―緩衝材の役割って大きいでしょうね。止まっているところと前に進んでいるところの違いは、緩衝材となる人がいるかいないか、なのではないかと。
企業と行政の間もそうですね。企業が直接被災した役場に行くと、企業の都合の押し付けになることが多かったり、企業側としても何を支援していいかわからなかったりする。お互い見合ってしまって、企業のほうは時間がなくなり去ってしまう。間に私たちが入って、企業のやりたいことを理解した上で自治体とつなげる、ということをやっています。
例えば震災遺構をデジタルで保存する取組をグーグル株式会社と実施しました。被災市町村にその意義を伝え、役場内での調整を働きかける役割をRCFは担っていました。現在はビジネスとITがわかる被災地の現地コーディネイターと連携して、その地域のビジネスの加速をお手伝いする、「イノベーション東北」というプロジェクトも進めています。また、東北の高校生が科学の楽しさを知ってもらう、サイエンスフェアというプログラムの事務局も担っています。
また、キリンビール株式会社による水産業支援をお手伝いしています。ビール一本1円の寄付を原資に、8億円のお金を有意義に使うための現地事業者によるプラン作りをサポートしています。これはとてもとても貴重なお金です。なぜなら、国の予算だと、復旧はすすむけれど、新しいことには使えないことも多いからです。制約をとっぱらって、現地が望む復興の形を進めています。
復興計画をじっくりと読む
ー行政と一緒にプロジェクトを進める上でどのようなことを考えていますか?
「行政の動きが遅い」。被災地で必ず聞かれる言葉です。しかし私たちは、「行政が遅いのではなく、行政の動かし方をわかっていないのではないか?」と考えるようにしています。たとえば、すべての被災自治体は復興計画を持っています。自治体との協働を考える際には、まずこの計画をじっくり読むことからスタートします。水産業の支援を行うとして、復興計画に「6次産業化」というキーワードがのっていたならば、その言葉を軸とした提案を、関係する部署に行うようにします。自治体は人手が少ない中で、いかに復興計画を進めるかに苦労されています。そこで外部から計画推進を手伝うと伝えれば、むしろ先方から積極的に支援を求めてこられます。よくある失敗は、いきなり首長のところに持っていく。あるいは、無償支援なのだから有難がられるだろうと思い込み、ひとりよがりの提案をしてしまう。企業営業を考えるとわかりやすいと思います。いきなり社長に提案持ち込んだりしませんよね。顧客に会う際には提案資料をもっていきますよね。そうした点を注意するだけでも、自治体との協働が実現する確率は格段にあがります。
もちろん、被災した住民の皆さんがそうした「営業スキル」を持ち合わせているわけではありません。その意味で、RCFのような緩衝材が必要なのでしょう。ただ、外部から支援者として入る方々には、そうした意識を是非とも持っていただきたいのです。
また、行政の中の、市町村と県、国の役割分担を見極めるのは重要です。市町村がやるべきことを県に働きかけたり、国がやるべきことを県にお願いしたりしたら動きません。その目利きも大事です。
―それは、なかなか面倒で大変な作業のように聞こえますが...
紙にまとめるとすれば5-6ページに収まるぐらいの話だから、ノウハウと言うものでもないと思っています。今回、民間には大変な資金と労働力が回っていますけれども、十分に力を発揮されていない。面倒がらずに、どのように押すと「行政が動く」か。ぜひ、現場で活動している民間の人たちには理解して復興支援を進めてほしいのです。
もちろん最初は慣れないかもしれません。その場合は、RCFにはそうした知見を有するメンバーが10名ほどおります。もっと多くの団体とご一緒したいと思います。復興現場には、民間の中でも縦割りがありますね。本当は、もっと目標をひとつにして、連携しながら支援にのぞむべきだと考えています。
どうしたらささるか、という肌感覚が出てきた
―これまで2年以上復興に関わってきた中で、ああ、よかったなあ、と思った瞬間はありますか?
企業と行政との話が、かみ合うようになってきたことです。今回の復興は、行政の力だけでも民間の力だけでも成り立ちません。2つの力が交わりつつあることが、何よりも嬉しいことです。私達もこの二年間で、国と県と市町村の役割の違いをようやくわかってきました。どんな言葉が刺さるのか、という肌感覚がわかってきたように思います。
釜石での取組も属人的にすすめていたわけですが、ここにきて復興を進めるツボのようなものが見えてきました。2013年に入ってから、他の地域でも展開できるという感覚を持てるようになってきました。
震災から2年がたったわけですが、復興が進んでいる進んでいないと評論するのは被災地の外の方々です。阪神淡路大震災から18年が経ちましたが、神戸では公営住宅に住んでいる方の孤立の問題が続いています。中越震災からは9年近く経ちましたが、復興支援員が配置されたのは5年目であって、今でも復興支援が続いています。2つの震災以上の規模でおきた東日本大震災の復興は20年以上かかります。その意味では、2年たったにすぎない今は復興のスタートの時期になります。東北でいよいよはじまる復興を、RCFとしても引き続き支えていく考えです。
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