(本稿はワカツク渡辺一馬氏からの寄稿文です)
「東北は一つ」というスローガンへの違和感
震災直後から「東北は一つ」的な言葉を目にしたり、耳にしたりすることが多くなった。震災直後に自分自身も「東北は一つ、みんなで頑張ろう!」と、その言葉を使うことがあった。しかし、みやぎ連携復興センターの一員として物資やボランティアなどを被災地につなぎながら、その言葉に違和感を持つようになっていった。遠くの方々からの励ましの言葉として、そう言われると「ん?」と感じ、ぎこちなく「頑張ります!」と返していた。
その言葉の何に対して違和感を感じていたのか、分からなかった。その答えのキッカケを、経営コンサルタントの川村志厚先生からいただいた。川村先生は「東北は一つでは無い。一つ一つだ。都市としての仙台と南三陸はもちろん違うし、それこそ、南三陸町の浜(集落)ごとに違う。それを一つとして扱うことは出来ないはずだ」と、仰った。東北に住んでいる人間として、確かに!と膝を打った。とはいえ、まだこの言葉への違和感を十分に言い表せない。
そして、まだ悶々としている中、昨年度のせんだい・みやぎNPOセンターの事業計画書の前文「支えてきた場所を、支え続けるために」を読み進めた時に、うっすらと「違和感」の元になっている「怒り」にも似た感情が自分にあるのだと気がついた。
その前文の一部を引用。
これまで東北は、東京を、日本を、文字通り底辺から支え続けることで、その歴史を重ねてきました。農業、漁業、ものづくり、そしてエネルギーに至るまで…遠い地で暮らす人々の笑顔のために、持てる誠実さと技術の全てを仕事に詰め込みながら、東北の人々は自らの暮らしを静かに紡いできました。
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この前文を読み、ああそうかと。違和感の根源はここにあるのだと。
支援のための「東北は一つ」
東北の住民が自分たちを鼓舞するために、この言葉を使った。そして、それより圧倒的に多かったのは、東北以外からの人々が「東北は一つ」というまなざしで私たちを支援してくれた。
支援そのものにはもちろん最大限の感謝がある。しかし、この言葉の背景にある、東北を一つとして扱う方が都合が良かったこれまでの歴史的背景から、本人たちは自覚無く無遠慮に「東北は一つ」と言い続けたのだろう。
前文にもある通り、外からは食糧・人材、そして電力の供給基地として、私たち東北を見てきただろうし、私たち東北自身も、インフラ整備をはじめとする様々な投資を勝ち取り、目を向けさせるための方便として「東北は一つ」であることに甘んじてきた。
そのおかげで、避難所では「一つ」になることを強制され、仮設住宅に入った後も「一つ」になることを期待されてきた。具体的には、避難所では、人工肛門など特殊なニーズを持った方々が自ら声を上げられない雰囲気だったり、個人のプライバシーよりも、全体が見渡せることを優先させるために、段ボールのついたての高さを制限したことだったり。そして、仮設住宅ごとに自治会をつくらせることであったり、住宅の再建も地域で一つの結論に統一することだったり。もちろん、その方が支援しやすいからだ。枠は大きくて、使いやすい方が支援する側からすれば大変に有難い。
ある意味、経済合理性を成り立たせるために「東北は一つ」であることを求められ、私たちは受け入れてきていた。
が、あの震災後、あらためてその「一つ」という単位を再設計するべき時が来ていると実感している。少なくとも県単位や今の基礎自治体の範囲では無い。
自ら考え、自ら行動する、その適正な範囲はきっと外から見られているものや近代民主主義のやり方とはちょっと違うのでは無いかと思っている。
市民ひとりひとりへの課題発見支援を
私が実現したいのは、川村先生からいただいた「東北は一つ一つ」という社会。人々が自分の意思を持ち、自分が所属しているコミュニティや団体で役割を果たし、それが互いや地域に貢献出来ていく地域。成熟化した社会の次の姿。それは、浜単位なのか、小学校区単位なのか、それともテーマごとのような物理的ではない範囲なのか。言い換えれば、市民セクターの創造と発展。そして、市民自治の実現に通じる。
とはいえ、どのスイッチを押すと、市民セクターが創造され、東北は一つ一つになっていけるのか、アイデアレベルなのだが、ちょっとした仮説がある。それは、これまで中間支援者が主にやってきた、課題に取り組んでいる事業者に対する支援ではなく、市民ひとりひとりへの課題発見、そして、実際に声を上げ、課題に取り組みはじめることへの支援によって生まれていくのではないか。なぜなら、あの震災で、ひとりひとりが課題に直面し、そこで役割を生みだし、そこから一つ一つのプロジェクトが力強く生まれてきたことを見てきたから。
震災から生まれたこの市民セクターのうねりを継続させると共に、大規模災害が無くとも、ひとりひとりがプロジェクトを生み出せる東北をつくっていくために、私がやっていくこと。今東北各地でおきている、小さいコミュニティやそのプロジェクトを成り立たせるためにコーディネートしていくこと、そこで生まれた知恵を他の地域やプロジェクトに還流していくこと、そして、その現場に参加する若者たちを増やし、そこで次世代の若者たちが育つ環境をつくっていくこと。いくつもの役割を生かしながら、新しい東北をつくっていきたい。
文/渡辺一馬・一般社団法人ワカツク代表理事
大学卒業と同時にデュナミス代表に就任し、インターンマッチング等、数多くのプロジェクトに関わる。震災後はワカツクを創業し、課題解決できる若者の育成のため「東北1000プロジェクト」ほか様々な復興支援活動を行う。1978年生まれ。