(本稿は宮城復興局の山本啓一朗氏からの寄稿文です)
復興庁へ出向した民間人だからできること
2013年明けましておめでとうございます。新春一発目のSpeakerとしてご指名いただいた山本啓一朗です。
僕は、いま仙台に居ます。復興庁宮城復興局の一員として、宮城県の復興を担当しています。といっても、僕は元から国家公務員ではありません。本当は、NECという会社で組織開発を担当している普通のサラリーマンなのですが、ちょっとした出来心がきっかけで復興支援をやることになり、気がついたら支援という2文字が外れて復興庁で復興の一端を担う当事者になっていました。(僕がそうなってしまった経緯につきましては、こちらのコラム※上※中※下をご笑覧ください。)
※上:後ろめたくても、何もできずにいた
※中:恐る恐る、副社長に直談判してみた
※下:「永遠にバイバイ」と言われて
東北にほとんどゆかりの無い、普通のサラリーマンな僕に何ができるのだろうか。民間人の僕が復興庁で出来ることは何か。復興庁の職員となった昨年の3月からずっと考えています。現在も、モンモンとしながら、日々少しずつ前進していますが、一つ分かっていることは、「民間人とか官僚とか、そんな立場や肩書は関係ない。」ということ。そして、その上で、『行政ではなく、民間企業・組織だから見えることがある。そして、セクターの枠を超えて連携することで出来ることがある。』ということ。それを躓きながらも仕掛け、少々フライング気味にでも実践すること、それが僕がここにいる意味なんだと思っています。
復興も餅は餅屋
では、復興において『行政ではなく、民間企業・組織だから見えること』とは何か。その一番手は、被災地域経済の復興・活性化への道筋です。復興はハード面とソフト面の両立が大切だと言われています。ハード面とは、道路公共施設、住環境などのインフラ整備であり、それは行政・自治体の得意技です。一方、ソフト面はコミュニティ形成や心のケアなど行政だけでは完結しない問題が多くあります。その中でも、“職”の問題が非常に大切な要素であり、被災に見舞われた方々の“職”の問題を解決するために、地域産業の復興・活性化が必要不可欠です。産業の問題は、産業界に属している民間企業や経済団体の協力がなければ解決することは出来ません。
行政的な視点で最初に思い浮かぶことは、“企業誘致”です。なぜなら、大手企業が来てくれるだけで、自動的にまとまった数の雇用が新たに創出されるからです。そのため、今回の東日本大震災の対策としても、企業誘致をターゲットとした特区が多くの自治体で乱立しました。この考え方は基本的には間違ってはいませんが、東日本大震災の復興という観点ではハードルが高すぎます。なぜなら、被災地域が広範囲に亘っており、全ての地域を満たすほどの誘致企業候補は見つからないからです。
企業誘致となると、企業側としては、ビジネス判断での選択となります。「復興だから赤字になりました」では許されませんから、当然、ビジネスメリットがなければ動きません。そして、その比較対象は日本国内というより、むしろ海外、世界のハブと呼ばれるようなシンガポールや香港などが被災地の競合となります。これら世界の勝ち組と競争するには、税制優遇などの特区だけでは全く歯が立ちません。輸送・ロジスティックの改善なども併せた包括的な環境整備が必要となります。現時点では、まだそこまで踏み込めていないというのが実情です。
経済復興はまったなし すぐに効果の出る施策を
では、民間企業は復興支援という観点で何を考えるのか。まだ復興途上である現時点では、純粋なビジネス展開での貢献はなかなか難しい。そのため、直近の成果を求めるのではなく、先進的なイメージアップに繋がるような見栄えのする中長期的な取組みに関与、投資することを民間企業は考えています。例えば、スマートシティ構想への参画だっり、次世代エネルギーの共同研究だったり、6次産業化へのスポンサードだったり、いずれも長期的な成果・リターンを目的とした活動となります。
