震災の風化防止が課題と言われて久しい。これまで、その多くは被災地外での風化防止、つまり地域間での情報発信を指すことが多かった。震災から時間が経つにつれて、世代間で記憶を受け継いでいくことが重要になってくる。震災の記憶を次世代に残す取り組みの一つとして、南三陸町の復興応援隊員が仙台市の小学校で授業を行った。現地からのレポートをお届けする。
11月11日、仙台市青葉区の川前小学校で「復興プロジェクト」という特別授業が行われた。これは仙台市教育委員会の「故郷復興プロジェクト」事業の一環で、小中学校ごとに児童の社会貢献の意識を育む取組がなされている。川前小学校では「震災の経験を語り継ぎ、風化させない」、「命を守るために震災について知り,学ぶ」ことを目的にプログラムが実施された。全校児童約470名が参加し、防災に関するクイズのほか、南三陸町で復興応援隊として活動する中村未來さんから活動のきっかけや地域の現在の復興状況、災害から身を守るために必要なことなどについての講演があった。
復興応援隊とは、被災地のコミュニティ支援や産業・観光振興に取り組む人を被災地域内外から委嘱する総務省の復興支援員制度をもとに、宮城県が活用し実施している事業である。現在復興応援隊として県内に13地区・60名以上が配置され、受託団体と呼ばれるNPOや会社に所属し被災各地で復興支援活動に取り組んでいる。
中村さんは現在南三陸町観光協会に所属し、「交流事業の拡大」をテーマに、観光や町に関する問い合わせへの対応、防災学習プログラムの受け入れや地域資源を活用したツアープログラムの企画を行っている。またアーカイブ施設の計画づくりや、農漁家民宿や民泊の推進・整備事業も担当している。
もともと東京出身の中村さん。大阪の建築設計事務所に就職後、11か月で震災が起きた。ボランティアとして被災地で活動をする中で、外部の人を受け入れてくれる温かい人々、また三陸の恵みである牡蠣、ホタテ、わかめなど豊かな食のある地域に魅力を感じ、一念発起して南三陸町に移住し長期で活動することを決めた。2012年10月から現在まで復興応援隊として活動している。
「震災前は多くの家やお店が並んでいた場所です」。津波被害で何もなくなってしまった町の様子を撮影した写真をスクリーンに映し、中村さんは児童たちにも伝わる言葉を選びながら被災地の状況を説明した。児童たちも真剣な表情で中村さんの発表を聞いていた。震災当時、小学生だった子供たちも次々と卒業し、今では小学校に残っているのも5年生と6年生だけになっている。
講演の最後に中村さんは、「大切なのは知ること、そして誰かに伝えて一緒に考える事です。今日みなさんが聞いたお話をぜひお父さん、お母さんにも話してほしいですし、ぜひ私のいる南三陸町に遊びに来てください」と児童に伝えた。震災から3年と8か月が経過し、被災地に迫りくる「風化」の文字を振り払うように中村さんは児童たちに投げかけた。
「子どもたち相手にお話する機会も今までなかったですし、当時はまだ小さくてあまり震災のことが分かっていない彼らに被災地の状況がどう伝えられるかは、話してみるまで分かりませんでした。でも表情や態度から真剣に聞いてもらえていた様子が分かったので良かったです」。講演後、中村さんから安どの表情が伺えた。川前小学校の森礼子校長は「小学校の周辺は地盤がしっかりしており、目に見えるような被災はなかったのです。震災の影響を大きく受けなかった子どもたちに震災の話を、記憶を、語り継いでいきたいのです」と話した。
レポート/みやぎ連携復興センター 中沢峻
Tweet