150人の漁師のうち20代は6人 震災前から後継者問題は深刻だった
―阿部さんは、石巻でワカメの生産をされているんですよね。
僕の地元は、石巻市北上町の十三浜という小さい地域です。他の地域にはワカメの時期だけ漁業をやる兼業の人も半分くらいいたりするんですけれども、僕のところでは、漁業一本の人が8割くらいいます。ですから、津波で全部流されて、去年の7月初めに仮設住宅に入って今までよりもプライベートな時間が増えると、その分思い悩む時間も増えてしまって、地域全体に先が見えない不安が広がりました。船も漁業機材も資材も全部流されちゃって、どう立て直していけばいいのかとか、どのくらいの経費がかかるかとか。家を建て直さないといけない人もいましたし。
そんななかで、僕も、どういう方向に漁業が向かっていけばいいのか、日々考えていました。周りには「元に戻さなきゃ」という人がたくさんいましたが、僕は、震災前から漁業に課題意識を持っていたし、被害状況も悲惨だったので、完璧に元に戻すのは難しいとも思ったし、何より、戻しても課題はたくさん残ると思いました。
―どんな課題でしょう?
なにより、後継者問題です。十三浜には150人くらい漁師がいるんですけれども、20代の漁師は6人だけなんです。震災に関係なく後継者は育っていなかった。そこに震災が起きて、それを機に漁業を離れる若者もいて、6人の20代の漁師のうち、僕と幼なじみの2人で「漁業をなんとかしよう」ということになったのです。
外部との交流で開眼「ワカメ生産が、作業になっていた」
―それで始められたのが漁業生産組合浜人(はまんと)というわけですね。浜人を始める具体的なきっかけはなにかあったのですか?
実は、そもそものきっかけは、震災直後に僕が自分からボランティアセンターに出向いて、ボランティアセンターと地元の間に入っていたことにあります。小さい地域なのでボランティアがなかなか入らなかったんですね。そこで、農業の若手に出会って、彼らが「自分たちでどうやって農業を変えようか」とか「どうやったら収入に繋がるか」とか、ポジティブに考えている姿を見て、すごいな、と思いました。僕らは漁業の若手で集まった時に海の話をするかな、と。
それで、よくよく考えてみると、十三浜のワカメは品質が良くて宮城県内では一番の値がつくけれども、外に出ると『三陸わかめ』になっちゃうとか、そういうことに気づいたんです。スーパーがどうやって売っているかとか、飲食店がどう調理して出しているかとか、そういうところがまったく見えていなかった・・・見ようとしていなかったんです。その点、それがかたちになっているのが、農家の取り組みでした。同じ一次産業なのに同じことが全然できていなかったんです。
―なるほど。農業の取り組みに触れたことが刺激になったんですね。
農家だけではなく、いろいろな方々と交流を持つことで、嬉しかったし、いろいろなことが新しかった。
例えば、千葉の浦安で復興祭りがあると聞いて、とりあえずとろろ昆布を持って行ってみたんです。そこで、お味噌汁にして無料で振る舞ったら好評で、2日間で2000食くらい出ました。みんなにおいしいおいしいって、じかに言ってもらったのが、すごく嬉しくて、新鮮でした。それが、自分たちでもっと前に出て、情報発信だとか交流を図って、販路をつくる、という今の方向性に繋がっています。
それから、実際に販売の現場に行ってみると、自分たちが全然ワカメについて知らないということにも気が付きました。生産者って、おいしいものさえつくればそれで良い、と思っているところがあるんですよね。言うなれば、ワカメ生産が、作業になっていたのです。ワカメの成分もミネラルが入っているということくらいしか知らなかったし、放射能にしても、現場は意外に風評被害なんてないと思って安易に考えているところがありました。
でも、実際外にでると、そういう情報をじかに教えてもらえます。それが分かってからは、やっぱり、自分たちで正確な情報を学んで「だからいいんだよ」というところを伝えたいと思うようになりました。放射能検査も行政に任せきりではなく民間に委託して3か所でやるようにしました。放射能の勉強会にも出て、ちゃんと説明できるように勉強しました。
まず、自分たちが知るべきだったのです。いろいろ勉強するのは大変だけれども、それが、楽しい。本当に、震災前に漁師をやっていたときより楽しいんです。これまで、淡々と親の仕事を真似するだけで、いかになにも考えないで仕事していたか、外部の方々との交流で気づかされました。
