網元 祐神丸
宮城県の東松島市で親子で定置網漁を営む大友康広さん。三代続く漁師の家系で、定置網漁にこだわってきました。震災前のこの界隈でのいわし漁は大友さん親子が所有する祐神丸(ゆうじんまる)だけがおこなっていたそうです。生産者にクローズアップし特集記事とともに彼らが収穫した食べものをセットで届ける「東松島食べる通信」の創刊号では、大友さんの獲るいわしが特集されました。
雨の定置網漁取材
定置網漁の取材日はあいにくの雨。
朝の4:30には漁に出るというので、まだ朝の明けきらない待ち合わせの浜で定置網漁師の大友康広さんを待つ。10分ほどして同行してくださる「東松島食べる通信」の編集長の太田さんがあらわれ、そのあとすぐに大友さんと、祐神丸に乗船される漁師の方々が到着する。「天気が悪いので今日は来ないかと思ってましたよ」日に焼けた笑顔で大友さんは笑いかけてくれました。出港の準備はすぐに整えられ、「さあ、行きましょう!」という元気な声に後押しされて、早朝の雨の海へと船は走り出しました。
漁場に到着するとすぐ作業にとりかかります。早朝の雨のなか、網がだんだんと引き上げられていきます。最初に数匹のカニが海上にぷっかり。それをタモと呼ばれる網ですくっていきます。海の表面にはうっすらと油のようなものが浮いていて、「これ、いわしの脂なんですよ」と「東松島食べる通信」の編集長、太田さんが教えてくれました。
さらに、網を引き上げると、いわしの群れと大きな鯛が数匹かかっていて元気よく動き回っています。この鯛などの大きめの魚もタモで船にあげたあと、大きな網でいわしをすくいあげます。
引き上げが終わり、仕掛けの網をもとに戻すと、今度は海上での仕分け作業。当日出荷を依頼されていた分の基準サイズ以上のいわしのみを選り分けます。小さいいわしや、サバは海に戻されます。鯛は、すぐさま船上でエラなどが取り除かれていました。これは関東に出荷されるそうで、船上で処理することにより臭みの無い最高の状態で届けられるそうです。この日は天候も悪く、もう一つの沖側の漁場にはいかずここで終了ということになりましたが、漁師のすごさを実感した取材となりました。
宮城県内で一番早い水揚げがみんなを元気づけた
雨の漁からもどった大友さんに、震災時の様子をうかがいました。「震災で、自宅は流されて、四艘あった船もすべて流されたんです。でも、見つかった二艘は壊れてはいましたがなんとかなりそうな状態だったので修理したんです。それが、今日乗ってもらった船なんですよ。仕掛けた網も流されたんですが、いくつかは回収できて、その年の7月には漁を再開したんです。」
このときのことを父、久義さんにもお聞きしました。「津波から避難した橋の上で、漁師もう一回やろうと決めていたよ。で、6月には網を仕掛けるところまでいった。7月には魚獲るから、再開準備しとけよって、いろんなとこに話してまわったんだよ。そしたら、もう廃業しようかと思ってた漁業関係の人たちが、大友さんが漁開始するんなら、またやろうかなって言いだしたんだよ。」実は宮城県内の水揚げ第一号が大友康広さんの父、久義さんだったのです。この早い再開が、さまざまな人の心に火をつけることになったのです。
東松島の海の恵みと東松島食べる通信
現在、東松島の定置網漁では、春は3月くらいからカレイ、6月から11月はいわし、11月、12月は鮭といったものが主に水揚げされます。なかでも、いわしは多いときには5tから8tくらい一回でとれ、地元では“いわしを獲る”ではなく、“いわしを汲む”というそうです。バケツで水を汲むような感覚で、「いわし汲みにいってくる」というのが普通なんだそうです。そんな東松島の海の恵みのいわしが、2014年の8月に生産者の特集記事の冊子とともに生産者のつくった食べものをセットで届ける「東松島食べる通信」の創刊号で特集されることに決まりました。これは冊子と食べものが届くだけでは無く、Facebookの購読者専用ページで、生産者と消費者、消費者同士、編集部と消費者など、さまざまな情報交換がおこなえるようになっています。
