南三陸ブルーツーリズム 金比羅丸
高橋直哉さんは、20歳から父親と南三陸町歌津地区泊浜でホタテやカキ、ワカメの養殖を営んできました。筆者が高橋さんと初めて会ったのは今年7月に開催された東京でのイベントです。そのときの高橋さんの印象は、三陸漁師の荒々しいイメージと違って「イケメンな好青年」という感じでしたが、コトバの端々に何か強い芯を感じました。その強い芯が何だったのかを確かめるため高橋さんを取材させて頂きました。
震災当時の様子
「当日は、子供の検診で病院に行っており、志津川のお店「志のや」で昼食を食べるため妻と待ち合わせをしていました。ところが「志のや」で妻と合流する前に地震が発生しました。すぐに津波が来ると思い、家族を実家に預け、自分は歌津にある家に戻りました。」
漁業の傍ら地元の消防団にも入っている高橋さんは、歌津の家に戻って消防服を手に取って作業場へ向かいましたが、作業場で着替えている最中に津波がやってきてすぐに高台に避難し難を免れました。その時の様子を「作業場はすべて水没しました。水没というより、波に浮いて散ってしまった。」と当時を振り返ります。
実家も津波に流されてしまいましたが、奥さんから連絡があり、家族が無事だということはかろうじて分かったそうです。翌日、子供の服やおむつを実家に届けようと思いましたが、車も流されて道も分断されてしまったので、荷物を風呂敷に包み歩いて志津川の実家まで向かったそうです。祖母が入院していたため病院にも立ち寄りましたが、屋上まで浸水し建物には入れない状態で祖母は今でも行方が分からないそうです。
津波がひいた後に作業場に行ってみると、養殖施設のほぼ全てが流されて瓦礫の山となり、残っているものも使えない状態でしたが、奇跡的に1隻だけ船が残っていました。それが金比羅丸です。穴は開いていたものの沈没するような大きさではなく、ふさげば何とか使える状況でした。しかし、船は残ったものの瓦礫を見ていると「もう漁業を続けるのは無理だろうな」と考えたそうです。
震災直後は何もできる状態ではなく、1ヶ月後に海とは関係ない警備員の仕事を始めました。最初は流された車を集める仕事をしましたが、働く場所は仙台や気仙沼など遠いところが多く、地元である南三陸にいない状態が続いていました。そんな時、南三陸の瓦礫を撤去するアルバイトの募集があり、地元で働くことにしました。「地元にいるほうが地元の情報がわかってよかった」と高橋さんは振り返ります。
ワカメ漁の再開とボランティアの笑顔
高橋さんがいない間、ガレキとなった作業場の片づけをしてくれていたのは、全国、海外から駆けつけてくださったボランティアの人たちでした。2011年11月にはようやく瓦礫も片付いたため、ボランティアに支えられながら、家族とともにワカメやホタテの養殖を再開しました。このときはまだ漁業だけで生活していける自信がなかったため、翌年春の収穫の時期を終えるとまたアルバイトに戻るつもりでした。
3月のワカメの収穫時期に漁業支援にきてくれたボランティアの人たちとの出逢いが、高橋さんのハートに火をつけました。一緒に作業してくれたボランティアの人たちに何か恩返ししたいと、採れたてのワカメなどの魚介類をBBQで振る舞いました。するとボランティアの人たちが「美味しい、こんな美味しいワカメを食べたことない!」と、とびきりの笑顔で喜んでくれたそうです。
「震災前は、自分たちが採った海産物を食べる人の顔がみえなかった。こんなに笑顔で、“美味しい、美味しい”と言ってもらえたことが、すごく嬉しくて新鮮でした。」
高橋さんは漁業だけで生活していく決心をしました。
歌津泊浜
歌津泊浜で採れる海産物は「ワカメ」「カキ」「ホヤ」「ホタテ」で、ワカメ漁をしている家は約100軒近くあります。
三陸のワカメはおいしいと有名ですが、特に歌津のワカメは非常においしいと言われています。湾内で育てる「抜き(芯を抜いたワカメ)」と外洋で育てる「外抜き」とあるようですが、高橋さんは外抜きでワカメを育てています。「抜き」と「外抜き」では1.5倍くらいの価格差があるそうです。
