東日本大震災から4年が経とうとしています。最近では、ニュースで被災地のことを取り上げることもほとんどなく、外からは現地がどうなっているのか見えづらくなっています。この4年間、ETIC.は「みちのく仕事」を通して、東北に若手経営人材を派遣する取り組みを続けてきました。そこから見えてきたことは、住宅などインフラの復旧が進むとともに、産業再生・地域医療福祉・教育・ツーリズムなど、様々な領域で新しいプロジェクトがうまれつつあるということです。
これから東北の未来はどうなっていくのか、という興味深い問いについて想像を巡らす上でヒントになるのは、先駆者の取り組みの物語です。比較的最近の先進国における災害復興の事例は、2005年に「ハリケーン・カトリーナ」による未曾有の大災害を経験した、米国ルイジアナ州ニューオーリンズ。同市は、そこから見事な復興を成し遂げたことでも知られています。
今回は、昨年末に実施された日米交流プログラム*のなかから、ニューオーリンズの復興において中心的な役割を果たした米国ルイジアナ財団の理事長、ダニエル・フロゼルス・ジュニアさんによる講演の抄訳をお送りします。
*東日本大震災の被災地で復興に取り組む人々と、ニューオーリンズを始めとしてアメリカの地域振興に取り組む人々との交流プログラム。
カトリーナ以前から経済は停滞し、人口は減少していた
ダニエル・フロゼルス・ジュニア氏:(あいさつ部分を省略)まず始めに、ニューオーリンズについてご紹介したいと思います。ニューオーリンズは、非常にユニークな文化を持ったまちで、ローカルフードや、音楽、特にジャズでよく知られています。
ハリケーン・カトリーナの被害から約10年が経過した現在の人口は380,000人。被災前と比べて20%ほど減っていますが、外からの移住者が増えつつあるのが特徴です。被災後にニューオーリンズを離れ、経済的な要因で帰ってくることができない人が90,000人いましたが、一方で新しい住民が増加しています。
ニューオーリンズは、2005年のハリケーン・カトリーナの直撃により、壊滅的な被害を受けました。ハリケーンが市街に接近した8月末、既に多くの住民は避難していたのですが、ハリケーンが通過する過程で、洪水対策が機能不全に陥り、アメリカ史上最悪の災害が発生したのです。堤防は想定通りの強度を発揮せずに崩壊し、市街地の80%が浸水、住民は避難を余儀なくされました。
ルイジアナ州では1,500以上の方々が亡くなりました。かけがえのない命が失われるとともに、地域の生活インフラが破壊され、地元経済も大きなダメージを受けました。復興以前の経済についてお話しましょう。アメリカにおいて、中小企業は全雇用の半分以上を担う経済の牽引役ですが、ニューオーリンズにおいては、その傾向が特に顕著でした。地元の中小企業が提供する商品やサービスが、住民の生活を支えていました。
ニューオーリンズは観光業で有名です。多くの人が関連する仕事に従事していました。このなかには、芸術、エンターテイメント、飲食宿泊なども含まれます。そこで開催されるニューオーリンズ・ジャズなどの音楽イベントは、まちの顔でした。温暖でホスピタリティにあふれた風土に、数多くの観光客が訪れていました。
また、ニューオーリンズ港も経済的に重要な役割を果たしていました。約60カ国からの5,000以上の船舶が停泊し、ラテンアメリカとの貿易の拠点となっていました。また、高等教育の拠点でもあります。市内には7つの大学があり、直接的・間接的に仕事を創りだしています。漁業も、ルイジアナ州の人々と文化を語る上で重要な産業です。年間38億ドルもの産業であり、アメリカ全体の海産物の32%を占めていました。こうした特色ある産業があるにも関わらず、ニューオーリンズはハリケーンによる災害の前から、経済の縮小に直面していました。2004年の労働統計によれば、2000年からの4年間で16,000の仕事(6.2%)が失われていたのです。人口も23,000人(4.7%)の減少となりました。これは、アメリカ全体のトレンドである経済成長・人口増加の逆をいくものでした。
地元の政治家や行政、経済界は「ニューオーリンズは、未来をつくるリーダーにとって魅力的なまちになることができるだろうか」と心配していました。私たちには、地域のビジネスや社会的事業を支援するための土台はありましたが、どのように進めていくべきかという戦略と計画がなかったのです。ハリケーン・カトリーナは、このような停滞状況にあったニューオーリンズを直撃しました。
被災から7日後に発足したルイジアナ災害復興財団
災害からの復興についてお話しましょう。災害直後、アメリカ国内の多くの人々から、ルイジアナ州へ寄付が集まりました。そのなかで当時のルイジアナ州知事は、復興に携わる独立した非営利組織が必要だと考え、州内だけでなく全米のビジネス、非営利コミュニティ双方から人材を集めてルイジアナ災害復興財団(Louisiana Disaster Recovery Foundation)を設立しました。現在のルイジアナ財団(Foundation for Louisiana)の前身です。まずストリートに出て、災害現地の緊急ニーズを調査しました。その結果を、災害救援を専門とするNPOなどに伝え、彼らと連携することにより具体的な救援活動を展開したのです。また、各界のリーダーたちを集め、復興のビジョンを策定しました。財団の特長は、異なるセクターの人々を、同じテーブルにつかせることができる点にあります。そこで、共通のビジョンに基づいた戦略を共有することができました。
