震災直後の被災者支援、復興計画における政策決定、事業者や生活者の再建支援など、復興の現場では様々な場面で弁護士が関わっています。現地での支援や後方支援に当たった法律の専門家から見た復興と法律に関するコラムを、現役弁護士がリレー形式で書き下ろします。
今回の執筆者は、中越大震災を機に新潟県長岡市に「震災復興をめざす中越ひまわり基金法律事務所」を開設、東日本大震災後は日本弁護士会災害対策本部部員として被災者支援活動を行った杉岡麻子弁護士です。
「津波で家を流されたのに、住宅ローンを払い続けなければならないのでしょうか」
東日本大震災で、多くの弁護士が被災者から相談を受け直面した問題、それが「二重ローン問題」です。
復興の過程において弁護士ができることのひとつに、立法提言活動があります。被災者の声を集め、現在の法律で手当てが足りないところを検討し、新たな法律・制度を提案する、現在のみならず将来の被災者支援にもつながる重要な活動です。
東日本大震災においては、日本弁護士連合会は、被災者の声を受けて立法提言活動を行いました。これまでに11の立法・制度が実現し又は適用が回避されていますが、その皮切りとなったのが、この二重ローン問題でした。
二重ローン問題とは
地震や津波で居住用建物や事業用建物が全壊しても、ローンは残ります。被災者は、震災前の住宅ローンを支払い続けながら、新しい住宅のために新たな住宅ローンを組み、二重にローンを支払っていくことになります。また、震災前の住宅ローンの支払いがあるために、新しい住宅を建てることを断念する場合もあります。これが二重ローン問題です。
二重ローン問題は、住宅の再建に直結する重要な問題として、古くは1991年の雲仙・普賢岳噴火災害の頃から、対策の必要性が指摘されていました。しかし、国は、「私有財産の形成に税金を使うことはできない」という立場で、対策を講じませんでした。中越大震災後の2007年に、ようやく被災者生活再建支援法が改正され、住宅被害にも生活再建支援金が支給されるようになりましたが、全壊の場合でも最大300万円が支給されるのみであり、住宅の再建には到底足りない金額です。
もちろん、住宅ローンは高額であることが多く、どこまで支援するかという問題はあります。しかし、被災者にとって、住宅の再建は雇用の問題とあわせて非常に重要な問題であり、住宅環境や勤務先の問題から、家族がバラバラになってしまうことも珍しくありません。住宅の再建が難しい場合は、少なからず被災地からの人口流出が生じます。最終的に、被災者の生活再建・生活の自立を助けるため、そして被災地全体の復興・再活性化を実現するために、二重ローン問題対策は重要な課題なのです。
法律相談活動から立法提言活動、そして制度の適用開始へ
弁護士にとって、せっかく相談に来ていただいた方に、「現在の法律及び判例では難しいと思います」と言わなければならないことは、自らの無力さを痛感する非常に辛いことのひとつです。
冒頭の相談がなされた場合、法律家の常識でいえば、「たとえ建物が流されても、ローンは払い続けなければなりません。」と言わなければなりません。しかし、本当にそうなのでしょうか? このままでは被災地の復興はもちろん復旧すらままならない事態となりかねません。私たちにできることは何もないのでしょうか?