これはこれで、すごく意味があり、まさに民間企業のやるべきことではあります。但し、この取組みは、”いま現在の”地域経済にほとんど影響を与えることが出来ません。地域経済の復興は、まったなしです。いますぐに、地域産業を復興させなければ、人口流出に拍車がかかり、その結果として最終的には、その地域は消滅してしまいます。地域が消滅してしまった後で、上述したような先進的で長期的な取組みの成果が仮に出始めたとしても、その地域での担い手が居ないということになってしまいます。つまり、いま現在の被災地域の経済の復興に短期的に影響の出る施策に最優先に取り組むべきだと私は考えます。
ここで最悪のシナリオを想像してみたいと思います。もし、被災3県という地域が経済復興を果たせず消滅してしまった場合、被災3県の域内総生産17.2兆円(県民経済計算2009より算出)を日本は失ってしまうことになります。いち民間企業が競争に負けて市場を失ったというレベルではなく、日本企業全体が巨大な市場を失くしてしまうのです。経済成長が鈍化している日本において、これは見過ごせない事態であり、このような最悪のシナリオが実現しないよう、民間企業各社の個別最適でのビジネス競争を視野に入れた復興支援活動ではなく、日本全体で取り組む必要があります。
地域経済のイノベーションを創造するフューチャーセンター
被災地域の経済・産業は、震災前から右肩下がりの状態でした。過疎化、高齢化による後継者問題、アジア諸国の台頭、その結果の国内外に対する競争力の低下。そんな状況下で起こった東日本大震災。その結果、引き起こされた被災地域の経済・産業の問題というものは、震災の影響で新たに発生したものではなく、以前から潜在的に内発していた問題をより深刻に顕在化したものなのです。そして、その問題は被災3県特有の問題ではなく、日本のその他の地方にも内在している共通の問題なのです。日本全国の地方が抱えている問題が、解決しなければならない課題として顕在化した地域が被災3県であり、すなわち被災地は『日本における課題先進地』と言えるのです。
この被災地の課題、これまで日本が解決しきれていない課題に向き合うためには、個別の活動や既存のアプローチでは不十分であり、多様なステークホルダーが枠を超えてイノベーションを共創しなければ解決策を見出すことは出来ません。それが「フューチャーセンター」というアプローチです。
これは元々、北欧で公的機関を中心に発展した取り組みです。組織の枠組みを越えて、多様なステークホルダー(利害関係者)が集まり、未来志向で対話する場を指します。対話の中で創発されたアイデアに沿って、協調しながら行動を起こすことを目的とした「イノベーションを創発する場」です。日本では、近年、企業を中心に広がりを見えているのですが、私はこのフューチャーセンターこそが、被災地域に必要だと考えました。
ゼロからではなく、既存のしくみを活用する
当初は、ゼロからフューチャーセンターという仕組みを構築することを考えました。ゼロから作った方が、制約に縛られることがなくよりオープンに対話ができる、と思ったからです。但し、対話の場を構築することは簡単でも、そこからイノベーションを創発する具体的な活動を実践することは非常に困難でした。なぜなら、ゼロから作るしがらみのない場は、地域に根差していないからです。地域経済の復興を実現するためには、地域のど真ん中・本丸に入り込んで、既存の産業と向き合わなければなりません。その課題を外側から扱うことは、そこら辺の批評家きどりと変わりなく、自己満足なだけの行為に他なりません。
では、どうすれば良いのか。
モンモンと考え続けたある日、ふと気づきました。元々、日本はイノベーションの連続で経済を発展させ続けたことを。そして、それを支える仕組み・機能が昔から存在していたことを。それは、経産省や旧通産省など産業経済を司る行政であったり、経団連や同友会などの各種経済団体であったり、地域産業を支える商工会議所や商工会というものでした。
地域イノベーションの担い手としての商工会議所
商工会議所(参考URL)は、明治11年、日本の資本主義の父と呼ばれる渋沢栄一を中心に、実業界を代表する方々が集まって商工業者の声を国の施策に反映させるためにつくられました。現在では、全国で514もの商工会議所がそれぞれの地域で活動しており、地域産業のサポートだけでなく、伝統的なお祭りやイベントの運営なども携わっています。また、最近流行っている“B級グルメ”も商工会議所が仕掛け人の一翼を担っています。
