震災直後の被災者支援、復興計画における政策決定、事業者や生活者の再建支援など、復興の現場では様々な場面で弁護士が関わっています。現地での支援や後方支援に当たった法律の専門家から見た復興と法律に関するコラムを、現役弁護士がリレー形式で書き下ろします。
今回の執筆者は、阪神淡路大震災の後、1年生弁護士として神戸で復興支援を行った経験を持ち、東日本大震災では災害復興支援委員会副委員長として支援を行った津久井進弁護士です。
先例を盲信しないこと
先人の教えに従うことは大切なことです。しかし、それは時と場合によります。ときには、かえって不具合を招いたり、おかしな結論を導くこともあります。
東日本大震災の後、法律や制度の運用の枠組みは、阪神・淡路大震災の先例が参考にされました。避難所の運営の仕方や、仮設住宅の建て方、義援金の配り方などは、良いところも悪いところも阪神の例がベースになっていました。
弁護士は、先例を把握した上で、良いところに光を当て、悪いところを改善するよう働き掛けることが大切な役割です。弁護士法には、弁護士は「法律制度の改善に努力しなければならない」(1条2項)と定められていて、法制度の改善に取り組む役目が期待されています。たとえば、岡本正弁護士が提唱している災害復興法学は、その役割を体系化しようとする試みです。
東日本大震災の被災者や原発事故の被害者たちの声に耳を傾けると、時間が経つにつれ先例の不具合が次々に露見しているように思えます。たとえば、仮設住宅の期限を5年に限定しようとする動きや、復興公営住宅にむやみに連帯保証を要求する傾向などは、硬直的に阪神の先例を適用した悪例といわなければなりません。弁護士が取り組むべき課題がまだまだたくさんあるはずです。
罹災都市法
では、阪神・淡路大震災の時は、何が先例になったでしょうか?私人の借家に関しては、戦災復興の法制度、「罹災都市借地借家臨時処理法(罹災都市法)」という難しい名前の法律が先例として適用されたのです。
阪神では地震の揺れで25万棟が被災し、借地借家の問題がたくさん発生しました。法的には、借りていた家が滅失すると借家契約は当然に終了します。つまり住民は無権利者になってしまうのです。どうしようかと大勢の人々が途方に暮れました。そこに光が差すように、約1週間後に罹災都市法が適用される件が報じられたのです。
罹災都市法は、3つのことを定めていました。一つ目は、家が滅失してもその地で借地権を取得できる。二つ目は、新たに建った建物を優先的に借家できる。三つ目は、無条件に借地権に期限延長し対抗力を与える。とてもよさそうに思えたのです。
しかし、あくまで罹災都市法は戦災後のバラック建築を想定した法律でした。土地価格が高騰し、建築物が堅固化した現代都市に適用するには無理がありました。借家人の方々はせっかく権利行使をしても多額のお金が用意できなければ元の場所に戻れないし、地主の方々は罹災都市法をおそれて再建を躊躇するという事態が多発し、解釈の相違から裁判に持ち込まれるケースもたくさん出るなど、罹災都市法の負の面ばかりが目立ちました。私自身も、何通も内容証明郵便を書いたり、住まいの再建ではなく金銭示談に奔走した苦い経験を忘れません。
罹災都市法は改善しないといけない!というのが最終的な被災地の弁護士たちの総意でした。しかし、法改正の取り組みには至らず、問題はしばらく塩漬けとなりました。
静かに始まった改正の動き
しかし、このままではいけないという声は確実に高まっていました。静かではありましたが着実に前に歩み始めていました。
日弁連の中に2007年に災害復興支援委員会が立ち上がり、最初に取り組むことに決めたのが罹災都市法の改正問題。2008年3月から勉強会を開き、全国から集まった弁護士が問題点を一から討議しました。私自身も論文を書いたり、ブログを書いたりして、地道に問題提起を続けてきました。
その甲斐あってか、2010年5月から準公的な「罹災法研究会」が発足しました。この分野の第一人者の学者を中心に、最高裁、法務省、国交省、そして日弁連からは杉岡麻子弁護士と私の2人が集う場となり、罹災法の改正の取り組みが現実味を帯びてきました。
検討が進み、一通り問題点が整理され、いよいよ改正のあり方を考えようとしていた矢先の2011年3月11日、東日本大震災が発生しました。残念なことに、罹災法研究会はしばらく休止となってしまいました。
被災地で再び過ちを繰り返さない
しかし、罹災法研究会で学んできたことは、無駄ではありませんでした。
阪神淡路大震災では、やみくもに罹災都市法を適用したわけですが、罹災法研究会での検討があったため、東日本大震災で適用するかどうかは慎重な姿勢で臨むことができました。
日弁連にも意見照会があり、私たちは不適用を力説しました。小口幸人弁護士の所属する岩手弁護士会からの要請書をはじめ、被災地弁護士会からも不適用を求める意見が中央に寄せられました。
そして、2011年9月、罹災都市法の不適用が正式に決定し、同時に、罹災都市法の改正に向けて取り組むことも正式に決定されました。
法改正へ
2011年10月から「罹災都市法の改正に向けた研究会」で改正に向けた具体的な議論が再開され、2012年9月からは法制審議会(被災関連借地借家・建物区分所有法制部会)が開催され、急ピッチで議論を深める作業が行われました。私も、審議会では必ず意見を述べ、阪神淡路大震災の経験、東日本大震災の実情を、少しでも新たな法律に反映させたいという思いを進んで発露してきました。そして、2013年3月には法案をまとめるに至り、神戸から東京に通い詰める私の多忙な日々も一段落することとなりました。
その後、舞台は国会に移り、衆参両議院で審議を経て、2013年6月26日、罹災都市法が廃止され、代わりに「大規模な災害の被災地における借地借家に関する特別措置法」が成立し、次なる大災害に備える仕組みが誕生しました。
なせばなる
一つの法律が、先例として適用され、問題に直に触れ、改正を働き掛け、その検討作業に関わり、公の場で意見を交わし、そして法案にまとめ、国会で成立させるという一連の過程にかかわることができたことは、とても貴重な体験でした。
同時に、一つの法律をつくるということは、たくさんの時間と、様々な経験と、多くの人々の知恵を結集する作業なのだということを間近で知ることができました。
そして最もたいせつな経験は、訴え続けること、働き掛け続けることが、いつか必ず実を結ぶということです。決してあきらめてはいけません。いま、東北の被災地に横たわっている課題も、取り組み続けることで、きっと実を結ぶに違いありません。
文/津久井進 弁護士法人芦屋西宮市民法律事務所代表,阪神・淡路まちづくり支援機構事務局長
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