震災以降立ち上がった東北の団体のリーダーの元に、若手経営人材「右腕」を3年間で約200人派遣してきた「右腕派遣プログラム」。「右腕」を受け入れる東北のリーダーのインタビューを紹介します。
-震災当時はどちらに居ましたか?福島第一原子力発電所から100キロメートル以上離れた、福島県河沼郡会津坂下町。この町の位置する会津地方には、原発事故後に多くの方が避難してきました。
この町で育ち、伝統素材「会津木綿」で地域の女性の仕事づくりに取り組んでいるのが、谷津拓郎さんです。震災当時のことからプロジェクトを始めるきっかけ、今後の展望などについてお話を伺いました。
地震が起きたときは、地元・会津坂下町の本屋さんにいました。ちょうど東京の大学院を卒業する年で、3月には実家に戻っていたんです。本屋から家に戻ってすぐ車にガソリンを入れ、弟と一緒に帰宅困難者のための送迎ボランティアをしました。その後、避難所におにぎりを届ける「元気玉プロジェクト」の裏方としてしばらく活動して。
-元気玉プロジェクト?
震災直後は避難所に物資を届けるシステムが出来上がっていなかったので、場所によって支援のムラがあったんです。「じゃあ民間で供給できる炊き出しの仕組みを作ろう」とプロジェクトが始まって、僕も協力して、家からおにぎりをたくさん持って行きました。200個くらい握って持って行っても、「本当は3,000個必要」「埒が明かないね」という状況で、そこから新潟からお米を運べるルートが整えられて。僕は裏方として、届いたお米の精米や物資運搬、供給・・・なんでもやっていましたね。主要メンバーが仕事を持ちながら活動している中で、僕は時間があったんです。
-4月からは地域のNPOで働くことが決まっていたんですよね?
はい。もともと大学院卒業後は、喜多方にあるまちづくりNPOに就職して、コミュニティカフェの運営に一年間携わることが決まっていました。これまでも市民活動やまちづくりを学んできたので、「現場でいろいろとやってみたいな」という想いもあって。実際に4月7日からは、コミュニティカフェの管理人やイベントの運営などをしていました。
震災前から、会津は若者が帰って来られない地域になっていました。帰りたくても、仕事が無くて帰れない。「自分の生まれた土地に帰ってきて働く」という当たり前のことが気持ち良く出来る地域になればと思っていたんです。そういう意味で、もともと仕事づくりには興味があったんですよね。そんな中での、震災だったんです。
-そこから、IIEをはじめた経緯は?
会津には、福島第一原発に程近い大熊町や楢葉町から避難してきて、仮設住宅で暮らしている人たちがたくさんいます。「何かの縁でここに避難してきているんだから、迎え入れて一緒にできることはないかな」「きっかけや期間はどうあれ会津の土地で暮らすことになったのなら、この地域を好きになってもらいたいな」と思ったのがひとつです。
また、会津はライフラインも止まらなかったし、ある意味「日常」に戻るのが比較的早かったんです。だけど、避難してきている人たちは、日常に戻れないまま。そんな人たちがすぐ近くに、背中合わせでたくさん住んでいるのに、見てみぬふりをするのが嫌でした。自分だけ日常を取り戻していくのに、違和感を覚えたんです。
イベントをやったり、仮設住宅へ野菜の移動販売に行ったりと、いろいろ動きながら避難している方たちのニーズを探っていたんですが、その中で「仕事づくり」をやりたいという考えに行き着きました。NPOでの仕事を始めて半年くらいたった2011年末、「もうひとつ自分でプロジェクトをやりたい」と周りに伝えて、現在のIIEにつながるプロジェクトがはじまりました。
避難されている方から「やることが無いのが辛い」という言葉を聴いたこと、当時失業保険が支払われている時期でフルタイムの仕事のニーズがあまりなかったこと、そしてちょうど手仕事・内職系の取り組みが各地で始まっていたことから、ここでもそういった取り組みが出来ないかなと思いました。
一方で、雑貨屋をオープンする予定だった知人が「地元にはかわいいものがない」と言っていたのを聴いたんです。それに、今は支援のような形でも買ってもらえるかもしれないけれど、長期的に考えた場合、もの自体の魅力がしっかりないとダメだと思いました。地元にあった「会津木綿」は加工がしやすいし、地域の伝統工芸品ということで差別化要因にもなるなと思ったんです。「会津木綿でクッションやハンカチを作ってほしい」という声もあって、そこから雑貨づくりが始まりました。
-ものづくりのご経験は?
うーん、自分でデニムをリメイクしたり、ミサンガを編んだりと、昔から好きではあったんですよね。
-株式会社になったのは?
2013年3月11日です。最初は個人事業主の形で、2011年末からはじめました。人づてに作り手さんを集めていって、今は30人くらいになりました。最初は知り合いに頼まれたものを作って販売するのが中心でした。
-IIEという名前は最初から決まっていたんですか?