本来、商工会議所や商工会というものは、地域経済を発展させるためのフューチャーセンターだったのです。それが、時代の変遷と共に、機能が変化し、現在に至っているのだとしたら、もう一度、そもそもの機能に立ち戻ってもらえば良いのではないか。そう考え、商工会議所と協働で企画したのが、地域復興マッチング「結の場」です。
地域復興マッチング「結の場」は、被災地域企業が抱えている経営課題を、大手・中堅企業の経営資源(ヒト・モノ・情報・ノウハウ)を活用して解決することで、地域経済・産業の復興を加速するための取組みです。被災地域企業の課題について、日本全国から集まった企業とトコトン議論・対話する場を設け、そこから具体的に課題を解決するための活動を創出する、その一連のファシリテーションを商工会議所が復興庁と一緒になって取り組みます。その活動を通じて、被災地域企業の経営力が向上し、地域経済を牽引するような存在になっていき、商工会議所と共に、地域経済の持続的な発展を担うコミュニティを形成する。そのための地域基盤を構築することが、「結の場」のビジョンです。
第1回は、昨年11/28に宮城県石巻市の水産加工業を対象に開催し、35社の大手・中堅企業が参加され、50を超える具体的な活動が提案されました。それを元に、石巻商工会議所・石巻水産加工業の皆さまと検討のうえ、支援活動プロジェクトを立ち上げる予定です。また、先日発表しましたが、第2回を気仙沼市で開催する予定です。
ただのイベント・対話ではなく、実行することがフューチャーセンター
「結の場」で扱うテーマは、地域経済を支える産業の問題です。これまでは、その産業に携わっている方々、つまり内部のステークホルダーだけで取り組んでいましたが、既存の延長線上での議論に終始してしまってました。地域経済の産業というテーマに限らず、内部の当事者だけでは、どうしても既存から抜け出すことは難しく、イノベーションにつながる新しい発想を導き出すことは非常に難しいのです。
イノベーションを創発するためには、外部(外側)のステークホルダーが持ち込む“素朴で率直な問い”が重要になります。更に、出来るだけ多様な専門性や立場にあるステークホルダーが一堂に介し、枠を超えて対話することで化学反応が起き、各々だけでは到達できない新しい発想が誘発されます。第1回「結の場」に参加した35社は、飲食・不動産・IT・電気・サービス・建設など様々な業種で構成されています。その35社と、取り扱うテーマの主体である水産加工業の対話を商工会議所(地域経済団体)と復興庁(行政)がファシリテーションを行いました。そして、その対話を通じて、35社から提案された支援活動の多くは以前には無かった発想が含まれています。その中から、支援のジョイントベンチャーを構築し、プロジェクトを立ち上げ、具体的な活動を実行していく予定です。具体的な実行を大前提として、多様なステークホルダーの対話を通じて、イノベーションを創発する「結の場」は、まさにフューチャーセンターそのものです。
この取組みは未だ始まったばかりですが、徐々に他地域・他業種に拡大していき、「フューチャーセンター」機能を取り戻した地域を一つでも多く生み出していきたいと思っています。そして、この「結の場」のような取組みが被災地域以外でも実施され、それに参画する企業が上場企業の3割(約1,000社)を超えたとき、ただのCSRではなく真にCSVを実践する社会を日本企業が実現したと言えるのではないでしょうか?
山本啓一朗(やまもとけいいちろう)
復興庁宮城復興局 政策調査官(NECより出向)、一般社団法人「プロジェクト結コンソーシアム」理事
1999年に「創業100周年だった」という理由でNECに入社。メディア業界担当のシステム・エンジニア(SE)として映像関連システム開発のプロジェクト・マネジャー(PM)を経験した後、2009年から経営企画部で企業内の変革を目指して奮闘(道半ば)。また、「できること」を「やれるだけ」の想いで震災復興支援「プロジェクト結コンソーシアム」 も展開中。現在は、復興庁の宮城復興局に出向、被災者・NPO支援、子どものまちづくり参画、産官学(+公)連携を担当。1976年生まれ。