震災以降立ち上がった東北の団体のリーダーの元に、若手経営人材「右腕」を3年間で約200人派遣してきた「右腕派遣プログラム」。東北で活躍する「右腕」とリーダーのインタビューを紹介します。
大学を卒業後、上京したものの、いつかは地元に戻って働きたい、と考えていた黒沢惟人さん。2011年3月の震災をきっかけに、右腕として地元の岩手に戻り、復興支援の活動を始めました。「自分のように、地元にUターンする若い人が増えれば…」と話す黒沢さん。前編に続き、仮設住宅団地で地域支援員として働く西舘泰雄さん、佐々木照暁さんとともにお話を伺いました。【仮設住宅支援事業(大船渡市・大槌町)プロジェクト・右腕・黒沢惟人(2)】
―支援員として様々な仕事をされる中で、やったからこそこういうことが分かったとか、誰かに共有してみたいこと、抽象的な話でもかまいません、何か共有したいことがあればぜひ教えていただきたいです。
佐々木:そうですね。私の場合は今まで人と関わることが少なかったんですけれども、今回、被災して、避難所に集まったいろんな人たちと関わってみて、やっぱり人間ておもしろいなあと。いろいろと話も聞けるし、外からもいろんな人が集まるじゃないですか。こうやって取材を受けることもそうですけれども、その場その場でいろんな話が聞けて、好奇心をくすぐられるというか、自分にとってはもう、そこはいい経験だと思ってるんですよ。世界も広がったというのが正直なところですね。この土地から離れたことがあまりないので。
―今までだったら会わないであろう人たちが外から訪ねてきたり、また地域の中でも新しいつながりが生まれているんでしょうね。
黒沢:僕は大船渡を今年の1月から、大槌町を今年の2月から見させていただいているのですが、先日、外部から講師の方を呼んでメンタルヘルスの研修を行ったんですね。その際、大船渡の支援員さんがおっしゃっていたことがすごい印象的で。支援員さんは住民の方と毎日接しますし、時には住民トラブルというか、住民の間で板挟みになったりするんですね。
―住民の方同士の。
黒沢:トラブルに挟まれて、「それであなたはどっちの味方をするの?」と言われたりとか、一方に加担するようなことをちょっとでも言うと逆の方から叩かれてしまうとか。「もっとこうしろ、何でこういうことができないんだよ」っていうようなことを言われたりもするんですね。時には住民さんからツライことを言われることもあります。でも、その研修で、ある支援員さんが「そういうつらい経験もいっぱいするけれど、私たちは人の役に立つことに恵まれている」とおっしゃっていて、僕自身ちょっとうるっと来たなあと。研修中に涙する支援員さんもいました。
―人の役に立つことに恵まれている。
黒沢:つらいときもあるけど、人の役に立てているということが、たぶん、ご自身のなかですごく良い、いいことなんだろうなあと思いました。僕は、支援員さんとは関わるんですけど、実際の住民の方とはあまり接点がないので、実際に地元で雇用された支援員さんのためになるように、スキルアップであったり、仕組み作りのところで役に立ちたいと考えているし、それを実際のエンドユーザーである住民の皆さんにうまく落ちるように意識していたいですね。
―最後の質問になりますが、この記事を読む人のなかには、自分も右腕として関わりたい、と思っている人たちも多いと思うんです。でも半年とか一年、会社を辞めることはちょっとどうなんだろうとか、大学生なら休学していこうかなとか、そういうふうなことを考えている方もいると思います。そこで、黒沢さんにお聞きしたいのは、右腕をやってみて感じたことを教えていただけますか。やっぱり大変だよねということも、本当にやってよかったなということも。
黒沢:そうですね。大変なことで言うと、責任はすごく大きいかなと思います。以前はSEの仕事をしていましたが、仕事で関わる人数というと、その部署の何人かと、エンドユーザーでいえば数百人といった規模でしたけれども、今ここで僕が関わっている仕事は、仮設住民の方だけで大船渡では4200人、大槌町では4700人になる。それだけじゃなくて、実際、その中で雇用されている方々もステークホルダーの1つですし、それに、行政、関係機関や支援してくださる方たちもステークホルダーですし、というふうに考えると、たぶん、数万人という方を相手にして仕事をしていることになると思うんですね。
―数万人。
黒沢:はい、その責任の大きさというのは感じますね。すごくありがたいことに、皆さんが頼りにしてくださるので、挑戦しながらやらせていただいています。なので、僕自身の成長にもつながっているんだろうなと思っています。
―数万人というのはやっぱりすごいですね。元々やっていらしたSEの仕事で例えると、巨大プロジェクトですよね。
黒沢:そうです。今、右腕としてこの事業に関わらせていただいて思うのは、すごくよかったというか、ひと言で言えば、楽しいです。それはなぜかというと、もともとSEの仕事をしていたときは、設計やプログラミングという、わりと内向きな仕事をしていたんですね。でも今は、ITという分野を活かしながらも、研修の講師をやったり、サポートみたいなこともやっていますし、それから、事業全体の業務アドバイザーのような仕事もしています。外部の人たちとの調整役を行うこともあります。いろいろな企業さんと、この仕事をきっかけに関わらせていただいています。中には前職で関わっていたであろう企業さんたちと今関わっていることがすごい不思議で、それがまた楽しいんですね。
―なるほど、そうですよね。
黒沢:そういった点で、自分の仕事の幅や選択肢がすごく広がったなあと思っています。たぶん、そのまま前職にいたら、ある程度、年齢があがっても、SEをやっていたでしょうけど、いまはいろいろな可能性が見えてきています。それはすごく楽しいことだし、いいことだなと思います。
―可能性が広がったわけですね。
黒沢:今がなければNPOに参加することもなかったでしょうし、たくさんの人とのご縁のなかで、自分の経験した点がうまく線になっているところが今すごくいいなというか、すごくありがたいなと思っているところですね。
―なるほど。ここでこれから希望を作っていく仕事であると同時に、自分の人生の可能性を見いだす機会にもなっているわけですね。またお話を伺いに来ます。本日はありがとうございました。
関連インタビュー: ただの故郷ではなく、帰れる故郷にしたい。
聞き手:中村健太(みちのく仕事編集長)/文:鈴木賢彦(ボランティアライター)
記事提供:みちのく仕事(NPO法人ETIC.)