全ての地域コミュニティを巻き込み復興に取り組む
今回は、特徴的な取り組みを3つお話したいと思います。ひとつは、「ネイバーフッド・プランニング・アンド・オーガナイズド・ファンド」です。財団は「ネイバーフッド・オーガナイジング&プランニングファンド(Neighborhood Organizing & Planning Fund)」という基金を設立しました。この基金の目的は、「コミュニティにとってベストな選択は、住民が知っている」という信念のもとに、復興のプロセスに全ての地域コミュニティが関与できるようにすることです。財団は、地域コミュニティ再建のための資金援助を進めながら、現場と行政をつなぐリーダーの育成を実施しました。
課題は、復興に全く関与しようとしない比較的貧困地域のコミュニティをいかに巻き込むかということでした。財団の職員は現場に足を運び、彼らと対話を重ね、共通言語と信頼関係を構築しながら、今後のコミュニティに何が起こるのか、そしてそれにどう関わることができるのかを伝えました。ニューオーリンズの地域コミュニティの復興を支えたのは、こうした活動からうまれた地域のリーダーたちでした。
起業家と中小企業を支援することで“起業のまち”へ
また、財団は4つの非営利組織と連携し、「コラボレイティブ・フォー・エンタープライズ・ディベロップメント(Collaborative for Enterprise Development)」という仕組みをつくりました。CEDの目的は、地域の中小企業を、資金とスキルによって支援することです。地域で奮闘する中小企業や、カトリーナ以降にニョーオーリンズを出て行かざるをえなかった中小企業に戻ってきてもらいたいと思って活動を始めました。
具体的には、融資対象となりづらい起業家の資金調達をサポートし、専門家によるビジネスコンサルティングを提供しました。これまでに2,500以上の起業家、3,200以上の中小企業に対して、900万ドル以上を投資した実績があります。
この支援の素晴らしかったところは、起業家支援を続けることで、ニューオーリンズによいアイディアを実行に移すことを良しとする「起業文化」が広がったということです。こうした文化は若者を惹きつけ、市内の若者の流出を防ぐだけでなく、外から若者が「ニューオーリンズは起業のまち**」という評判を聞きつけ、新たにやってくるという現象にまでつながったのです。**2007年から2009年までを通して、ニューオーリンズ市街地に住む10万人のうち450人が起業した。この数字はカトリーナ以前の2倍以上となっており、アメリカ平均320を大きく上回る。
データをもとに、復興を議論する
ニューオーリンズの復興において重要な役割を果たしたのは「データ」でした。資金提供者や住民など、様々なステークホルダー(関係者)と復興計画を作ったり、進捗を確認するためには、正しいデータが不可欠でした。そうした機能を担ったのが「The Data Center」です。
なぜ、データにもとづいて議論をすることが大切なのでしょうか。それは、データの前ではどんな関係者も公平に議論ができるからです。それぞれミッションが異なる組織が、共通のゴールに向かっていくためには、データにもとづいて議論し、進捗を確認していくことが大切です。また、長い時間がかかる復興のプロセスにおいて、自分たちの取り組みの意義を確認するためにも、データはとても役に立ちます。
復興の鍵はビジョンを持つこと、そして専門領域を超えて連携すること
ハリケーン・カトリーナの被害から、10年が経とうとしています。最後に、私たちがこれまでの取り組みから学んだことを、ご紹介したいと思います。
ひとつめは、多様なステークホルダー(関係者)間の連携の重要性です。ビジネスコミュニティ、パブリックセクター(行政)、そしてNPOがそれぞれの領域にとどまっていては、大きく成功することはできません。人間の性質として、心地良いスペースにとどまって仕事をしたくなるものですが、それでは決して長期的な成果は得られません。
そしてふたつめ、これが最も大切なことかもしれませんが、復興のビジョンを持つことです。あなたの近所は、コミュニティは、まちは、どのような姿であるべきか。どうあってほしいか。これは、震災があったから考えるのではなく、本来はその前から描いておくべきものです。皆さんは忙しく、ストレスを抱え、必要なサポートも十分に得られないかもしれません。それでもやはり、地域の産業や教育がどうあるべきか、あなたのまちの住民がそこに住み続けられるように、まちを次世代につなげていけるように、セクターを超えて議論を深めなければならないでしょう。
ニューオーリンズにはファイナンス、リーダーシップ、支援組織などの社会的インフラが整いはじめました。そして、もうすぐ10年を迎えます。少なくとも20年はかかる長い復興の道のりからすれば、まだまだ道半ばですが、ニョーオーリンズは確かな歩みを通して、自信を得つつあるようと思います。東北の復興も、ニューオーリンズ同様に長期にわたるものになるでしょうが、まちの未来のビジョンにむかって、お互い復興に取り組んでいきましょう。
記事提供:みちのく仕事(NPO法人ETIC.)
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