福島県田村市の東部に位置する都路(みやこじ)地区は、原発事故で大きな被害を受けた浜通りの自治体と隣接し、2014年4月にようやく全域避難指示が解除され1年が経過した(2013年8月に帰還準備のための長期宿泊は開始されている)。
このように生活を一時寸断されてしまった地域で、住民達のニーズを丁寧にくみ取り復興活動に取り組んでいるのが、田村市復興応援隊だ。地区出身の人だけでなく他から来た人材(ヨソモノ)を含めた彼らがいま、地域に欠かすことのできない潤滑油になりつつある。
不便な“どん詰まり”地域に求められる復興人材とは
「都路地区での買い物などの生活圏は、震災前は浜通りの町を利用することが多かったようですが、現在は距離のある船引(ふねひき)地区や郡山市まで行かなくてはなりません。言わば中通りの最東端、"どん詰まり”の地域になってしまったのです。私達の復興支援活動は、市内で最も震災の被害を受け、閉鎖的な立地になってしまった都路に必要なものだったのです」と、田村市復興応援隊の隊長・佐原禅さんは言う。
田村市復興応援隊(以下、応援隊)は、田村市が震災後の復興と地域活性を担う人材を集めるため、総務省の「復興支援員」制度を活用し、平成25年7月に郡山市で人材育成に力を注ぐNPO法人コースターへ委託にされた事業だ。現在は、田村市市役所のある船引地区と活動の中心である都路地区に事務所を置き、総勢9名の隊員で活動。今春には隊員が3名増える予定だ。「都路は昔から中通りと浜通りの往来の間にある地域なので、住民はヨソモノにもオープンマインドなんです。活動もそんな気質に助けられています」と佐原さんは笑う。
ピンチが転機となり、地域の声が集まり出す
応援隊が都路地区に入ってまず行ったのは、1000軒余りある全ての家を訪問し、要望を聞き取る事だった。初期メンバー7名で3ヵ月もの時間を費やし、住民の名前をデータベース化した。しかしこの作業で都路の地形や集落を把握することできたが、住民が応援隊活用する具体的な提案はなかなか出なかったという。
手応えが感じられない中、転機が訪れる。昨年2月の記録的な豪雪は、山間地域の生命線である交通を麻痺させ、高齢者の多い地域では人命にも関わる事態に。そこで応援隊はフル稼働で除雪作業に協力する。その応援隊の姿は「あの青い服(応援隊のパーカー)は誰だ?」と住民たちの応援隊の認知を広めていった。
応援隊の活動が知られると事務所への住民の往来も多くなり、草刈りの依頼、さらには特産のシソ科ゴマ粒「エゴマ」の加工品の販路や、食品加工品の製造設備復旧の相談、助成金の申請方法など、単純な人手の提供以外にも地域と外を結ぶ窓としての役割も増えていった。最近では都路地区だけでなく市内の各地域のキーパーソンと連携を深め、各地域ニーズに合った支援の形を市全域で模索し始めている。
キーワードは“ギャップを埋める”。未来を考える輪が広がる仕組み作りへ
事務所の壁には、隊員や住民から寄せられた"企画の宝庫”と題したアイデアメモが数多く貼られている。その内容から、住民と応援隊がいい距離で関係を築き、共に地域に欠かすことのできない一員だということを感じさせる。そんな関係作りにも転機があった。
活動内容も充実し始め、2年目の夏に思いがけない事が起こる。自治会のまとめ役からお叱りを受けてしまったのだ。「住民の要望をただこなして、期間が終わったら居なくなるのか?と言われました。衝撃的な言葉でした」(佐原さん)そこで隊の中で話合いを重ねて"地域の未来と現在のギャップを埋める”というキーワードにたどり着く。そのためには、交流人口の増加やボランティアに頼りにされるなどの住民の生きがい作り、情報発信を行いながら地域を未来志向に考える輪が広がる仕組み作りに、方向を定めることにしたのだ。
試みの一端として、築百年以上の民家を利用したよりあい処「華」の開店への協力がある。震災以前から地域と繋がりが持てる場所を作りたかった所有者の要望と実現、また都路の現在を知りたい外部の人々と地域の間にあるギャップを、応援隊では片付けボランティアの募集や運営、地域外の人々との交流の場としての利用という形で尽力している。直売所の完成が待たれる中、寄り合い処の軒先では、青空マルシェを開催する活用法も応援隊が企画中だ。
その他、地域に点在する耕作放棄地を利用したボランティアツアーやグリンツーリズムも準備中だ。都路に興味を持つ学生や企業などの交流人口を増やすだけでなく、作物への放射性物質の移行を測定し、科学的に基づいた情報を発信することで風評被害の軽減を目指す。都路という地域の現在を耕作放棄地というフィールドから発信していく試みだ。
将来的には経済的に回る仕組みを構築し、まちづくり協議会のような組織の設立を夢見ているという田村市復興応援隊。お手伝い要員から地域の一員としての“共働期”に移り始めている。
文/江藤純