震災以降立ち上がった東北の団体のリーダーの元に、若手経営人材「右腕」を3年間で約200人派遣してきた「右腕派遣プログラム」。「右腕」を受け入れる東北のリーダーのインタビューを紹介します。
地域の公民館の館長を務めるかたわら、廃校をリノベーションした「入谷YES工房」を運営し、ゆるキャラ「オクトパス君」のキャラクター商品をはじめ、数々のノベルティグッズを企画・制作・発信している阿部忠義さん。「南三陸発のコミュニケーションツールで社会を元気にしたい!」をテーマに掲げる阿部さんがいま目指していることや入谷YES工房の今後の展開など、前編に続いて、お話を伺いました。【南三陸復興ダコの会・リーダー・阿部忠義さん】
—今回、右腕としてこちらに来てほしい方というのは、どんな方でしょうね。本音で全部、自分の考えを共有できる相手が必要ですよね。全部を話して、時には反論してもらったり、背中を押してもらったりというような。
あるいはブレーキをかけてもらったりね。こことは別に工場を作っているんで、事務仕事とか、采配とか、そういうのもやってもらえればと思っています。そうすると、どんどん大きくしていけますから。大事なのは、オンリーワンのみならずナンバーワンを目指すということかなと思います。震災直後に立てた初期の目標というのはもう達成しているんですが、でもそれだけでは生き残れないという現実の厳しさも見えてきたんですね。私たちがやっていることは、ある意味、前人未到の挑戦なのかなって思ったりもするんだけれど、どうやったら生き残れるかの到達点は、日本一あるいは世界一を目指すことなんじゃないか、と私は思っています
—売り上げで一番を目指す、ということですか。
売り上げであったり、商品の技術であったり、何でもいいんですよ。ここを立ち上げて、このまま続けたほうがいいのか、2年でやめたほうがいいのか、当初は着地点を探っていたんですよね。着地点は分からないけれど目標を達成したときにたぶん見えるだろうと思ってどんどん突っ走ったんです。それである程度の成果がでてきたときに、やっぱり見えたんですよ。日本一を目指す、ということが。世界にたった一つのオンリーワンだけでは生き残れないんだなというのが分かってきたんですね。
—何かしら、一番になるものを持つと。
ええ。それに気がついて以来、いい感じなんですよ。ただ、私とスタッフの間ではまだ温度差があるので、それは徐々に理解してもらうしかないんだけれど。だから、右腕で来てくださる方には、プロデュース的な仕事を期待したい。もっと注目を集めて全国展開したいし、売上を伸ばしたい。工房のスタッフと一緒になって成果を残してほしいんです。オンリーワンのみならず、ナンバーワンを目指していきたい。
—阿部さんのお話を伺っていると、何かこう「見えている」感じがすごくしますね、未来を見通しているというか。そこへみんなを連れて行くには抽象的なものでは伝わらないから、たとえば1億円という具体的なものにかえて伝えながら、みんなを連れて行く。未来を見通すというか描くのがもともと得意なんでしょうね。
いや、それはぜんぜん意識してないです、自分は。でも、右腕だった村井さんにはずっと言われたんですよね。なんかこう見えてるんだねぇ、って。見えている分、みんなからは急ぎすぎているように見えるみたいで、みんなが私のスピードについて来られないところがあるらしいんですよね。私は抑えながらやっているつもりなんだけど、これではダメだと思うことも多くて。この事業体そのものが、こんなスピードでは日本一になれない。そういうのがけっこう多いんですよ。
—たとえば、どんなことでしょうか。
たとえば、デザインでも商品でも新しく出たら、すぐその日のうちに売るところを、そこから準備に1カ月もかかる、みたいな。在庫を寝かせるということはお金を寝かせるということですから。私からすれば、それはちょっと考えられない。
—阿部さんとしては、とにかくスピードが一番であると。
私も震災前は、自分の中で整理して「これなら行ける」と踏んだときに言葉として発していたんですよ。ところが震災後、運よく生き残った。明日どうなるか分からないっていうときに、じっくり考えてよかれと思ってやったって遅いときがあるんです。中途半端でもどんどん出すことによって勢いが増すから、出し惜しみをしちゃいけない。そういうのが震災後のごたごたのときに学んだんですよね。売れそうなもの、アイデア、これで勝負しようと思うモノって、ふつう企業は秘密にする。だけど、それをオープンにすることで、不思議と自分たちに足りない部分を補ってくれるパートナーと出会えたりして、思った以上に事業が早く好転する場合があるんですよ。
