(本稿はラジオパーソナリティ宍戸慈氏の寄稿文です)
避難先の北海道に移り住んで半年が過ぎようとする頃、とある男の子にこう聞かれた。「ちかちゃんって、やっぱり原発反対なの?」スケートボードを片手に、ハーフパンツにTシャツ、キャップ姿。歳の頃は同じくらいか私より少し上ぐらい。世間一般には「イマドキ」という言葉で括られるであろう彼の、これといって大意も悪気もないその言葉に、私は今までは感じたことのない、なんとも不思議な違和感を覚えた。
福島から、北海道へ
もともと福島生まれ福島育ち。福島のギャルは大体友達。そんな私が高校を卒業した後、キャンペーンガールの仕事をしている時に出会ったのは、フリーマガジンdipというコミュニティ情報誌だった。創刊から携わることになったdipでの仕事は、それまでどちらかと言えば好きでなかった福島の街の魅力を私に、これでもかというくらい見せつけ、福島好きにさせてくれた。
人に出逢い、魅力を感じ、自分の言葉で伝える。伝えた方からも、受け取った方からも、ありがとうと笑顔を頂ける。私もまた笑顔になれる。その連鎖がただただ楽しくて、福島がどんなに素敵な場所なのか、どんなに魅力的な人の営みがあるのか、伝え続けた7年間だった。編集者を始めて5年目の春、書くだけでは物足りず、dipは続けつつラジオのパーソナリティやレポーターとして話して伝えることも始めた。仲間と、街の人たちと「福島でどうやってもっと楽しく暮らす?」と計画を練っていた。
いつしかこの街が大好きになっていた、そんな時に起きたのが震災だった。放射能が降り注ぎ、この街に暮らすことの是非を、自らが選択しなければならない状況を突きつけられた。ラジオや雑誌といったメディアはこれまで以上に必要性を帯び自分の仕事の重要性が高まる一方で、一人の人間として「わからない」ことの不安に駆られ、情報に翻弄される日々が続いた。独自に情報を集め、怖いことにも目を向けた、そうして悩みに悩んだあげくの果て、私は、自分の体やこれから、いつか生みたい新たな命のことを優先することを決断した。コツコツ積み上げた全てのキャリアを泣きながら全部捨て、コンビニでバイトをする覚悟でたった一人で北海道に避難した。母子ではない女子の避難者は極めて少なく、やっとの思いで北海道に避難したのが12月だった。そんな私に「原発反対?」正直、野暮だなぁ。というのが一番の印象だった。
震災がもたらした価値観の変化
この違和感は感情論に収まるものでは決してない。私の中に芽生えた感情の最たる理由は、『最先端(イマドキ)』の価値観が変化したことに起因すると思っている。エコ、スローフード、断捨離、バリアフリー…。経済や自分ばかりが優先されるのではない、地球や社会、周りの生き物たちと共存して生きていこうという流れは以前からあった。また、一方では婚活、アラサーなどの言葉が巷を賑わせ、自分の人生を自らが選択し生きていく時代の流れも、今にはじまったことではないだろう。しかし、震災後その流れは加速度を増してはいないだろうか?マイノリティでしかなかったトピックが、震災をきっかけに東北を中心とした社会のマジョリティになりつつあるのではないかと感じているのである。
例えるのなら、従来の「時代を切り開くサラリーマン・サラリーウーマン像」はきっとこうだった。毎晩夜中までお付き合いか残業。仕事優先で家庭や彼氏、プライベートな時間は少なめ。家族や友達を含めた自分を取り巻く小さな社会の幸せよりも、会社や経済が効率的に回ることに寄与し、金額や母数の大きな仕事をすることに、大きな喜びを感じる。
でも、震災後の被災地ではどうだろう?命の大切さを目の前でまざまざと見せつけられた被災地のリーダーたちは、何よりも命を大事に考え、家族や地域、小さなコミュニティを大切に守ろうと必死である。手の届く範囲内のつながりに感謝し、ちょっとくらいお金がなくとも、大切な人たちと笑い合える時間を優先している現状がある。
