被災地の子どもたちへの支援活動を継続的に行っている東日本大震災復興支援財団。給付型奨学金「まなべる基金」を活用して進学した、東北の高校生の声をご紹介します。
渡邊将俊さん
山形県立米沢工業高等学校 2013年度卒業
福島県南相馬市出身
震災のあった3月11日は、私の中学校の卒業式の日でした。私は卒業生として午前中の卒業式を終えたあと、東日本大震災を体験しました。地震・津波に続いて、私の家族を襲ったのは原発の存在に対する不安でした。私の自宅は福島県の南相馬市で、原発から20km圏内だったため避難せざるを得なくなり、震災翌日から家族で親戚の職場など、北に向かって転々と避難しました。その後、山形県米沢市に避難することにしました。幸い、米沢市の避難所でお世話になった方が、米沢工業高校の先生だったため、そのご縁で米沢工業高校に通うことになりました。
私は小学校4年から野球を続けており、高校でも野球に入って続けたいと思っていたのですが、自分には妹と弟がいるため、その分の授業料や交通費などのことを考えると、自分だけ遠征費等にもお金がかかる野球にお金を使ってしまうのは申し訳ないと悩んでいました。そんな時、私を救ってくれたのは両親でした。両親は「野球がしたいならやっていいよ。」と私に言い、そのおかげで気持ちが楽になりました。そんな時、学校の先生から被災地の高校生を支援する奨学金「まなべる基金」の存在を聞き、応募しました。
高校生活の思い出と言えばやはり野球部です。2年生の秋からはキャプテンを務め、チームをまとめる難しさを痛感しました。メンバーと自分の意見が食い違うこともあれば、自分の力不足で情けない思いをすることもありました。そんな中、自分を救ってくれたのはチームメイトのみんなです。難しさはありましたが、自分が「こうしたい」と方向性を示すことで、自分もチームも少しずつ変わることができました。被災者の皆さんを勇気づけたいと、甲子園出場を目標にしてきた県大会は、延長サヨナラ負けで初戦敗退でしたが、まなべる基金のおかげで3年間野球を続けることができ、チームメイトや他高校の同級生から多くのことを学べました。勉強にも集中することができ、春からは、山形の県立大学に進学できることになりました。将来は、原発に代わる新たな発電方法や電力事業に携わっていきたいと考えています。
これまで支援をしてくれた皆さんには本当に感謝しています。ありがとうございました。
記事提供:東日本大震災復興支援財団「みんなでがんばろう日本●」まなべる基金
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