このようにして、被災県のひとつである宮城県にある仙台弁護士会を中心に、二重ローン問題対策制度の創設を求める動きが始まりました。立法提言活動においては、その立法・制度の必要性である立法事実を目に見える形で示すことが重要です。そのため、日本弁護士連合会は、まず2011年4月22日に二重ローン問題対策制度を求める提言を公表し、その後、立法事実を示す活動を続けました。2011年4月29日から5月1日にかけて全国から延べ305人の弁護士が集まり宮城県下95ヵ所の避難所で実施された避難所法律相談では、相談票にローンの有無及び内容を問う項目が加えられ、立法事実の収集を意識した相談が行われました。相談票は相談を終えた弁護士によりマークシート方式の集計用シートに転記され、すぐに読取処理がなされ集計されました。翌日には、956件の法律相談のうち18%が二重ローン問題の相談であることが判明し、ひとつの大きな立法事実となりました。また、仙台弁護士会が中心となって署名活動が行われ、saigai-benなどのML等を通じて全国の弁護士が協力し、最終的に10万筆もの署名が集まりました。
私的整理ガイドライン(被災ローン減免制度)の適用開始
こうして、2011年8月22日、二重ローン問題対策制度である「個人債務者の私的整理に関するガイドライン」(通称、「被災ローン減免制度」。以下、簡単に「ガイドライン」と言います。)が適用開始され、1万件の利用が見込まれる制度として、大きな期待をもって迎えられました。運営主体である一般社団法人私的整理ガイドライン運営委員会(以下、「運営委員会」と言います。)のコールセンターには、3日間で631件もの電話がかかってきたといいます。もちろん、私たち弁護士も、二重ローン問題対策のための画期的な制度ができたと、期待していました。
ただ、ガイドラインは、東日本大震災の影響を受け債務の弁済が困難になった被災者たる債務者と債権者の間で債務の減免及び支払い方法について合意をする際の準則(ガイドライン)にとどまり、当時の政治情勢を反映して、立法化は実現できませんでした。また、ガイドライン本文には、債務の減免に関する具体的な基準等は定められず、運用は、運営委員会が担うこととなりました 。
伸び悩んだ利用件数 ~遅すぎた周知と運用改善
このように期待を持って迎えられたガイドラインは、どのくらい復興の役に立ったのでしょうか。
適用開始から3年半以上経過した2月20日現在、ガイドラインによる債務整理が成立した件数は、全国で1,191件にとどまっています。手続に乗ったことを示す準備中・申立件数の合計173件を合わせても,1,364件です。実は、後者の数字は、約1年前からほぼ変わっていません。おそらく、すべての案件が終了した段階でも、ガイドラインの成立件数は1,400件以下にとどまるものと予想されています。
この数字の評価は分かれるかもしれませんが、被災者支援に関わった弁護士としては、東日本大震災の被害住宅戸数(被災3県で全壊12万戸以上)と比較しても、実感としても、やはり少ないと言わざるを得ません。
それでは、どうして、利用件数が伸びなかったのでしょうか。
ひとつの要因として、「ガイドラインの制度が周知され、ガイドラインの運用が固まる前に、金融機関によるリスケジュールが進んだ」ということが考えられます。
右の図は、金融庁が公表している統計資料を基に作成したものです。東日本大震災後に、約定返済一時停止(いわゆる支払猶予)及び条件変更契約締結(いわゆるリスケジュール)を行った住宅ローンの債務者数を表にしたものですが、震災直後から着実にリスケジュールが進められていったことがわかります。ガイドラインが適用された直後の平成23年9月の段階ですでにリスケジュール済み件数が支払猶予中件数を上回っており、後述の金融庁による利用促進の通知がなされた2012年7月の段階では、リスケジュール済み件数が6,134件、支払い猶予中件数が619件と、ほぼリスケジュールが完了していたことがわかります。なお、現時点でのリスケジュール済み案件は、2014年12月公表の数字で10,436件であり、この中にはガイドラインによる債務整理成立案件は当然のことながら含まれていません。
一方、ガイドラインの適用開始は2011年8月22日、適用直後利用できないとされていた仮設住宅入居者の利用が認められたのが2011年10月、債務者の手元にいくら残せるかという指針が示されたのは2012年1月でした。ガイドラインの利用が進まず、周知もなされていなかったことから金融庁が通知を出したのが2012年7月でした。金融機関の動きに対して、遅きに失したと言わざるをえません。
将来の二重ローン問題に備えて~新たな制度の構築へ
とはいえ、それまで二重ローン対策制度が全く存在しなかったことに比べれば、この制度が画期的なものであったことは間違いありません。
ガイドラインは、被災者の手元に、生活再建支援金、義援金、災害弔慰金の他、最大で現預金500万円及び地震保険金の家財相当部分を残して債務の減免を受けることができる制度であり、信用情報登録機関に登録されない、連帯保証人も原則として履行を求められないといった、本来大きなメリットを持つ制度です。
ガイドラインの適用は東日本大震災に限定されていますが、将来発生が予測される大災害に備えて、大規模災害に適用される制度を検討する必要があると考えます。特に、ガイドラインの厳格な運用の背景に、全債権者の同意を要する制度であったことを考えると、立法化を視野に入れて新たな制度設計を検討する必要があると考えています。東日本大震災において、金融機関によるリスケジュールが直ちに進んだことを考えると、大災害が起こった後に制度設計を検討するようでは再び時機を失うでしょう。
この新たな課題について、ガイドラインの運用改善等に尽力した仙台弁護士会は、2014年11月13日、債権買取機構を提案する「二重ローン問題対策に関する立法措置を求める意見書」を公表しました(http://senben.org/archives/5629)。被災地弁護士会と日本弁護士連合会は、次の災害に備えた新たな制度の構築に向けて動き始めています。
文/杉岡麻子 東京はやぶさ法律事務所所属・元震災復興をめざす中越ひまわり基金法律事務所所長
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