あの日、僕らは本当に沢山のものを失いました。
大好きな家族。毎日一緒に学校に通っていた友達。漫画を読んでいた自分の部屋。小学校の時通っていた近所の駄菓子屋。引き出しの奥にしまっておいたあの手紙。何にも気にしなくても明日がやって来ていたあの街。
失くしたものをあげたらきりがありません。
でも
ある高校生は寂しくなってしまった自分の街にまた人を呼び戻したくて、仲間と魅力あふれる地元をまわって想いを届けるバスツアーをつくりました。
ある高校生は東北の若者のためのあるサミットに参加し、絶対に会えないはずだった素敵な大人と出会って自分の「夢」を見つけました。
ある高校生はアナウンサーになりたくて。そんな自分が地元のため出来ることをしたいと思って、街の情報を発信するインターネット番組をはじめました。
ある高校生は誰もいなくなってしまった自分の故郷を見て「0の街になったから、これからもっと好きな街を自分の手で作れる。」と言いました。
ある高校生は自分の大好きなファッションで地元をもっと明るくしたくて、服も演出も全て高校生がつくるファッションショーを開きました。
みんな、僕がこの一年間で出会った東北の高校生たちです。
確かにあの震災は僕たちから本当に沢山のものを奪いました。
だけど、「その代わりに」って言ったらおかしいかもしれないけど。ここに書いた高校生たちは挑戦することが出来ました。夢を見つけることが出来ました。あの日を経験したことで確かに僕らは「チャンス」をもらっているのです。
僕のスタート
2013年10月12日-14日、東京で開催された「ビヨンドトゥモロー東北未来リーダーズサミット2013」に参加しました。学校の壁に貼ってあったチラシを見て「タダで東京に行ける!」そんな軽いノリで応募したのを覚えています。だけど、そんな何気ない気持ちで参加したこのサミットが僕の高校生活を一変させました。
この時の僕は「震災」とか「東北」とか「地元」という言葉に全く興味がありませんでした。福島県郡山市で暮らす僕は放射線以外に深刻な被害は少なく、あの日から2年半経った以上経ったこの時には普通の生活をしている“つもり”でした。だから震災をあまり自分事として捉えていませんでした。
このサミットでは東北から集まった59人の高校生と22人の大学生が日本を牽引する様々な分野のリーダーたちと2泊3日話し合い、東北の未来への提言をまとめます。
一日目の夜、「体験共有」という時間がありました。このときの僕は津波も、その被害を受けた地域も自分の目で見た事がありませんでした。ニュースでだけ、アナウンサーが話しているのしか聞いた事がありませんでした。
この時間は僕にとってとても衝撃的な経験でした。目の前にいる自分と同じ高校生が、あの日の事を涙を流しながら話している。友人が亡くなったこと、目の前で家が流されたこと。僕は福島に住んでいるけど、津波に関してはニュースでしか見たことが無いから東京にいる人とも海外にいる人とも別に一緒だったかもしれません。モニター越しでしか見た事が無かったから。でも、さっきまで普通に笑って話していた同じ高校生がそんな経験を本当にしたことを知ってしまいました。それまでも知ってはいたはずだけど「他人事」だった。リアリティが無かったんです。でもここで僕の中の震災に対する「リアリティ」とか「想い」が確かに変わりました。「他人事」にできない、確かな現実だったんだ。そう強く感じました。
入学して2ヶ月で部活を辞めた僕は生徒会には入っていたものの、とてもだらけた高校生活を送っていました。何に対しても頑張っていませんでした。でも、ここで「自分より辛い思いをしているのに、自分より頑張っている高校生」に出会いました。はじめに挙げた高校生たちのように、震災を経験して、寂しくなってしまった自分の街を見て「何かしたい」と決意し、がむしゃらに行動している高校生たち。東北の高校生たちに与えられた復興支援のプログラムにも積極的に参加して、少しでも大きく自分を成長させようと努力する高校生たちがそこにいました。
自分はそこまで辛い経験をしていなかった。だけど頑張ってもいなかった。彼らに目を向けることすらしてなかった。自分は何してたんだろうって、強く、強く感じました。そして自分も「何か行動したい」と思いました。
