(本稿は福島県の玉川職員からの寄稿文です)
先日、日本青年会議所岡山ブロック協議会の被災地視察に関わりました。その中で現地同行と講演を行ってきました。今回の対応は自分にとっても非常に考えさせられることが多く、非常にうれしい機会でもありました。
「復興支援とは何か」「この災害に関わるっていうことは何か」を考えておられる方と、自身の感じたことを共有できればと思います。
この催しの後に、裏方として舞台設定を行った日本青年会議所福島ブロック協議会の前会長の坂田さんから、多くの気づきを共有する場を設けられたことに対する感謝の意と、そこにこぎ着けるまでの関係者の苦労に関する丁寧なメールを頂き、そこに対する私の応えとして返信した内容です。
視察メンバーと福島側の運営支援メンバーの深い想い
今回の視察は、岡山でも「危ない福島になぜ行くんだ」「イベントができない視察だけの事業に価値があるのか」という悩みをはらむ中、先行して現地調査された幹事役の方々がそのような複雑な岡山の地元の想いを尊重した上で、ようやく実現にこぎ着けたものでした。
舞台設定に関わった地元スタッフ、視察を運営していく岡山ブロック協議会の幹事メンバー。彼らが大切にしたのは、視察だけで終わらせない。講演会だけで終わらせないこと。「自分たち自身として何を考えなければいけないか、何ができるだろうか」ということをあえて考えさせるワークショップを、限られた時間の中であえてプログラムに押し込んだ、異例の取り組みでもありました。
率直に、私自身、関わって良かったと思う出来事でした。関わった者としての感慨、想い、気づきを整理しました。
自己実現の復興支援VS社会の当事者として関わる復興支援
JCだけでなく「復興支援」を掲げる方々の中には、「事業」(これは自分たちの実績としたいもの)を被災地で展開したいという観点で関わる方が多くいることを感じています。
そこでは被災地でどのようなニーズがあり、そこにどういった応え方ができるかという発想ではなく、自分たちの自己実現方策、その実現の場として使われてしまっている面があります。被災地が「消費」させられている、そんな感覚が時としてあります。
そうした中、JC岡山ブロック協議会の方々は今回の視察をふまえて、次のようなことをおっしゃって頂きました。
「僕たちは今まで事業をやることに価値を置いてきた。本当にそれで良いのか。事業に何の価値があるのか。一つの事業を終えて「ハイ終わり」「終わって良かった」で良いのか。事業は目的ではなく、手段でしかないはず。その本質こそ、僕たちは持ち帰らなければならない。ここはまさにスタートでしかなく、今後の自分たちの在り方こそが問われている。戻ってから真のスタートに踏み切っていこう」
私が支援関係者と関わる中で心がけているのは、あえて「○○の支援をしてください」ということ言わないことです。直接伝えれば実現も容易ですが、実現するのはその範囲でしかありません。
あえて答えを示さず、この現場を感じた方々が被災地の生の状況を感じ、そこから「自分には何が出来るか」を考え、あがき、その中でベストということを自らの責任感のもと実施していくことが、支援の主体性を磨き、被災地では見えない支援可能性を広げていくことになるからです。
今回彼らが「持ち帰る」ことをしてくれたことは、私にとって正に望んでいた姿であり、そういう場に関わることが出来たことは、私自身にとって価値があることでした。
この震災時代を生きる私たちに問われる「役割」「使命」
支援関係者との会議や講演に関わることは多くありますが、私自身は被災地自体の支援を使命とし、浪江町民の税金を頂いて仕事をしている身です。その観点からは浪江町民がまずは最優先事項です。支援関係者との会議や講演は基本的に玉川啓としての活動範囲であり、そうすれば当然、個人の時間から割くべきとの考えを持っています。
それでも、あえてそういった時間を持とうと考えているのは、給料をもらっている仕事ではなく、仕事を超えた自分の役割と思っているためです。この問題を広く社会に伝え、共有していくことは、被災者であり、被災地を知る運命に置かれた者として果たさなければならないことと考えるようになりました。
この震災と災害に深く関わる中で、日がたつにつれ、私たちの社会はどれほど多くの物事を学ばなければならないかということに気づいてきました。
この学びをスルーさせ未来に繰り返すのではなく、この切実な経験を生かすことで今を生きる私たちが次世代に負う責任を果たすことになるのだろうとも思っています。
今、私なりが限られた時間の中で、関わる・関わらないを決めていく基準は次のようなものであることに改めて気づきました。
第一に「本気で考える」「本気で取り組もうとしている」方々
第二に、今は本気になっていないかもしれないけど「本気にさせた方が日本にとって価値が生まれるような組織・方々」
そういった方々とは身を投じてともに考える時間を持ってきました。
共有していくことで生まれる価値
先日の日本JC復興支援委員会の場、そして今回の場双方ともそういった問題意識で参画させて頂きました。そのため、あえて双方の方々には「被災地って大変だよ」という説明ではなく、「僕たち全体が問われているんだよ」というあえて高めの球を投げているところです。
そして、全国で共有するだけでなく「福島県人から共有する」ことの大切さ、私も非常に実感しています。それは、中通り、会津の人に浜通りを理解してもらうという一方向ではなく、一見、(浜通りからは)平和に見える中通り、会津であっても、多くの悩みを実は抱えている、つまりは県全体が被災仲間だという、双方向性のものが必要だと思っています。
双方向でつながることによって、孤独感や孤立感は弱まり、連帯感のもと、安心して・自信と余裕をもって、この問題に処していくことができるのではないかと感じています。
私とJCとの関わりは約20年前にさかのぼります。そこではJC時代が発展期にあった中「僕らが地域を創っていくんだという熱き想い」がありました。
今、JC自体が自分たちの存在意義を求め、改めて役割を作り直す・または再確認していく時期に来ているように私個人としては感じています。
私としては、JCのメンバーは単なる若社長の集まりではなく、JCという団体人の集まりであり、JCとは別に地域で何らかの役割を担っている方々の集まりであり、事業主(仕事人)として自らの仕事を通じて社会貢献を行っている人の集まりと解しています。
JCのメンバーが自らの多面的な役割、存在価値を再確認し、自分たち自身が多面的に社会を作っているという現実、そしてこれからの社会をまさに作り出していかねばならないという責務、その双方の自覚が高まることで、社会において大きな価値を生み出していけるのではないかと思っています。
これからも、私個人として出来ることをしていこうと思っています。皆さん同様、私自身も「今、この時代に生きている上での役割」を問われていると思っています。その意味では「この時代に生きている上での役割」をともに共有していくことが出来る仲間がいることは、非常にうれしいことです。
文/玉川啓(たまがわあきら)
福島県庁総務部財政課 主任主査
2010年に福島県庁より浪江町役場に出向。震災前の浪江町では、企画調整課主幹として、志ある町民・職員とともに行革や協働のまちづくり業務に携わる。
そのさなか、東日本大震災が発生。災害対策本部行政運営班長、復興推進課主幹として第一線で災害対応に当たるとともに、町民協働のモデルともなる浪江町復興ビジョン、子どもアンケート、浪江町復興計画の取りまとめに携わる。また各省庁との調整業務、行政と民間を結ぶコーディネーターの役割を担い、震災関係支援者と行政関係者をつなぐ活動も展開。
2013年より3年間の浪江町勤務を終え福島県庁へ復職。身の丈にあった情報共有にも取り組んでいる(Facebook、最大シェア数17,000。フォロアー6,600人)。