また、自分が自分で前に出て、人と交流して販路を開拓して楽しく仕事をすることが、後継者問題の解決にも繋がると思っています。地元の子どもたちに親しみを持ってもらえるようにするためには、まず、自分たちが楽しくやらないといけません。ワカメをつくるだけだと、朝が早くて早く寝なきゃいけないとか、収入が不安定だとかで、魅力を感じない子どもが多くなります。親も子どもに漁師になって欲しくなくなります。だから、自分が感じる楽しさをまず同世代に伝えて、次に、次世代に伝えれば、後継者も育つと思います。
漁師みずから販路を開拓して消費者においしさを届ける、新しい漁業
―ワカメのインターネット販売サイトWAKAMO(http://www.wakamo.jp/)もやっていらっしゃいますね。issy(イッシー)とmakky(マッキー)というかわいいキャラクターもいます。
これは、東京のデザイン会社に勤めている地元の先輩が作ってくれたサイトです。WAKAMOは、若者(WAKA)がつくるワカメ(MO=藻=ワカメ)。今までのワカメ販売のイメージって、青とか緑の袋に明朝体で『三陸わかめ』って書いてある感じですよね。確かにこういうキャラクターだと高級感が出ないという問題はあるけれども、奇抜なかたちで、これまで興味がなかった人に興味を持ってくれるようにしたかったのです。特に、若いお母さんや子どもに食べてもらいたくて。きっかけが「なんとなく可愛いよね」でも嬉しいんです。
さっきも、若い女の子が店頭で買っていってくれたのですが、彼女が「一緒に写真撮ってもいいですか」って言うんです。それでfacebookとかtwitterで紹介してくれる。そういうのってワカメにはなかなかないんですよね。それで、その子が帰って「ワカメって意外と美味しい」となってくれれば良いんです。
―浜人の目指すものって、なんでしょうか?
まずは、十三浜という浜を知っていただきたいというのが一番です。十三浜のワカメは、三陸ではトップクラスの品質です。これは十三浜が外洋で、波が立つところで生産しているから。波にもまれて、葉肉が厚くなるんです。味噌汁で1晩おいてもとろとろにならないし、磯の香りも残っています。それから、十三浜はちょうど北上川の河口にあるので、真水と海藻のバランスが良く、ミネラルも多く含まれています。この十三浜の良質なワカメをみんなに食べてもらいたいです。
それから、僕らは、新しく漁業が変わっていく土台になりたいと思っています。今僕らがやろうとしていることが、きちっとした収入になって、やりがいもあって、浸透していって、いつか当たり前の光景になってほしい。漁業には震災前からずっと課題があって、いつかは誰かがそれを感じて変えなければなりませんでした。今、新しい漁業をつくらないとだめなんです。そして、変えるなら、何十年も同じスタイルでやってきた人より、なんのしがらみのない僕たちの方が動きやすいと思うのです。
理想は、とったワカメすべてを、自分たちの手の届く範囲で販路を築いて売ること。かといって漁協をないがしろにしているわけではないんです。漁協は漁民を助けてくれる組織なので。実は、漁場には『家賃』があって、漁協に卸していれば何%の手数料が発生する代わりに家賃はかからないんですが、漁協に卸さないと発生するものなんですね。けれどもやっぱり漁協にとっては、家賃収入だけだと収入が減ってしまうので、漁協の維持のために「漁師が自分で販路を開拓して生計を立てて、今まで以上に収入が安定したら家賃を倍にしてもいいよ」といったような、お互いありきの話し合いができると思っています。
この活動を始めて、漁協に卸さずに在庫を持つことに対する不安は、毎日あります。でも、僕は負けず嫌いなので、変えてやるって言ったからには変えないと!もちろんプレッシャーはあるけれども、後悔していることはまったくないんです。若手といっても、僕も子供がふたりいる親ですし、いつまでも甘えてられません。自分が引っ張って親も子供も、と思う瞬間もいっぱいありました。今は浜人単位だけれども、地元の同世代は、幸か不幸か、人数が少ないのでみんなで走りだせるはずです。これからの漁業をつくるべく、1人でも多く巻き込んで走っていきたいです。
阿部勝太(あべしょうた)
漁業生産組合 浜人(はまんと)
石巻市北上町十三浜の漁師。震災前から家族で漁師をしていたが、震災後の深刻な状況の漁業と後継者が減っている地元漁業をみて奮起。5家族で協力し漁業生産組合浜人を立ち上げる。地元を漁業から盛り上げ、漁業の魅力を発信するため、ワカメのインターネット販売プロジェクトwakamoを行うなど、精力的に活動する。