そして僕はこの日の夜、東京の会場から福島の父に電話をして、ある高校生向けのプログラムで中国に行く事に決めた、と告げました。これがまぎれも無く、沢山の高校生たちと共に福島で「何か変えたい」と行動している今の僕のスタートでした。もし、ここで彼らと出会ってなかったら僕は行動するきっかけを掴めずにいつまでもだらけた高校生活を送っていたと思います。
震災が僕に「変わるチャンス」をくれた瞬間でした。
アメリカから見る自分の故郷
今年の夏「TOMODACHI サマー2014 ソフトバンク・リーダーシップ・プログラム」に参加し、アメリカへと渡りました。参加した理由は「東北の高校生と話したいから。」10月のサミットに参加し、きっかけをつかんだ僕でしたが自分のやりたいことや、それをやる意味に対して迷いや疑問を感じてもいました。自分は何のためにやっているのか、どんな東北を作りたいのか、その答えを掴むために、また熱い想いを持った東北の高校生たちと話したいと思い、参加しました。
僕たちは3週間カルフォルニア大学バークレー校で「Y-PLAN」というまちづくりのプログラムを通し、「地域社会の仕組み」や「街の環境を改善するアイディア」について学びます。3週間の最後には自分が帰国してから東北で何をしたいかをプレゼンテーション形式で発表します。
「アメリカから地元を考える」この事にはとても大きな意味があると感じました。東北にいるとどうしても震災の話をするのを避けるような雰囲気を感じます。教室で「復興のために」なんて行ったら変な目で見られてしまう事も、悲しいですが否定できない事実です。でもやっぱり、地元が好きで「何かしたい」って思っている高校生たちが沢山います。「アメリカなら、何を話してもいい。ここは日本じゃないんだから、悲しみも悩みも全部ここに吐き出して置いて行こう。」「ここなら失敗しても大丈夫。だから挑戦しよう。」このプログラムはそんな彼らに、地元について考え、行動する本当に大きなきっかけを与えてくれました。
僕自身もこのプログラムで得たものが沢山ありました。多すぎて挙げきれないけど一番は「何かしたいけど、何をしたらいいか分からない」高校生たちが沢山いるという気づきです。今までは自分もなんとなくで活動していた事も多かった。だけどこれからはそんな高校生たちに、自分がもらったように「行動するきっかけや変わるチャンスを届けたい。」そう強く感じました。そして帰国した今、そんな目標をかかげながら多くの仲間たちと刺激をし合い、福島で行動することが出来ています。
人への投資
1993年7月12日に発生した北海道南西沖地震。この震災で被害を受けた奥尻島は763億円以上を復興事業に投じ、その5年後に「完全復興宣言」をしました。しかし20年経った今、島は人口流出による深刻な過疎問題に直面しています。多くの箱ものに投資をし、前よりも住みやすい街にしたはずなのに、街から人は減っていってしまいました。
今、東北では「人への投資」が数多く行われています。僕が参加した2つのプログラムを含め東北の若者にチャンスを与える企画が多く存在します。箱ものに投資をしただけではホントの復興は出来ないのだと思います。そこで生きる若者たちが「自分たちの手で、自分たちの街を作って行きたい。」と思える。そして彼らがそのための力を身につける事が出来る、そんな「人への投資」が大切だと思います。
「若者」である僕らは、そんな人への投資をたくさん受け取っています。僕自身も、志を明確にしながら自分のプロジェクトを作るスクールを開いてもらったり、復興活動を進めるNPOのスタッフの方など、多くの方々に学びや行動の機会をいただいたりしています。
だからこそ、僕は行動したいです。
僕らにチャンスをくれる彼らや、自分の故郷に恩返しをするために。
このコラムではそんな高校生たちの想いを、夢を、挑戦を伝えていきます。失敗する事も多いかもしれないけど、「3.11がくれた夢」に向かって走り出す東北の高校生たちを見守って下さい。
文/西村亮哉 福島県立安積高校在学中
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