外洋のためロープが切れる等リスクも高く、養殖場に行くまで20分くらいもかかるうえ、波も荒く危険が伴います。湾の外は常に荒波で水温が低く、葉肉の厚い、美しいワカメが育つ場所です。そこで育った外洋ワカメは市場でも最高の等級が付きます。震災の翌年はワカメの出荷も少なかったので高く売れたそうですが、今は値段が落ち着いているそうです。放射性物質の検査は漁港が行っていますが、より安心なものを提供するために自分でも再度検査を行うほど念をいれています。
「カキ」は今までむき身で出荷していましたが、工場がまだ再建できていないため出荷ができません。今は、殻つきのまま北海道に送付し、北海道で海にまいて育て、北海道産として販売されています。震災前は、カキのむき身共同作業場を20軒くらいの漁師で維持してきたのですが、震災後に漁業を廃業する人等がでてきたため、共同作業場を設立しても利用するのが4~5軒しか残らないということがわかりました。そこで、高橋さんは自ら育てたカキを「南三陸産のカキ」として出荷するために、個人でむき身作業場を造ることを決断しました。今年中には作業場が建設するとのことです。
震災から3年6か月経ちましたが、ワカメの出荷量はほぼ震災前まで戻りつつあります。しかしホタテは1/4、カキも1/2も戻っていない状況でかなり厳しく、仕事が減って漁師仲間も海から遠ざかっているそうです。
しかし、現状を嘆いているだけでは何も始まらない。高橋さんが考えたこのまちの新しい漁業のカタチが「ブルーツーリズム」でした。そのきっかけとなったのが、先述のボランティアの人たちの笑顔だったのです。 あのときお世話になったボランティアの人たちが、再びこのまちを訪れて楽しんでもらって、南三陸のファンになってもらいたい。そして、海から遠ざかっていった漁師仲間を呼び戻し、「海のまち」南三陸の盛況を取り戻したい、高橋さんは強くそう願っています。
ブルーツーリズムへの挑戦
高橋さんがブルーツーリズムに挑戦を始めたのは、2013年5月からです。海辺の資源を活用したマリンレジャーや漁業体験、トレッキングなど様々な体験メニューを来訪者自らが選択することができます。 3~4月はワカメ収穫体験、5~10月はホタテの収穫体験ができます。いずれも収穫の体験だけでなく試食もできます。収穫時期でないときも、漁場見学できるメニューもあります。この他に、5月中旬~11月初旬までは釣り体験「手ぶらでフィッシング」のメニューもあります。子供から大人まで楽しんでもらうために、必要な道具はすべて(エサ込み)無料で貸し出し、高橋さんが餌の付け方から釣り方まで優しく教えてくれます。自分で釣った魚を近隣の宿泊施設で調理して提供したり、BBQで食べるメニューもあるそうです。
ブルーツーリズムに参加した人には、必ず採った魚介類を食べてもらうそうです。「一緒に船に乗って漁場をみて収穫等を体験することで、魚介類が食卓にならぶまでに漁師がどれだけ苦労しているというのを知ってもらえる。その上で、収穫した魚介類を食べてもらうと、“ありがたい”という反応がありとても嬉しかった。」 この経験を通じて、参加者は漁師のことを、漁師は食べる人のことを意識するようになります。漁師は、お客様のためにどのように鮮度を保つか、どのように届けたらいいのかを考えるようになりました。
「今後は、この浜の漁師全員で『ブルーツーリズム』を観光の目玉にしていきたい。そして、参加者の意見に耳を傾け新たな商品を開発するなどして収益性を高め、漁師が誇りを持って漁業を続けられるような地域にしたい」と熱く語りました。
先月8月27日に、三陸海岸地域を中心に活動する若手漁師や水産業の担い手が中心となり、「フィッシャーマン・ジャパン」が設立されましたが、高橋さんも設立メンバーの一人です。フィッシャーマン・ジャパンの目標は、広い世界に出て自らも学び、後輩に背中を見せ「かっこよくて稼げる後継者」をどんどん増やすことです。
高橋さんの視線は、次世代へと続く未来の水産業へと向かっています。
南三陸ブルーツーリズム 金比羅丸
宮城県本吉郡南三陸町歌津字田の頭16-3
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記事提供:NTTdocomo「笑顔の架け橋Rainbowプロジェクト」
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