この取組みに参加された経緯を、大友さんは話してくれました。
「最初、2月か3月に編集長の太田さんが、“いわしやりたいんだよね”って来たとき、ちょっと説教したんですよ(笑)。いわし漁ってそんな甘くないですよって。獲れるときもあるけど、獲れない日もあって、今年はどうなんだか全くわからないんだからねって。」「そうしたら、太田さんが“だからいいんだよ。旬ってそういうこと。獲れる時期に獲れたものを味わってもらってもらうんだから”って、いってくれたんですよ。それに感動してね。自然のこととか、漁師のこととか、それで少し理解してもらえるかなって思って、どれくらい獲れるかわからないけどやりましょうってことになったんです。」
「Facebookの書き込みもおもしろいですよ。こんな食べ方もあったんだ、やってみるかな?とか考えますよ。」「それから何より今日の注文がすでにあって、漁に出たらその分は確保しなくちゃってなると、自然相手だとわかっていても、何とかしたいと思うし、すごくやりがいを感じるんですよ。それが楽しい!」
「東松島食べる通信」で届くいわしは”鮮度が違う”からと大友さんはいいます。
「通常、流通の問題もあって消費者にいわしが届くのには2,3日かかる。でも、東松島食べる通信では、ほぼ翌日に着く。ほかの魚は獲れた後少し熟成させた方がおいしいものが多いけど、いわしだけは鮮度が命。この新鮮ないわしを、みんなに楽しんでほしい。」夏のいわしは、あまり大きくはないが脂がのっていて、とてもおいしいのだそうです。
若手育成と漁師の醍醐味
東松島はほかの地域と比べても若い漁業関係の人が多く、さまざまな情報発信や取組みが行われています。この状況を大友さんに聞いてみました。「そうですね。やっぱりオヤジたちの世代の頑張りがおおきいんじゃないですかね。」「漁師でもちゃんとやっていけるって背中をみてるから、そういう環境があるから次の世代もあんしんして後を継げるっていうことじゃないかと思うんです。これからは自分たちもいい環境をつくって、若手をもっと増やさなくてはと思っています。」
若手の獲得ということでは、東京で行われた新規漁業者就業フェアというマッチングフェアにも参加しました。現在、ふたりの20代の若者が大友さんのところで働いていますが、そのうちのひとりは海のない長野県出身で、漁師にあこがれてフェアに参加したそうです。東松島の漁業は確実にいま若返りを目指しています。
いろいろと話を聞いてるうちに、大友さんの漁師になろうと思ったきっかけも知りたくて聞いてみました。
「いや、小さい頃から海が好きで、趣味は釣りとサーフィンなんです。それこそ、子供の頃から海ばっかり行ってました。」「オヤジの漁師としての英才教育もあったと思うんですけど、自然とこの世界にはいりましたね。」「25歳過ぎた頃からは、天職だって思うようになりましたし、いまは全く辞めるつもりはないし、これで大成功しそうな気がしてるんですよ。」
そんな大友さんを惹きつける漁師の醍醐味ってなんなのでしょう?「そりゃ毎日大漁だとうれしいけど、実際は自然相手なので獲れる日もあれば、獲れない日もある。それが楽しいんですよ。獲れないときはどうしたらいいか悩み、獲れたときはそれを喜ぶ、それこそが漁師の醍醐味です。」
今、大友さんが考えているのはカジキ釣り。とても獲るのがむずかしい魚ですが、漁師としてカジキ釣りに挑戦するべく練習中なんだそうです。いわしからカジキまで、大友さんの漁師としての夢はまだまだ大きく広がっています。
記事提供:NTTdocomo「笑顔の架け橋Rainbowプロジェクト」
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