また、若者が集うストリートに置き換えても、同じことが言える。以前はしばし派手めのファッションに身を包み、外見で自己主張していた強面のリーダーたちは、政治や地域のことについて「自分が何をしても変わらない」と投げやりではなかっただろうか。自尊心も強く、難しいことや面倒な話題には触れないことがカッコいい価値観だったよう記憶している。かく言う私もお恥ずかしながら、その一翼を担っていたように思う。
それが、今や私の仲間たちは、自分自身も被災して家族を県外に避難させつつも、ボロボロのTシャツと短パンで、1年4ヶ月たった今も毎週のように、沿岸部に炊き出しに向かい「じいちゃん、ばあちゃんたち、俺らがいかなねーと淋しがるからよ」と照れくさそうに笑う。個性が強い人ほど、エネルギーについてもきちんと自らが情報を得て独自の考えを構築し、多種多様な表現の仕方を模索しながら、自らの意思で行動を起こしている。福島の原発の数も知らなかった私が、福島の女子によるpeach heartという団体を立ち上げたり、避難先の北海道と福島をつなぎながら、こうして伝えたいことを書き連ねていることも、その一つだと思ってもらえたら嬉しい。
もうわかって頂けたでしょうか?冒頭の男の子の言葉に、私が感じたのは「時代遅れ感」だった。何の気なしに発された「ちかちゃんって、やっぱり原発反対なの?」というフレーズには、残念ながら社会への興味も、自分の意志も、私への配慮も感じられなかった。でも、決して私は彼を責めるつもりはない。なぜなら私自身も、自分にこうして火の粉が降り掛かって初めて「なんでもっと興味をもっていなかったんだろう」と後悔し、生死の問題を突きつけられ、初めて自分で考え行動することができるようになった。その中では、自分の意見を強要することのナンセンスさも学んだ。本当の意味での福島を含む被災地の復興、日本のこれからに想いを馳せた時、意見をもたないこと、無関心なことがカッコ良かった時代は津波とともに流れてしまった。そんなムードが今、被災地を中心に確実に存在していると強く感じている。
これからのイマドキな生き方を
震災前は、ワンピースと合コンの話しかしていなかった私も、今当時のお友達と話する内容といったら、福島の女の子たちと、今後どう繋がって支え合っていくか?という話題。最近気になる男の子といえば、見た目は少しくらいパッとしなくても、きちんと自分の考えに芯があって、社会や命の問題と真っ向から向き合っている人。そういう人なら一緒に歩んでいけそうだと思ってしまったりする。地元でもないのに、私たちの気持ちを理解しようとしてくださる方がいれば、キュンとしてしまうし、福島が好きだと言われれば、楽しいしお酒もついつい進んでしまう。
福島と生きていく私たちにとって、仕事・恋愛・結婚・放射能はすべて分けて考えられない話題で、一生のお付き合いとなった。それは今、決して福島の地域に限ったことでもなければ、放射能や原発問題だけにも限らない。私たちの未来には、環境、障害や差別、介護に食料…と解決したい問題が、バナナの叩き売り状態である。大変な時代に突入したという人もいる。しかし、震災は無かったことにはできないし、これが日常となった今、それらをどうポジティブに変えていくかが、私たち『これから世代の若者』の腕の見せ所だと思っている。
この時代の転換期を存分に楽しみつつ、自らが意思を持って選択する。それぞれの選択を尊重し合いながら、窮地も一緒に乗り越えられる仲間やパートナーと、支え合い生きていく。それが、震災を経て確かに変わりつつある「イマドキ」の生き方なのではないだろうか。
文/宍戸慈(ししどちか)
福島県福島市生まれ。高校を卒業後、2005~2012年フリーマガジン「dip」の創刊から休刊まで企画編集者として携わる。2010年~ラジオ番組(郡山コミュニティ放送)のパーソナリティをとして活動を開始。震災後、2011年12月より北海道札幌市に移住後、福島を伝えるラジオ番組「カラカラソワカ」を担当する。FTPマットベーシックピラティスインストラクターで、対話を交えた「cafeレッスン」を各地で開催している。「ap bank Meets福しま」メンバー。