(本稿は福島県の玉川職員からの寄稿文です)
1)表面上の近道、今までの地域計画づくり
復興の局面で多くの計画が作られていますが、複数の地域計画づくりに携わった自分の経験上、作るだけならば、「それなりの専門家」と自分を過信してひたすら書き込んでいけば、それなりの形で作ることが出来ます。その意味では「計画」は事務的に作るのが最短です。
しかし、そういった効率性だけにこだわった作り方の地域計画は、全くといっていいほど意味がないと感じています。誰も当事者にならないからです。当事者になれないと言った方が正確かもしれません。
それでも今までこういった計画作りの手法が成り立ってきたのは、地域の中でも議論が割れる論点、コンセンサスが必要な論点がそう多くなかったためです。
行政には厳しい指摘ですが、地域計画があってもなくても、平和に時間は流れます。そして地域は動いていました。計画自体に、実はそう大きな期待がなかったというところでしょうか。
2)今だからこそ高まるコンセンサスの重要性
この震災を通じ、特に被災地の復興に際する地域計画に求められるものは全く違った次元になっています。
作り上げる前提となる「地域のあるべき姿」これ自体が共有できていない時点からスタートを迫られるからです。何をしていくかの前に、何を目指すべきか、何が求められているのか、そのコンセンサスを得ないと始まらないのです。
地域のあり方を描いていく上で、そのコンセンサスを得ていくには、不可欠なポイントがあります。それは、多様な視点です。女性の視点も不可欠です。
これは、多様であるべき、共同参画であるべき、という受け身的なあり方とは異なるものです。多様性が不可欠、故にそういう条件を整えていくという流れです。
フラットな議論の場を作り、みんなで意見や視点を出し合い、考え、合意をはかっていく。このプロセスには根気や手間や時間がかかります。そして工夫も必要です。
回り道のプロセスなのです。行政経験のある方からは、「こんな作り方をしていたのでは、できるはずがない」と言われることも多くあります。
ですが、こういった手間のかかるプロセスを限られた人数であっても、しっかりと進めていくと、まとめた後の説得が最小限で済むことを感じています。
なぜかと言えば、すでに多様な視点で検討されているので、多様な視点の方々が見ても、納得に近づける状態になっているからです。回り道をすることがトータルでは近道になっています。
3)目指すのは何か? 本当の目的、そのための努力
昨年、浪江町の復興ビジョンを作る際に、我がスタッフと常に話していたことがあります。
「計画を作るのを目的にするのはやめよう」
「計画を作るのではなく、私たちの目的は復興が目的。どうしたら先につながるかを考え、今を組み立てていこう」
その想いを重ねる中で、生まれたのが、約千人の子どもたちの肉筆による子どもアンケート集のとりまとめであり、パブリックコメントの視点をグルーピングによる論点の追加であり、それらを踏まえた、策定最終局面におけるドラスティックな変更や補強でした。どの作業も過酷なものでしたが「志」でそれを乗り越えてきました。
自分たちが計画を作るというよりは、町民の方々の声や子どもたちの想いによって「創らされている」という方が、今振り返ると実感に近いように思います。
今、策定している「浪江町復興計画」。以前の3倍(約100人)の町民が関わり、多くの職員も関わって検討を進めています。多くの悩みや不安、初回だけでも約1000件以上がポストイットにまとめられています。
これも「本当に作ることが出来るの?」と心配を頂いていますが、きっと我がスタッフは苦しみつつも仕上げてくれると信じています。
町民の方々の意見は、交わすほど割れるのではなく「あるべき方向」や「結果として、こういった方向しかないだろう」というところに、まとまってきましたし、今後もそうなっていくと信じています。
4)この局面での希望。回り道が近道
多くの地域で、こういった動きが生まれているのは、不幸な局面な中であっても、将来に向けた貴重な希望です。
改めて感じるのは、行政が町を創るというのは、バーチャルであり、誤解ということです。
一人一人が生き、足を伸ばし、人と関わり、小さな動き、大きな動きを重ねていくことで、初めて地域は創られていきます。そこに行政は部分的に関わっているに過ぎなかったのです。
一人一人の存在の大きさを私は感じています。
手間をかけ、工夫をし、そして一人一人が小さな努力を積み重ねていく。それらによって、自分たちが地域を、そして時代を、未来を創っているということを再発見できるようにしていくこと、それが求められていると考えます。
一見、回り道をすること。手間をかけ、愛情や思いを込める。それが実は近道になる。 意味あるものになり、結果的に効率的な進め方にもなっている。
近視眼的な観点でなく、もっと遠くを見つめる視点から「効率的」「効率化」を考え直すことが必要かもしれません。
最後になりますが、ここ一年の間に、福島県の飯舘村で大切にされている言葉「までい」が私の中でつぶやかれる言葉になっています。手間をかけ、愛情を込めるという言葉。自分が育った言葉には「までい」はありませんでしたが、今、心の中で「までい」をつぶやくことが多くなっています。
文/玉川啓(たまがわあきら)
福島県庁総務部財政課 主任主査
2010年に福島県庁より浪江町役場に出向。震災前の浪江町では、企画調整課主幹として、志ある町民・職員とともに行革や協働のまちづくり業務に携わる。
そのさなか、東日本大震災が発生。災害対策本部行政運営班長、復興推進課主幹として第一線で災害対応に当たるとともに、町民協働のモデルともなる浪江町復興ビジョン、子どもアンケート、浪江町復興計画の取りまとめに携わる。また各省庁との調整業務、行政と民間を結ぶコーディネーターの役割を担い、震災関係支援者と行政関係者をつなぐ活動も展開。
2013年より3年間の浪江町勤務を終え福島県庁へ復職。身の丈にあった情報共有にも取り組んでいる(Facebook、最大シェア数17,000。フォロアー6,600人)。