学びの浜、そして多様性が持続する未来へ
新プロジェクトの中でいち早く形になったのが、約300坪のキャンプ場だ。バンクオブアメリカ・メリルリンチなど外部の企業や財団、団体からの支援を受けて今年5月にオープン。自然の中で生きる知恵や防災・減災を学ぶコンテンツ、カヤックやシュノーケリングなどのマリンスポーツ体験メニューなどを整備し、一般開放はしないが子ども向けの自然学校や企業研修の受入拠点として活用していく。
平行して進められているのが、漁家民宿とツリーハウスの建設だ。漁家民泊プロジェクトのリーダーは、亀山さんとは震災後の泥かきボランティアの時期からの付き合いという島田暢さ↓
ん。カフェの裏手の古民家を借り受け、この夏のプレオープンへ向け改修作業に汗を流す日々だ。またツリーハウスは、東北ツリーハウス観光協会とともに推進。国道沿いのバス亭のすぐ裏に特徴的なデザインで立てられており、蛤浜へ下る階段の大きな目印となっている。こうして、亀山さんの思いとビジョンに共鳴した仲間や関係者が一緒に取り組み、新たな価値を生み出し続けている。
数々のプロジェクトを進める亀山さんは、蛤浜を「学びの浜」にしたいと話してくれた。「浜にある地域資源を、みんなでどんどん活用すればいい。近隣の水産高校の生徒はここで外部の企業と連携をして未利用資源の商品化をする。漁家民泊のデザインには建築学生達が実践の場として関わってくれている。もちろん、キャンプ場で自然学校を行うこともできる。浜全体が教室になるのです」。教室という例えは、元々高校教師だった亀山さんらしい発想だ。
この方向性の先に、浜に新たな収益源をつくりたいという思いがある。元々漁業以外に仕事の無い浜だったが、学びの浜となることで人の流れが生まれ、宿泊やコンテンツから新たなビジネスが生まれることも考えられる。
そして、亀山さんは「浜の多様性が持続すること」を目指したいのだと言う。「復興事業を進める中では、複数の浜を統合するという話もありましたが、それよりも、個々の浜が強みや特徴を伸ばして『バーチャルな統合』ができないかと考えています。例えば、蛤浜は学びの浜として外部と交わる拠点となる一方、漁業や加工の設備などは水産業に特化する隣の浜へ移す。また別の浜ではシェアハウスなどをつくり、住む場所として存続させる、といったように。効率だけを求めて復興を進めた結果、もし小さな地域が無くなってしまうとしたら、それは多様性が失われるということになります。果たしてそれは豊かなのだろうかと思うのです」。亀山さんの視野には、蛤浜だけでなく牡鹿半島全体の美しい未来図が入っている。↑
日本を旅して見えた地に根をはる大切さ
ビジョンを具体的に描き、それに惹かれる人たちに実践の機会を提供すること。キレイな戦略や条件を整えるよりも、できるところからまず実践すること。亀山式のリーダーシップを整理するとまずこの2つがあがるだろう。そこにもう1つ加えるとすると「地に根をはる」というものがある。表面的なデザインやノウハウではなく、地域の本当の魅力を見つめ続け、地域に長くとけ込むものは何なのかを、愚直に追い求める姿勢だ。
この考えに至るには、蛤浜再生プロジェクトを始めた時に日本全国の地域おこし事例を見て回った影響が大きいと亀山さんは言う。瀬戸内芸術祭や尾道の空き家再生プロジェクト、島根の岩見銀山の宿、海士町、長崎の小値賀島の民泊、沖縄の自然学校、岩手の森と風の学校など、各地の好事例と聞く地をいくつも訪れた。派手な取り組みやセオリーと言われるものは数多くあるが、本当に地域の人々は喜ぶものは何なのか?生み出された商品やサービスは売れ続けているのか?地域に根ざして本質を見る大切さを学んだと言う。
「僕らは震災復興支援ということで、人や資金が集まり易い環境にありましたが、彼らは誰も知らないところから始めて20年30年続けて来ています。その精神力には本当に脱帽です。地域の暮らしをなんとしても残したいという情熱がものすごい」。
目標とするこうした先人達がいるからこそ、困難に直面しても諦めずに続けることができると亀山さんは話す。
復旧作業も一定の目処がたち、周囲の生活も落ち着き始めている。新たなステージに入ってきたからこそ、今後はスピードを少し緩め、地元民とのコミュニケーションをより丁寧にしながら「地に根をはって」活動をしていきたいと亀山さん。今日も多くの仲間とともに、蛤浜で汗を流していることだろう。
写真=Funny!!平井慶祐
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