—ビジネスアイデアをオープンにする場合、マネされるリスクを恐れますよね、一般的には。でも、オープンに言ってしまったほうがプラスマイナスで言うと、総じてプラスであるという実感があるわけですか。
ええ。マネとか漏洩でやられたとしても、それを乗り越える力があると思っているんですよ。そんなの平気だと。だから、すぐに出せと私は言うわけです。今出すものが完成形ではないわけだから。
—確かにそうですね。たとえば一カ月のあいだに一回の案だけで終わるとチャンスは一回でしょうけれど、3つのデザインが作れたら3回チャンスがあるわけで。しかも、YES工房さんは川上から川下まで全ての工程を自分たちで作っているから、仮に失敗しても原価だけで済むという考え方ができる。だから、より新しいことにどんどん挑戦できるのでしょうね。
そうですね。今はタコせんべいを作ろうとしているんですよ。工場もまもなくできます。これまでは食べられないタコを売ってきましたけれども、これってよほどファンにならないと買わないですよね、一回買ったら。それで、食べ物に憧れていたんです。何かおいしいものを作れないかなと。チョコレートとか、まんじゅうとか、いろいろ考えた結果、なるべく日持ちするものがいい。それでその頃、せんべいがいいんじゃない?って思いつきをいろんなところでしゃべっていたら、ちょうど山形の酒田から福興市の支援に来ている人たちの耳にとまって。その人は団子やおせんべいを作っている方で、実は今せんべいを焼く機械で使っていないものがあると言うんですよ。
—それはいい機会ですね。
よかったら支援にもなるし使いませんかということで話が盛り上がって。一年かけて予算を確保して工場を建てて、今、試作しているんですけれど、まもなくデビューします。
—すごいですね。
私たちのコンセプトとしては、食べ物であるけれども、コミュニケーションツールだと言っているんですよ。ノベルティーであると。オクトパス君グッズの一つ。だから、名前も「オクトパス君せんべい」という名前にして、LLPも新しく立ち上げたんですよ。
—面白いですね。せんべいをやりたいってオープンに話したのがきっかけなんですね。コミュニケーションがコミュニケーションを呼んだと。このおせんべい自体も、また何かのきっかけになっていくでしょうね。
そうですね。ハズす可能性もあるんだけれども、まずはやってみる。おいしいおせんべいで、地元の人にも愛されて、地元の人がどこかに出かけるときに手土産で持っていけるレベルにしたい。そうすればここの土産品として定着するだろうと。それが目標です。
—確かに、地元の人たちが使う贈り物の一つになるといいですね。ほかにも今後こうしていきたいというものはありますか。
けっこうあるんですよ。 有言実行じゃないけれど、私の場合、言ってしまうとそのようになってきていて、おせんべいもそうなんだけど、ほかにも企業さんと連携して農園コミュニティーを作ったり、首都圏の大学さんと一緒に「いりやど」という宿泊研修施設を建てたり。右腕で来てくれる人とも相談したいんだけれど、私の構想のなかではYES工房の効率化を図りながらさらなる飛躍というのを考えた場合、今いる施設ではちょっと手狭なんですよ。
—確かにそうかもしれませんね。
第二工場が建ったら、すべてを完全に自分たちでやりたい。それに、ここの建物の古さがいいねって都会の人たちが言ってくれるので、たとえば学生さんたちの実技というか起業ができるようなスペースにできたらいいなと思ってます。特にIT関係がいいかなと。設備は整っているし、改装なんかも自分たちでやってもらっていい。そうなったら、学生さんには面白がってもらえるんじゃないかなと思ってます。
—いきなり起業というのはハードルが高いでしょうけれども、ここで試してごらんって言われたらすごくいいでしょうね。今日はありがとうございました。またお話を伺いに来ます。
■インタビュー前編:南三陸発ゆるキャラ、事業化までの歩みをたずねて(1)
聞き手:中村健太(みちのく仕事編集長)/文:鈴木賢彦(ボランティアライター)
記事提供:みちのく仕事(NPO法人ETIC.)
Tweet