そうですね。「311のを悲しみを乗り越えて、新しい感動や喜びを創っていく」という意味で、311を逆さにしてIIEとしてはじめから使っています。最初は具体的なプロダクトが無い状態でしたので、名前だけ見て「重い」「気持ち悪い」とか言われてしまうこともありました。
本格的に作り始めたのは2012年末くらいからだと思います。2013年3月には復興デパートメントに取り上げていただきました。今年の1月には通販生活にも取り上げていただいて、その反響はすごく大きかったですね。5月にはビームスとアーバンリサーチとのコラボ企画もやらせて頂きました。現在の販売チャネルは、通販が多いですね。
-活動の中でやりがいを感じるのはどんなときですか?
やっぱり、作り手さんに喜んでもらえたときですかね。「自分で稼いだお金で、孫におもちゃを買ってあげられた」という言葉を聴いたときは嬉しかったです。避難されている方の中には、「自分で稼いだお金で暮らしているわけではない」というところに引け目を感じている方も居ます。「子どもに自分がちゃんと働いている姿を見せることができて、子どもがわがままを言わなくなった」という声も耳にしました。家でお子さんと過ごす時間を持ちながら働けるというのは内職の良いところですし、それが子どもの教育上も良かったと聴いたときは嬉しかったです。
あとは、ストールを巻いている人を見かけるとやっぱり嬉しいですね。かっこいい巻き方をしていたりすると声をかけたくなります。これは、ものづくりに携わる人じゃないと味わえないと思いますよ。
いっぱいありますよ。この活動は「何か人の役に立つことを」という想いでスタートしたものなので、最初からビジネスモデルを作ってはじめたわけではないんです。やはり資金繰りやビジネスモデルを構築していくのは大変でしたね。一時期資金がショートしそうになった時期もありました。でも、どんなに大変でも「続ける」ということは決めていました。
-どこかで転機があったのでしょうか。
当初、OEMをメインに考えていたんですよ。内職の受託をし、生産管理の部分にきちんと責任を持つ。一人で経験も無く始めるにはそれが現実的かなと思っていました。ただ、それだと作り手さんの工賃も低い水準になってしまうし、経営的にも成り立たない。他の手仕事系プロジェクトも同じだと思いますが、経営のことも考えつつ、作り手さんに少しでも高い工賃を支払うには、やはりオリジナル商品を開発していかないとならないんですよね。IIEの場合は、頼まれたものをオーダーメイド的に作って、許可をもらってそれをもとに商品化していく形で商品開発をしていきました。
-今後、このプロジェクトはどんな方向に進んでいくのでしょうか。
今、いろいろ悩んでいるんですよね。会津木綿は材料としての安定性がそこまで無いので、これ以上今のやり方で規模を大きくしていくのは難しい。いろいろ考えてはいるのですが、たとえば会津木綿に限らず、地域の良い物、日本の良い物を発信していければいいのかなとも思っています。まだはっきりとは決まっていないのが正直なところですね。
-では、地域の中でIIEはどんな存在になっていたいですか?
「いちばん最後まで続くつながりでありたい」と思っています。僕は地元の人間なので、出来るだけ長く続けたいです。それは、僕の想いと、行動と、地域での関係性があってできることなので。今は避難されている方を対象にしていますが、ゆくゆくは地域の若者の仕事にも繋がればと思います。
僕、「夢」とか考えるのが実はすごく苦手なのですが、一個だけあるんです。「友人やお世話になっている人たちと、じいちゃんばあちゃんになってもおいしくお茶が飲めたらいいな」と昔から思っています。周りの人たちとの良好な関係を何十年も続けるって、幸せなことだなと。自分の祖父母がよく近所の人たちと楽しくお茶飲みをしているのを見て育ったので、そんなイメージを持っています。高い目標があるというわけでは無くて、気持ちよくお茶飲みができなくなると嫌じゃないですか。戦争が起きたら気持ちよくお茶飲みしていられないし、震災が起きて何も動かなければ後悔すると思うんです。
-最後に、求める右腕のイメージと、エントリーを検討している方にメッセージをお願いします。
何かひとつクリエイティブな専門性を持った上で、会津という地域で楽しみながら一緒に面白いことに取り組める方。文章やグラフィックなど、IIEの出すアウトプットのクオリティ向上に寄与していただける方に来てほしいですね。必ずしもデザイナーである必要はなくて、会社の中のクリエイティブ担当として、ディレクションができる方、一言で言うとセンスの良い方に来ていただけたら嬉しいです。
会津は歴史が深く地域資源に恵まれている一方、良くも悪くも様々な社会課題もある土地です。会津の文化や伝統を、自分のクリエイティビティをもって少しだけデザインして新しいものづくりをしていくという面白さがあると思います。
-地域で働く面白さを感じられるクリエイターの方に、ぜひ参画してほしいですね。本日はありがとうございました!
取材日:2014年6月30日(月)
聞き手・書き手:宮本裕子
記事提供:みちのく仕事(NPO法人ETIC.)