから始まるのだが、意外と復興に携わるリーダー同士が相互に知らない事が少なからずあった。考え方が違ったり、やり方が異なったり、忙しかったりと理由は様々にあるだろうとは推測できる。がしかし、「大好きなこの土地をなんとかしたい」という山の頂上に向かって、地域の人たちと登っている魅力的な人たちには変わりはなく、こうした人たちが互いの多様性を認め合う事が大事なのではないかと思う。
福島では、2011年10月からほぼ毎月の頻度で、3歳の子どもから地元のお母さん、経営者、NPO運営者、メディア人、芸能人、国会議員など毎回50~60名が分け隔てなく集まり、話して、食べて、飲んで、温泉に入って、雑魚寝で寝る、ということをしてきた。芋煮の有無に関わらず、この集まりそのものを『芋煮会』と名付けてきた。
回を重ねるごとに人が増え、対話が深まり、信頼感が醸成される、まさに「対話と信頼のプラットフォーム」が『芋煮会』の真骨頂だと考えている。参加者同士の対話から、新たな発見や新しいプロジェクトが産まれ、人が集まる事で、地元経済への寄与もできる。決して難しいことをやるわけではないのだが、いくつかのこだわりをもって運営しているので次ではその方法論を紹介したい。
様々な価値観を持った人たちが、対話を重ねて信頼を醸成するために、『芋煮会』では、2つの事を大切にしてきた。
一つは「誰とやるか」。「参加者」は、この『芋煮会』の最大のコンテンツであると考えて、「主催者にとってのよき相談相手」を中心に「声かけリスト」をまとめる必要がある。この時のポイントとしては、「男女同数」に近づけるように気を配る事だ。ともするとこの手の集まりを、無意識に開催するとなぜか男だらけになりやすい。しかし、私たちが扱うテーマは「復興」であり、それには女性の考え、意見、行動こそが重要だ。また、業種のバランスも大事にしたい。主催者の得意な業種に偏らないようにするのが望ましい。また、メディア関係者はいたほうが良い。マクロとミクロに物事を見て表現する事を生業としている彼ら、彼女らの視点は勉強になる。
もう一つは、「どこでやるか」であり、「畳」「温泉」「雑魚寝」にこだわってきた。畳の部屋には、どこにでも座り、いたるところで車座ができ、移動が容易という大いなる自由度があり、これはテーブルと椅子には無い素晴らしい点だ。対話をしたり、食事をしたり、寝るのは全て畳敷きの部屋が良い。温泉も欠かせないと考えている。初めて出会った者同士が、裸の付き合いをする。温泉でのオフの会話こそが信頼の醸成に大きく寄与している。そして東北には名湯が多い。日々の疲れを癒し、仲間と英気を養い、復興も兼ねて堪能し、さらには、できるだけ大きな部屋に布団を敷き詰めて雑魚寝をしたい。「おやすみ」と言って電気を消し、「おはよう」と言って朝を迎えると不思議な一体感に包まれていることに気づくはずだ。
以上の二つをコアに置きながら、ワークショップをしたり、観光をしたりと企画を加えながら、参加者から実費を頂く形で回を重ねてきた。毎月行っているにも関わらず、毎回欠かさず参加してくれる方も多く、ここでの繋がりからいろいろな成果も生まれている。しかし、重要なのは個々の成果ではなく、被災地で生活を続けて行くのも復興の業務に関わり続けるのも、決して容易ではないなか、信頼できる人間関係を広げていけること、そのことこそが大切なのではないかと考えている。
筆者は、17年前の大学2年生の時に、北海道のYOSAKOIソーラン祭りの実行委員長として、お祭りの普及に全国を行脚した経験がある。高知のよさこい祭りを模した「手に鳴子を持ち、地元の民謡をワンフレーズ入れた曲で踊る」という2つのルールがあるだけのお祭りは、またたくまに全国に広がり、様々な形でローカリゼーションし定着した。今の、『芋煮会』には同様に広がる可能性を感じている。おそらく、東北の被災地の復興には欠かせない手法として横展開していくであろう。また、こういった空間の常設化としてのシェアハウス/シェアオフィスなどの深耕された形も姿を現してくるだろう。
しかし、言い出しっぺとしての筆者の想いは極めてシンプルで「いつかあの阿武隈川の河原で、復興に関わったみんなで芋煮会をやってみたい」ということである。みなさんの地元でも、このようなちょっと変わった芋煮会をされてはいかがだろうか。
文/荒井優(あらいゆたか)東日本復興支援財団専務理事
ソフトバンク社長室勤務。福島県を中心に被災地を渡り歩き被災者や復興支援団体への助成・支援を行う。また復興関係者の横のつながりを活性化するコミュニティ「芋煮会」を開催している。