震災復興に加え、旧来の人口減少問題や高齢社会対応、地域産業振興など、抱える課題が複雑化する東北各地の自治体では、「新たな社会づくり」を支える人材が不足している。こうした中、他地域から外部人材を登用し復興に活かす事例が生まれ始めている。そのひとつである岩手県山田町の「やまだ復興応援隊」の活動を追った。
自治体の外部人材活用を促す復興支援員制度
被災自治体が自治体内外の人材を最長5年間国費で確保できる制度が、総務省が推進する「復興支援員制度」だ。2011年より各県で導入され、2014年1月時点で、岩手県で45名、宮城県で67名、福島県で25名と、県事業として三県合計137名の復興支援員が活動している。県だけでなく市町村が単独で支援員制度をとりいれるケースもある。岩手県釜石市の「釜援隊」もその一例であり、現在12名が活動中だ。そして釜石よりもさらに北にある小さな漁師町・岩手県山田町にも復興支援員として奮闘する4人の外部人材=ヨソモノたちがいた。
コンサル・証券・出版などのキャリアをまちづくりに活かす4人
若田謙一さんが岩手県の復興支援制度を介して山田町にやってきたのは2013年6月のことだった。当時、仮設店舗はあったがそれ以外の商店の復興はほぼ手つかずの状態。津波で流された陸中山田駅周辺に商業地を作る計画があったが、商工会や商業者と町とのコミュニケーションのハブとなる人材が必要だった。若田さんはまず町内で商業継続・再開を希望している200事業者の元を訪ねて歩くことから始めた。再建意志があるかどうかヒアリングし情報の集約を行うとともに、仮設店舗新興のための仕組みづくりや商店街を盛り上げるイベント企画にも奔走した。さらに、外部から人を呼び込むためには、観光や水産加工等の物産の復興にも並行して進める必要があった。そこで山田町水産商工課が中心となり、町単体で復興支援員制度を利用し、若田さんと同じような活動をする外部人材を拡張することを決定。2014年6月より江刺祐一さん、服部真理さん、笹山真琴さんの3人が「やまだ復興応援隊」として着任することとなった。
着任前はそれぞれ首都圏の民間企業で働いていた。江刺さんは証券会社を経て経営コンサルタントとなり海外勤務経験もあった。服部さんは出版社に勤め、笹山さんは地域新聞の編集に携わっていた。
組織、業務、意識面でのマネジメント
では、このようなヨソモノ組織が成果をあげるためにはどのような工夫が必要なのだろうか。まず組織体としては、町役場の中に常駐しつつも、役場職員ではなく、副町長が代表となる「山田町復興コーディネーター協議会」という別組織に属する形とした。予算も業務も別枠で設計することで、単なる役場の人材不足解消策ではなく新しい価値を生み出す人材であることを明確化した。
業務マネジメントについては、「上下が無くフラットな関係。外にはチームとして見える形で」と若田さんは言う。現在、若田さんと江刺さんが商店街振興担当として、商業者のリサーチや計画の具現化へ向けた業務を、服部さんと笹山さんは観光・物産振興担当として水産物における町のブランド開発やエコツーリズムツアー企画等の業務を行っている。しかし担当はありつつも、それぞれの得意分野で助け合う。そして4人で1つのチームとして動くことで、町の方々に知ってもらいやすいという考えだ。
また町の人と接する際に重要な点として、江刺さんは「プロフェッショナル(専門家)ではなくコーディネーターに徹する」ことを強調した。自分たちが個別のタスクの遂行者となるのではなく、それぞれに長け遂行者になれる町のキーマン同士をつなぐ役目こそが、コーディネーターの役割だと言うのだ。
復興支援員制度に限らず今後もますます外部人材活用は増えていくだろう。官と民の間に立ち、客観的な視点で課題を見つめ、内外をコーディネートすること。これができるのがヨソモノの価値である。今山田町で形成されつつある基盤が今後の拡大の礎となり、その長所を最大限に引き出す仕組みやマネジメント手法がこれから試行錯誤の上改良されていくのだろう。
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